母の日でした。
|12年05月14日 |中島 |
13日、小豆島から朝一番、7時出航の両備フェリーで新岡山港へ帰ってきました。愛車タントは長さ4m未満、料金は車代だけで片道5000円を超えます。岡山と四国間の料金と比較して2倍以上です。
自宅に戻り、朝風呂にゆったりと。缶ビール1本だけ飲んで朝寝です。午後から、事務所に出向いて、給与計算の再チェック。再計算して、プリントアウト。しかし、トナーがなくなった、取り換えを、という表示が。機器事務所でないと出来ないようです。前の計算書を利用して手書きでなんとか手直しします。かるがもに出向いて渡し物。その足でスーパーに立ち寄り母の日らしい買い物を探します。結局は食料品を母親に手渡して、自宅に帰ります。
そして自宅から歩いて、ななくさへ。給与計算書を手渡します。5時15分ごろでしたが、利用者さんが数人、スタッフも数人います。5時半に帰られる方、続いて6時に、という方、介助してもらつて夕食をいただいている方などもおられて、夕方ならではのゆったりとした時間を過ごされていました。そのうちのお一人Uさんと会話。目がみえんようになってなぁー、昭和6年生まれ、などと言われながら、当方にむかって若い人はええなぁ、といわれるのでした。母親と同年代のUさんから見ると高齢者世代に入った60代は若いといえる、年代的開きがあるらしいのです。
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