|10年07月31日 |中島 |
30日、朝、事務所のパソコン、メールとインターネットが立ち上がらない。結局、事務所全体のルーターの電源を誰かがオフにしていたのでした。
10時5分の備前三門駅から岡山駅に、竹本さんと待ち合わせて、10時26分のヒカリで新大阪まで。竹本さんは、お母さんをななくさに、2泊させてもらったので参加できたと言います。
大阪では、全国人権連の会議です。来年6月、和歌山・白浜町開催の第7回地域人権問題研究集会についても論議です。メイン講師に関連して、最近読んだ、新日本新書から発行の張本勲さんの本の話も出てきます。夜は、マスコミ関係者との懇談会。山陽新聞の大阪事務所からも参加してくれました。日ごろのお付き合いの成果です。
この夜は、その後の誘いも断って、9時過ぎにはベッドイン。前夜、夜中の3時半、枕元にムカデが出てきたこともあり睡眠不足でしたが、一気に取り戻した感じでした。
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|10年07月30日 |中島 |
29日、朝はかるがも会計の入力でS長さん来館。
午後、旭東まで。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部の総会に出かけました。本部会長の柳河瀬さんの「同盟運動を国民的運動に発展させよう」という講演を聞きたかったのです。柳河瀬さんは、治安維持法で直接弾圧された経験がない方ではじめて会長になられた人、と言われます。
講演は、今日の政治状況とあわせ世界的な視野での平和と人権にかかわる動向から始まりました。ドイツでは「包括的名誉回復法」、スペインの「歴史の記憶法」など歴史の清算の進め方についても詳しく報告。国会請願署名、国会請願、地方議会の意見書採択を3つの柱として取り組んでいく、そのために国民的運動へと発展させよう、と強調されました。
総会参加者には、県本部初代会長の青井憲一さんの遺歌集「茜空」なども参加者に配ってくれていました。
夕方、事務所に帰って、かるがも会計のチェックでした。ちょうど、ななくさのケアマネの池田さんが立ち寄ってくれて、9月にかるがもへの実地調査や、認知症の人と家族の会のアンケートなどについて懇談でした。
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|10年07月29日 |中島 |
28日、朝はやく車で配達のひと仕事。ちょうど火事で亡くなった正司さん宅の前も通ります。全焼・・・、真黒になった部屋がむき出しです。
この日、民主会館の事務所に大勢のひとが集まってきました。正司武雄さんの葬儀・告別式に参列してくれるメンバーです。11時過ぎに、葬儀会場の集会所に出向いて、受付を手伝います。黒い服をきているので、いっそう蒸し暑いのです。家族葬としていたのですが、ご近所の方、運動でつながりのあった方など大勢参列してくれました。
昼から、革新懇の交流会へ。講師の荒川さん、4年前の岡山での全国革新懇交流集会前に来ていただき、その提起を受けて、三門のとりくみも革新懇でひろげていけるのでは、と確信したことを思い出しました。
この日、荒川さんは、「希望ある新しい日本へ」と題しての講演。国の政治を変えることは国民の仕事という主権在民の立場、このことと革新懇運動は合致している、と切り出しました。討論で、美作革新懇の中西さんは、消費税問題で津山市内でのサイレント行動を引き続き展開していること、岡山の氏平さんは合併地区での課題を革新懇運動で取り上げていっていること、などを報告されていました。
その荒川さん、29日は高知へ行かれるとのこと。岡山で泊られる機会を有効にと、いうことで、革新懇運動の広がりにかかわって懇親。参加者のなかから正司さんにはお世話になったという話も出てきました。
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|10年07月28日 |中島 |
26日、朝、「働くルールを確立し、就職保障と人権を守る県連絡会」の事務局長が来館。来春の高校生の就職にかかわる情報について、昨年度より2割ほど就職希望者が増える予定なのに、求人は逆に2割少ない、という現状だといいます。県教育委員会との懇談など、当面の課題を論議。
かるがもに10時半ごろ到着。当方と同じ年生まれの男性職員と話し合い。26日から働いてくれている男性は、昼食の準備。豚の生姜焼きの美味しそうなにおいが漂っています。そうしているうちに、N原さんが来られて利用者さんと自然に融け合う感じでテーブルを囲んでいます。当面火曜日、ボランティアで活躍してもらっています。
この日、25日に亡くなった正司さんの葬儀について連絡したり、問い合わせがあったりでした。その中のひとつは、馴染みの弁護士さんとの話。正司さんが亡くなったことは、人権連組織にも大きな影響が必然的に生まれてきます。
夜は、要求運動にかかわっての集まり。消費税問題で学習会を協同して開くこと、10月岡山で開催される自治体問題全国研究集会を成功するためのとりくみを強めること、などを論議。その後、28日の正司さんの葬儀のために津山から来られたFさんと久し振りの懇親でした。
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|10年07月27日 |中島 |
26日、朝事務所に出かけ、昨日の火災、正司さんが亡くなったことを何人かに連絡。9時過ぎに、H氏と現場に向かう。警察と消防による現場検証が行われていて、その対応に追われている遺族の方に打診。終わり次第、葬儀などの打ち合わせをしましょうと。
住宅に付設する集会所で待つこと1時間余り。長男、次男の方は家族葬をさせてもらいたい、という趣旨でした。遺体解剖、火葬などを行った後で告別式となる、だから28日が告別式。お寺さん、葬儀屋さんなどとの連絡なども含めてそれぞれの役割の確認でした。
そのあと、H氏の車でお寺さんにまで。ご住職の奥さんが対応され、檀家であることは間違いないこと、火災で亡くなったと言うと、まあーあの火事・・と驚かれていました。
この日は、岡山市民劇場の「父と暮らせば」が最後の公演日。それよりも、人権21に連載する原稿が遅れ遅れになっていることが気にかかります。夕方の懇談を終えてから、「全国研究集会の成功をうけて」というタイトルの1000字足らずの原稿を仕上げ、メールで送ったのです。
最近、夜早く寝てしまうため、夜中の2時前後に目が覚めます。その習性をりようして本に目を通します。この2日間は熊谷達也著の「モラトリアムな季節」。彼の自伝的要素がちりばめられているようです。19歳、20歳ごろの青春時代の苦い思い出を50数歳になってふりかえる、という流れ。仙台を舞台に、蝦夷とか、同和問題とかも挿入されていても素直な感じでよみとれる内容です。この単行本も、県立図書館で借りました。
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|10年07月26日 |中島 |
25日、朝、図書館で借りている小説を読み終えて、ゆっくりしてから事務所に。
昼からの、学びのひろば、学習会会場の図書館に出かけたが、日曜日いつも使われていた県庁2階の駐車場が閉まっている。図書館の駐車場までいくと渋滞が出来るほどの駐車待ち、こりゃダメだわ、とひとり心のなかで葛藤しながらで決定。小畑先生の話を聞きたいという心残りより、暑さにまいりましたという気持ちの方が勝ってしまった。
夕方、5時30分、自宅に電話。近所が火事だと。H氏とななくさなどから併せて3本かかってきました。バイクで駆けつけてみると、民主会館でながく役員をされていた、正司武雄さん宅が燃えている。残念ながら、遺体で見つかった。
7時半ごろやっと駆けつけた次男の方の話では、ガスコンロも自動で消化するものに変えたばかり、この日は4時ごろまで一緒にいたといいます。岡山市の住宅課の職員の方々も、住民からの通報で急きょこられ、対策を地元町内会長のH氏などと打ち合わせ。
正司さんは、かつて岡山市中央町にあった解放会館時代から、解放運動の専従をされ主に会計の仕事をされてきた。香川県の運動にも援助され、そのメンバーから慕われていました。同時に、瀬戸の野村さんたちと日朝協会の重責も担ってこられた方でもあります。85歳でした。
警察での検死、家族への事情聴取などもあり、告別式の日取りなどは未定です。合掌。
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