東日本大震災から10年
11日、木曜日。東日本大震災のあの日から10年の日です。朝、いつものように朝風呂で身支度。池に食パン2枚、小さくちぎって投げ入れてやります。鷺が大将、鴨にとっては大きなあいてだけに遠慮がちです。
新事務所へ。雑務。県人権連の吉岡事務局長から電話。早朝の電話は代役依頼が多いのですが、この日もその通り。しかしこちらもつついっぱいなので断ります。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この日の午後からの会議のこと、年度末の対応など話題です。愛車タントをちかくのモーターズに運んで、変な音がするエンジンの検査などをお願い、歩いて帰ってきます。
新事務所に帰って会議資料の準備。その時、救急車両、消防車のサイレンがすぐ近くでピタリと止まります。みんなの家だんだんに降りてみると、救急隊のみなさんが90歳女性の利用者さんを取り囲んで胸骨圧迫、心臓マッサージされていました。道路には救急車と消防車が連なって停車されています。しばらくして、だんだんの看護師がついて病院に運ばれました。
豆ごはんを炊いておきます。車がないから、歩いて歯医者さんに向かいます。義歯の調整がつづきます。帰り道、コンビニでスパゲッティとカップ麺などを買ってきます。救急車に同乗してついていった看護師さんが帰ってきていて、残念な結果も聞かせてもらいます。ご苦労様でした、と。
午後、3つのみんなの家の管理者事務局合同会議です。まず、東日本大震災で犠牲になった方々、この日息を引き取った利用者さんに黙祷です。情勢はこの日の朝日新聞、赤旗などの介護にかかわる記事を読み合わせです。3月22日に岡山市の集団指導資料が公表されるので、その日の午後に読み合わせを行うことに。新年度に向けた目標設定も自主的にしてもらい、さらに職場づくりにも目を向けて取り組むことなど話し合います。
夕方、愛車タントを受け取りに歩きます。どうもオイル不足がひとつの原因。さらに懸念するところを変えるとなると日数がかかりそう、という診察でした。小型普通車でワンボックスの車、良いものがあったら連絡ください、と12年目を迎えたタントから次を考えるのでした。
写真は、岩手県宮古市に、2011年11月に支援物資を運んだ時、残されていたホテルの姿です。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »