|12年05月13日 |中島 |
12日、車で直接事務所に。この日は、県人権連の第1回常任幹事会です。
10時開会ですが、距離がある県北の人ほど早くから来てくれています。途中、竹本さん宅に迎えに行ったOさんから、まだ新聞も手がついていない、などと連絡が金ちゃんを通じて聞こえてきます。安否が気になります。竹本さんの親戚にまで電話をかけたりしているときに、無事におられたということに。今度から、もっと身近な人の連絡先を知らせてもらっておこうということに。
会議は、第8回地域人権問題全国研究集会の参加体制についてもっと積極的にと、注文が出ます。青年が岩手県宮古市に復興支援で出向いてきた報告もみんなの気持ちを膨らませての話になります。
この日は、釣りクラブの例会。夕方から海に。7時半ごろにやっと暗くなります。その海は静かで条件はまあまあというところでしたが、ポイントの選び方に執着がないコンビで行った結果は正直なもので、二人とも12人中、10位と11位、という結果でした。当方がもって帰ったのが5匹で、11位、ブービー賞でした。
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|12年05月12日 |中島 |
シャクナゲですか
11日、朝、いつもより少し遅く起床だったので散歩もせずに事務所に。
事務所で雑務。事務所メンバーに前夜の会議など最近の取り組みのことを聞かせてもらいます。スーパーに食料品を買い出しに走り、2週間ぶりに母親に届けます。ちょうど介護保険要介護度認定のための調査の方が帰られたばっかり、と言います。良い人だったよ、と母はいいます。が、さて介護度がどう出るか、それが心配です。
事務所に戻ります。ちょうど青年たちが、ななくさスタッフ募集ビラを新聞折り込みにもっていってくれる時でした。地域の販売所で入れてくれていたものが、今は折り込みセンターまで行かなくてはならなくなった、と。当新聞社のモットー、地域密着の姿勢から離反しているのでは、と思ってしまいます。
三戸さん来館されて、第8回地域人権問題研究集会参加を募ることでの相談に乗ってもらいます。在来線で京都まで行くのには無理があるようで、新幹線利用とならざるを得ないようです。JRがなるべく新幹線を使わそうと意図している結果ではないか、と思うのですが・・・・。
午後から、林病院の患者中心の委員会で、病棟内をグルりと廻ります。この日は、1時間もかかりませんでした。一緒に回る人によって、施設の見方が違う、意見書についての吟味、対応も違う、という感じです。
夕方から事務所で、社会進歩につながる諸活動に若者をどうつないでいくかの会議。そして、ななくさ、かるがもの給与計算入力。4月分から、時給アップ、基本給アップ、などもあり、その反映が今回の給与から発生します。まずその基礎的なものの入力から始めます。それが、なかなかすぐにはいかないのです。あちらこちらクリックしてやっと見つけました。そのご、個別のスタッフの労働時間数、手当などを入力していきます。ほぼ、出来たという段階までやってから帰宅。いつまでこういう任務やれるの、やるの、と考えてしまうのです。
自宅に帰ると孫たちが夕ご飯を食べに来ていました。2歳の弟のほうは、当方をたたくことで喜んでいます。段々と痛くなるほど力を込めてたたくのです。怒るわけにもいかない状況、子どもたちだけでなく様々な場面でもそんな難しい役割もままあるもの、と思ってしまいます。
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|12年05月11日 |中島 |
運動公園のツツジ
10日、公園での朝の散歩を20分ほどで切り上げます。
事務所で雑務。後見しているKさんのことで行政機関と連携のやりとり。その後、岡山ハローワークの求人の窓口に。20分ほど待って対応してくれました。ななくさ、かるがも、二つの小規模多機能ホームの、看護師、介護士さんの募集です。前回の資料をもとに作成してくださり、申請した月と合わせて3か月間が有効期間ですと念を押されます。7月31日までということで、それ以降も引き続き募集する場合は電話をすることに。
そして、せいきょう駅元診療所で8週間に一度の診察。かつてから馴染みの事務長さん、6月から別の診療所に移動するとごあいさつでした。処方箋をもって虹色薬局で薬を。その時、4月から義務付けされたと説明を受けて「お薬手帳」もいただきます。震災の時、個人のデータなどが失われたことを教訓に、個別に薬を管理するデータを持っているべきというもののようです。
そして、銀行に出向いて後見しているKさんの介護保険料、5月、6月分の支払いをすませてから昼食です。西口の、蜂の巣、の幕の内弁当をいただきました。
自宅に帰って30分ほど横になって休憩。事務所に戻って、後見にかかわる事務整理です。5時を過ぎてから、求人があるのを聞いたのですが、と電話が届きます。この方は、住まれているのが南方面なので、かるがも希望でした。
夕方から9時過ぎまで会議。情勢をつかみ自らの課題としてこなしていく、そのことを通じて自らに関連する組織的なとりくみが社会的連帯を醸し出すものにできるか、問いかけての参加です。自宅に帰って、2本の缶ビール。コップ一杯目のなんとうまいこと・・・。
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|12年05月10日 |中島 |
ぽつりぽつりと開き始めました
9日、朝の大きな雷で早くから目が覚めます。散歩もままならず、車で事務所に出かけます。
事務所で雑務。明石さん来館、原発問題は根本から考え直すべきという内容でインタビューを受けている作家の高樹のぶ子さんが一面に載っている革新懇新聞を持参してくれます。そして新聞の役割などが話題になります。その後、県人権連の事務局会議です。東日本大震災復旧支援に4月下旬に岩手県宮古市にいってきた青年の報告などを感想も含めて聞かせてもらいます。仮設住宅での生活は、鬱屈があり住民同士のきずなをつくる上でも多くの課題がありそうです。政治が苦しめていては話にならないのではないか、税と社会保障一体改革などはその典型では、などと話題にもなってきます。
午後から、林病院に。林友の会の幹事会です。総会を19日の土曜日に控えて、その議案などの審議が中心。事務局長が定年退職になることを受けて相談活動を継続、強化する課題が話題の中心になりました。組織的信頼の力と個人的能力、その評価と二つの関連についていつの時代も何かと話題になりますが、組織に引き継ぐ上で原点で論議することが必要だろうと改めて感じるのです。
夕方から、ななくさ会議。7人の会議でした。4月分の介護報酬なども計算してくれていて、職員処遇改善加算なども利用者さん負担も含めて、実質計算した額の話題になります。ななくさの目の前に引っ越ししてきた利用者さんたちの状況も出し合われ、小規模多機能といえども、利用者さん中心に据えたとりくみを継続してきたからこそ出来得た決断だと、互いに確信を持つ話しになります。6年目の更新手続き、スタッフ募集、サテライトの設置計画なども重要議題として論議されました。
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|12年05月9日 |中島 |
てっせん、ですか
8日、朝の散歩も省いて、早めに済生会病院に。カードを挿入して受付をすませてから、蜂の巣という喫茶店でモーニングをいただきます。この日の一番のお客さんとなりました。
3階の眼科で、女性による視力検査ののち医師の診察室に入って眼圧の検査を。右、左、どちらも眼圧は、17。次の診察、8月1日には視野狭窄検査をしましょうと言われます。緑内障にかかわる点眼の薬、2種類をそれぞれ3本をもらって合計4200円余りの支払でした。
10時前には事務所について雑務。県政にかかわる会議と、かるがも会議の諸準備も。三戸さん来館されて、京都での「第8回地域人権問題全国研究集会」への参加と岡山から集団で行くための準備などで相談です。かつて県庁で勤務されていた方が自転車選手のような姿で来館。20数年前にヨーロッパを一緒に旅した方ですが、昨年、イタリア、スイス、オーストリアを一人旅してきたと話されます。互いに懐かしく思い出すことが出来る共通の知り合いもいて話は弾みます。
午後からの会議で春日町の勤労者福祉センターで。急いで昼ご飯ということになって、ダルマやのやまかけ蕎麦を。冷たいもの、と言わなかったら、熱い方が出てきましたがそれはそれで美味しかったのでした。
県政にかかわる会議をすませて、商工団体連合会の事務所に。15日の「国は基本合意を守れ、岡山フォーラム」で、水俣病の認定問題にかかわって署名をさせてほしいという話も。
夕方、6時からかるがもの会議。7人会議でした。かるがもだより№18を見せてもらいます。会議での論議、特に年間計画の策定、諸規定など書類の整備、スタッフ間の連携と自覚的な成長を促す研修の課題など、段々と連携ととりくみの内容において高まりをかんじるものになってきました。
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|12年05月8日 |中島 |
解放戦士之碑をバックに
7日、連休明けの月曜日です。
国民救援会から提起されていた、解放戦士之碑、への墓参とつどいの日でした。
事務所から、国民救援会の竹原さん、人権連の吉岡事務局長と車で高島方面を走り、喜楽の弁当を受取ります。そして、中原橋をこえ、有森裕子記念館を通り越して山の中を走ります。急に左に折れ曲がった山道、車幅と同じぐらいの道幅でしたが、それを150メートルほど上ると、竹内先生や中元さんたちが碑の回りの草を刈っていました。
1969年4月が建立と碑ににも、墓誌にも刻まれています。当時の人権にかかわる諸団体が一緒になって建立した、岡山市の市長が支援してくれた、と言い伝えられてきたことを私たちが聞く番です。岡映さんたちも墓標(プラスチックに名を刻んでいるといいます)が納められているといいます。立花一也先生などもよく掃除に来てくれていた、とも。
そんな話を聞きながら、虫類を追い払いつつも野外でいただく昼の弁当がなによりのご馳走でした。今後、4月28日をつどいの日にしようと相談でした。
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