|12年04月30日 |中島 |
牡丹
28日、土曜日です。朝の8時に、東北に向かっているメンバーに電話すると、7時には盛岡インターを出て一般道に、そしてあと50キロです、と元気な声が帰ってきます。まずはひと安心。
この日は、原稿を書かなくてはという焦りがあります。しかし、午後から、岡山駅西口の国際交流センター8階の会議室に。原爆認定訴訟を支援する岡山の会第5回総会に参加です。はじめて入る会議室、広いのです。明石さんや中尾さんたちも参加されています。まず、「内部被曝の怖さと犠牲者隠し」と題して、琉球大学名誉教授の矢ヶ?克馬さんが講演。福島原発事故から1年を過ぎて、100年規模で放射能除染対策が必要だと認識されるほど、ひどい濃度の汚染にが明らかにされつつある、という認識を示していました。
海への汚染は、海底の泥、海水そのもの、魚貝類などに連鎖的に考えておかなくてはいけない、そこ物は特に気をつけないといけない、と。また、農水省は住民自らが測定することを批判したにこと対して、自分の食べ物を自分で守ることの大切さを強調。農作物の国の基準に対しても、要は命を守れる基準なのかどうかが問題、と強調されていました。
総会で近藤剛弁護士は、全国の原告が26連続勝訴していて、内部被曝についての十分な考慮がなされるべきと前進させた、しかし、国が認定にたいする新基準を設けて以降、段々と8000人の申請者を切り捨てている、裁判で闘わない限り救済しようとしない、泣き寝入りを期待しているかの如くである、と厳しく批判しました。
29日の日曜日、午後、自宅付近で火災が発生。市営住宅3階に住む方の部屋から失火。ななくさの利用者さんはこの2階からつい最近引っ越しをしていました。1階の方も水浸しとなってしまいました。火元とされた方、昔から知り合いの高齢の女性。今は一人暮らし。ご近所や町内会の方々、大勢心配でかけつけてくれていました。役所の住宅課も駆けつけてくれました。けが人が出なかったこと、不幸中の幸いとしなくては。
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|12年04月28日 |中島 |
ルビーのような輝きが
27日、あさ、歩いて事務所に。背中の方向から車のクラクションがなります。花田の健ちゃんの出勤の時間帯でした。市民農園あたりまで少し遠回りして花を探します。
事務所で雑務。9時過ぎには事務所を出て、市内の病院へ。後見しているKさんの転院の日です。まず、日常経費の支払い用に預けていたお金の清算、そして入院費用の支払をすませます。中堅とおぼしき看護師さん、転院された後も後見されるのですかと問いかけられます。はあ、そうする予定です、当方がこたえます。お世話になったケースワーカーさんの室にも出向いてごあいさつ。今後もなにかあればよろしくといわれる笑顔が、人柄をよりやさしく感じさせます。
医療療養型病棟がある病院に転院です。救急車を使っての搬送でした。当方は先に転院先のH病院にタントで到着。知り合いのケースワーカーさんを呼び出してもらいます。入院手続きと医療生協加入手続きなどをすませます。救急車が到着して、Kさんを4階の部屋に。そして、病棟の医師や看護師さんたちのステーションの中で入院生活案内というパンフをもとに説明を受けます。同意書もあり、3か所サインします。ここでもお世話になったケースワーカーさんの室に出向きますが留守、受付におられて、お礼を述べて帰ります。
そのあと早めの昼食。そして国民年金機構に出向いて育児休暇終了届をもらい記入の仕方を教えてもらいます。かるがもスタッフ、看護師のHさんが5月中旬から復帰です。書類を整えてこの日の内に提出、受取る方が早すぎるというのですが、預りそして提出とさせてもらいました。
宮古へ行ってきます
午後から、岩手県宮古市に救援物資を輸送する青年隊の出発式。たくさんの物資があつまり、車が予定したものより小型ということもあり、のせていく物資の選択。載せられなかったもの、運送会社から送ってもらうことに。中学生の男の子もいて、年齢は13歳、21歳、32歳、39歳、ほぼ同年代、そして61歳、という6人の面々です。2時前に出発式をして出ていったと思ったら忘れものがあったと帰ってきます。おいおい、大丈夫かと声をかけます。
事務所で少しゆったりと雑務など。夕方6時過ぎて30分ほど公園に出向いて散歩でした。禁煙して約10カ月、最近とみにお腹まわりがへっ込まない状態。歩きも含めて運動が足らない、という思いが、少しでも時間があれば歩こうか、と後押しするのでした。
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|12年04月27日 |中島 |
ぼたん、あでやかです。
26日、運動公園で早足で30分近くの散歩。汗がじわーと、という感じまで温もります。
事務所で雑務。明石さんが来館、前日の元衆院議員を囲む懇親会の様子などを聞かせてもらいます。母親の食料品を買い出しに西警察署のまだ西にあるスーパーに。当方本人用のレトルトカレーもゲット。最近、少し高級の部類に入るレトルトカレーを作業所の物品販売で買ってからなかなか美味しいものだと実感、それに近いものをさがしています。母親には、1/6に切ったスイカもアパートに持参です。美味しそうなさくらんぼ、まだ手をだせる値段ではありません。
事務所では、翌日の27日に、岩手県宮古市に出発する東日本大震災支援の青年隊、米や野菜を支援してくれる人たちのところに出向いて物資を整理しています。その構成で相談も。
NPOみんなの会の決算、監査、理事会、総会の流れで日程を組み立てていきます。当然対象の方々の都合も事前に組み入れていきます。そのひとつ、監事の方々に監査を受ける日程などもあり、Fさんがいる県商工団体連合会の事務所にお邪魔です。
夕方7時過ぎに事務所に帰ると、津山からきて宮古市への物資などを集めてくれたFさんが、瀬戸内市の役所の前の魚屋さんで仕入れたという御馳走を準備してくれていました。かつて、かるがものことでお世話になった青年も来てくれて、あなご、かつお、べか、鯛、そして干し肉などなどを、おいしく一緒にいただいたのでした。
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|12年04月26日 |中島 |
お寺の入口、さもありなん
25日の水曜日、朝はスポーツ公園で散歩。小学生たち10数人が競争するコースの中に紛れ込んでしまいます。内側を歩いていると、走る子どもたちは少しでも近く、早く走ろうとしてぶつかりそうな感じをうけるまで寄ってきます。
事務所で雑務。明石さん来館。前日、当方が出れなかった県革新懇会議、被爆者認定訴訟の裁判の動向など聞かせてもらいます。その後、ななくさ、かるがも会計入力のチェックなどで昼から税理士事務所の方が来られる、その下準備を。その関連で、ななくさの慎ちゃんが、預金通帳のコピーを持参してくれました。三戸さん来館、当方が推奨するダルマやまで足をのばして、やまかけ蕎麦をいただきに春日町まで出向きます。
午後から、税理士事務所のKさんが来てくれて会計チェック。3月末の決算、概算が出てきました。事業税など含めてトータルで100万円程度支払わなくてはならない、という結果です。税に関して、NPO組織は普通の法人と同じ。その点でいえば、社会福祉法人が羨ましくなるのです。5月は、その決算とNPO全体の会計決算、総会の準備、介護職員処遇改善加算の申請、ならびにこの間の支出報告、ななくさの更新手続き、など行政関係に提出する書類が盛りだくさん、なのです。少し気が重い時期でもあります。
夕方、少しゆっくりした感じで、県人権連事務局長との相談です。年間のとりくむ方針が総会で確認されたことを受け、年間計画などその具体化をはかること、事務所スタッフや三役、若者の役割と任務などが柱です。
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|12年04月25日 |中島 |
運動公園のはなみずき
24日、朝の散歩、6時過ぎには公園に到着。30分のフルコースでした。
事務所で雑務。みんながくる前の時間帯、管理人さんが相方を病院に連れていきます、と。事務所メンバーからも病院に行ってから事務所にいきます、という連絡も入ります。
午前中、NPOみんなの会が発行する「福祉マップ」の最終校正のために事務局メンバーが気ぜわしい。印刷・発行をお願いしているタイム工芸のSさんがよくよく目を通してくれて、足らない資料などを指摘してくれたといいます。
午後から、全国人権連の会議。地域と人権・全国版の印刷会社、大阪にある関西共同印刷からお二人が来てくれて、特に画像の鮮明さを焦点に、紙面と誌面をつくる上での問題点などを整理。専門的な知識、技量と合わせて、よりよいものをつくろうとする姿勢がチェック機能も含めて大きく影響する、と実感です。
数年前まで、月に一度朝早くから新幹線に乗って大阪のこの印刷会社の校正室に通ったこと、懐かしく思いだしました。帰りの新幹線で眠ってしまい気がついたら広島を過ぎていて、小倉で降りて一泊、朝早くひかりで帰ってきたこと、情けないけどそんなことが3回もあったこと、なども。
夜は、要求実現に向けた共同のとりくみを協議する会議に。全体の話をつうじて、当方には、どう次代につなぐか、小さなしこりのように胸に残るのでした。
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|12年04月24日 |中島 |
白いさつき
23日、いつものように朝の散歩を運動公園で。公園内では、桜では八重桜が残り、さつき、しろやまぶきなどの花が咲き始めます。
事務所で雑務。明石さんが来館。総会の翌日も仕事かな、という雰囲気です。倉敷の市長選、市議補欠選挙の評価話などになります。その後、竹原さんが事務所に立ち寄り、明石さんが節目の年を迎えたという話に。
ななくさに書類の届け物、天気が良く少し気持ちに余裕があったのでしょう、あるいて向かいます。日差しも強く暑さを感じます。利用者さんのY・Tさん、28日の家族会に娘さんが来られないこと、ごめんね、と声をかけてこられます。最近ななくさ付近に引っ越してこられたUさんはソファに気持ち良く眠っていました。まだ環境に慣れなくて夜の眠りが浅いのかなぁ、と思ったりします。
午後、NPO岡山人権研究センターの岩間先生と少し打ち合わせ。24日の夜の会議重なったので欠席を伝えていたのす。他団体から渋染一揆の現地視察の解説を依頼されたことなど、その事象の捉え方など変化が生まれてきているのではないか、などと。
その後、自立支援法訴訟の基本合意の実現をめざす岡山の会の事務局会議、レジメも用意です。6時には、事務局長の今岡さんが美咲町在住、訴訟の元原告の清水博さんと一緒に来館です。この日は4人会議。5月15日開催の準備です。団体要請、資料作成、当日の運営など役割分担も整えていきます。
清水さんが声が出にくいなど体調を崩して、いまは少し回復中という状態。東京などの会議や政府への要請行動、車椅子で参加することの積みかさねがこたえてきたか、という話にも。すこしぼちぼちの気持ちでやりましょう、と。今岡さんが、清水さんを美咲町まで送ってくれました。今岡さんが自宅に戻れるのは10時ころになるな、と思いながら、車まで見送りました。こういう支え、若い人たちにもお願いできたらと考えるのです。
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