連絡の一日でした
|11年01月24日 |中島 |
23日、花田達明さんの訃報を聞いて、朝から花田家に。10時前に白い車で達明さんが到着。用意された布団の中で眠っているようでした。葬儀の日取り、会場などを打ち合わせします。家族の意向も、達明さんが生涯をかけた運動の中心舞台となった地域で、その地域の人々が参列しやすい条件を第1に考えていきます。その結果、達明さん自身がこれまで大勢の人の葬儀を準備してきてくれた、集会所で執り行うことに。
ななくさの、管理者・住宅Mさん、ケアマネの池田さんも線香をあげに立ち寄ってくれました。この日、韓国商工会議所が企画した、蓮池薫さんの講演会、当方が行く予定にしていた参加券を三戸さんを通じて別の人に参加を願う。三戸さんから、駅元診療所の元事務局長が亡くなって、葬儀も同じ日になったと。
午後から、葬儀の業者の方がこられて、諸準備の打ち合わせ。骨壷や遺影、柩など一つひとつの積み上げで料金も積算されていきます。お寺さんとの電話のやりとりもあって、日程も確定。
事務所に出て、訃報の連絡用紙をつくり、主だった団体にファックスで送付。また、個人にも電話で。岡山大学部落問題研究会OBにはA枝さんから連絡してもらうことに。連絡を受けた方から、問い合わせなども数件ありました。
夕方、改めて、花田宅へ。もう一度線香をさして、改めて達明さんの顔を。人権岡山のメンバーと打ち合わせでした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »