みんなの会 岡山市北区下伊福西町1-53 ● みんなの家ななくさ 岡山市北区西崎本町1-7 ● みんなの家かるがも  岡山市南区浦安本町158

思案です

|12年05月19日 |中島 |

    JR吉備線を走ります

18日、朝は名古屋駅近くのホテルで朝食を。バイキングですが白いご飯を中心にした食事にします。全体に醤油辛いおかずが多く、その一方で白粥は塩味も感じられないものでした。

前日と同じビルで、この日は少数での会議。地域人権憲章案のポイントについて論議です。ボードに書かれた今回の原案をさらに吟味していく作業です。

午前中に新幹線・のぞみに飛び乗り岡山駅に昼すぎに到着。吉備線で備前三門駅についてわが家に帰ってひと休憩してから事務所に。ななくさ、かるがも会計入力をしてくれているAさんの問いかけに対応です。

夕方から、愛車タントを走らせて、県政にかかわる情勢を切りひらく課題で、Hさんなどと会議です。その後、自宅に帰っての夕食、思案することなにかとひろがり、缶ビール2本も苦いのでした。

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鰻を数切れ

|12年05月18日 |中島 |

農園に咲いてます

17日、朝は直接事務所に。少しだけ農園あたりを散歩です。

事務所で雑務のあと、備前三門駅から吉備線にのり岡山駅に、そして名古屋までの往復の切符を購入です。改札口からいったん出させてもらい、駅地下の本屋さんに。岩波新書を一冊買って、新幹線改札口で竹本さんとおちあって名古屋まで新幹線です。

名古屋にはちょうどお昼時間帯に到着。地下の食堂を探してやっと食べたのがうなぎ丼ぶり。一口サイズに切られた鰻、それがほんの数切れご飯にのっていて2千円を超えるお値段。鰻が高くなっているとは聞いていたものの、そこまでとは・・・・。

会議は産業労働会館の13階の部屋。「地域人権憲章」の策定論議が中心。夜は、久し振りの名古屋で少しのビールと焼酎をいただき、駅近くのホテルでこれも久し振りに朝までぐっすり眠ったのでした。

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プロ意識を、意識しました

|12年05月17日 |中島 |

農園に咲いてました。

16日、朝は事務所に着いてから近所を散歩。農園あたりにはたくさんの花たちが歓迎してくれているようです。

事務所で雑務。派遣会社の営業の方が来館。ハローワークに求人募集していることをご存じで、相談に乗りましょうという感じです。ソフトな語り口で、「派遣労働者雇用安定化特別奨励金」制度なども活用してはどうかと話されます。介護職がこれからさらに需要が増えて職務も重要になってくる、とこちらの思いとかさなるような認識も示されます。さすがその道のプロ、と感心です。

昼前に郵便局に。長く待たされてやっと6000円を振り込みます。NPOエルミナの会費、2年間分です。手数料が必要な青の振込用紙の活用です。手数料は120円でしたが、ATMでやったら80円ですむといわれます。はじめに見せた時にその旨をいってくれれば待つ時間もなくて良かったのに、とその対応に顔がいら立ったものになっていることが自分でもわかるのでした。接遇の訓練が足らないのでは、と思うのです。

夕方、前夜に続いて、きらめきプラザに。有馬理恵さん主演の舞台、釈迦内柩唄の公演の実行委員会です。6月17日の公演ですから、あと1カ月の段階。チケットの配布、販売状況を話し合われます。ポスターも素敵なもの、150枚ほど印刷できていました。岡山公演を前後して、津山が16日、姫路が20日、などと続いているようです。それぞれの実行委員会の特徴があって、それらをまとめていく舞台俳優兼オルグの荻原さんは大変なはずですが、そんなそぶりは見せずに、17日の朝の時間を活用してお寺さんににも要請に行こうと、笑顔で対応されていました。やはり、プロ、という感がします。同時にその人間性の豊かさも感じるのです。

8時前に退席させてもらって、医療療養型の病院に出向きます。後見しているKさんの担当医と話し合いです。この日、医師が当直勤務になっているので夜間の時間での設定になりました。威圧感を感じないお医者さんです。丁寧に話されます。胃ろうの管について取り換え手術のことでした。同意書にサインです。当のKさんは、目を開けていて、きましたよ、というとかすかに顔を動かしています。また、きますとあいさつして病院を出ました。

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国の約束破りは許せない、新たな闘いの渦が

|12年05月16日 |中島 |

15日、朝、いつもより少し遅い時間に歩いて事務所に。

事務所で雑務。かるがもの事務を担当してくれているSさん来館。彼は休みの日のようでしたが、4月分の請求一覧表などを持参してくれました。

税理士事務所に提出する、NPOみんなの会の特定非営利活動にかかわる事業会計、の決算書の作成に取り掛かります。途中、第8回地域人権問題全国研究集会への参加体制のことで相談です。12日の常任幹事会の会議で指摘されたこと、きちんと反映させるための文書作成のための相談です。

昼ご飯は、ココ一番に出向いて、野菜カレーとポタージュスープをいただきます。Y君は大盛り、400グラムのご飯のカレーをべろリ。これで体調がどうのこうのというかな、とひとりごち。

午後から、午前中から手掛けている、決算書、損益計算書、財産目録を仕上げて、税理士事務所にファックスで送ります。その途中、商工団体連合会の福木さん来館、ミナマタ病被害者救済特措法の申請期限延長を求める請願署名を持参。

夕方、きらめきプラザに。「国は「基本合意」を守れ、岡山フォーラム」です。会場づくりが人手が要ります。90人が参加してくれました。自立支援法違憲訴訟岡山弁護団の呉弁護士、ハンセン病国賠訴訟瀬戸内弁護団の井上弁護士、原爆症集団認定訴訟岡山弁護団の近藤剛弁護士、中国残留孤児国賠訴訟岡山弁護団の則武弁護士、からそれぞれの闘いの経緯と教訓が出し合われました。自立支援法裁判で、国が求めて成立した「基本合意」を反故にすることは、裁判を通じて政策形成を勝ち得てきた成果を根底から揺るがすものになる、裁判の成果を具現化させる上で政治部門との信義が課題になる、必ず約束を守らせる運動が必要、などと話されました。

 水俣病の請願署名を訴えています

元原告の清水博さんが、この日は元気よく声も届いていました。そして、審議をきちんとやれと声を大にしていいたいと怒りを込めて発言されていました。福木さんもミナマタ病の署名を訴えていました。自立支援法を廃止し新たに総合福祉法の制定、という合意を反故にすることにより、国は必ずこれまで以上に、人権を基底にした国民の団結によるによる大きな輪に取り囲まれる、と思わせた集会となりました。

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まだ動きが足りない

|12年05月15日 |中島 |

 黄色いバラ

14日の月曜日、朝は公園で20分コースの散歩です。桑田町の木村のパン屋さん経由で事務所に。

事務所で雑務。中国共同映画社のスタッフから電話あり、「映画・ひまわり」の上映実行委員会会議の点検です。でれないという返事ですが、そんな会話をつうじて、6月1日だけの上映会、映画・沖縄のことも事務所内で話題になりました。

ハローワークに9時40分ごろ出向きます。駐車場は満車状態、係員が別の駐車場を指示しかけたとき、一般のひとが空いたよと手招きしてくれます。会釈でありがとうとお礼です。4月末で退職された人の離職票1、2を申請です。用紙が手元になかったので、窓口で指導をうけて記入です。無事、いただいて、ななくさに届けます。そして、銀行に。かるがも職員の給与の引き出し。事務所に戻って、男4人の頭を寄せ合って若者の対応について論議です。給与を袋詰めして、かるがもに。育児休暇を終えた看護師さん、久し振りに顔をみてひと安心、という感じです。

事務所にもどり、15日開催の、「国は「基本合意」を守れ、岡山フォーラム」の資料を印刷しセットします。100人が来てくれてるとしての準備です。

この日は、遅くから焼肉屋さんでの食事、ビールとまっこりなどをいただいて仕上げに石焼ビビンバ。さらに腹がでっばって来て、対策を考えないとはけるズボンが無くなる、という身体状況がはっきりとしました。散歩と禁煙、体に良いことをしているのですが、食欲増進だけが見えてきます。散歩だけではお腹をへっ込ませないようで、腹筋でもするか、という思いです。

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母の日でした。

|12年05月14日 |中島 |

 白さが輝く朝でした

13日、小豆島から朝一番、7時出航の両備フェリーで新岡山港へ帰ってきました。愛車タントは長さ4m未満、料金は車代だけで片道5000円を超えます。岡山と四国間の料金と比較して2倍以上です。

自宅に戻り、朝風呂にゆったりと。缶ビール1本だけ飲んで朝寝です。午後から、事務所に出向いて、給与計算の再チェック。再計算して、プリントアウト。しかし、トナーがなくなった、取り換えを、という表示が。機器事務所でないと出来ないようです。前の計算書を利用して手書きでなんとか手直しします。かるがもに出向いて渡し物。その足でスーパーに立ち寄り母の日らしい買い物を探します。結局は食料品を母親に手渡して、自宅に帰ります。

そして自宅から歩いて、ななくさへ。給与計算書を手渡します。5時15分ごろでしたが、利用者さんが数人、スタッフも数人います。5時半に帰られる方、続いて6時に、という方、介助してもらつて夕食をいただいている方などもおられて、夕方ならではのゆったりとした時間を過ごされていました。そのうちのお一人Uさんと会話。目がみえんようになってなぁー、昭和6年生まれ、などと言われながら、当方にむかって若い人はええなぁ、といわれるのでした。母親と同年代のUさんから見ると高齢者世代に入った60代は若いといえる、年代的開きがあるらしいのです。

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