解放戦士之碑にはじめて参りました
|12年05月8日 |中島 |
7日、連休明けの月曜日です。
国民救援会から提起されていた、解放戦士之碑、への墓参とつどいの日でした。
事務所から、国民救援会の竹原さん、人権連の吉岡事務局長と車で高島方面を走り、喜楽の弁当を受取ります。そして、中原橋をこえ、有森裕子記念館を通り越して山の中を走ります。急に左に折れ曲がった山道、車幅と同じぐらいの道幅でしたが、それを150メートルほど上ると、竹内先生や中元さんたちが碑の回りの草を刈っていました。
1969年4月が建立と碑ににも、墓誌にも刻まれています。当時の人権にかかわる諸団体が一緒になって建立した、岡山市の市長が支援してくれた、と言い伝えられてきたことを私たちが聞く番です。岡映さんたちも墓標(プラスチックに名を刻んでいるといいます)が納められているといいます。立花一也先生などもよく掃除に来てくれていた、とも。
そんな話を聞きながら、虫類を追い払いつつも野外でいただく昼の弁当がなによりのご馳走でした。今後、4月28日をつどいの日にしようと相談でした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »