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テレビで広島・平和式典

|09年08月7日 |中島 |

6日、広島へ原爆が投下された64年目の日。事務所で平和式典の様子を見る。子どもたちの発言には毎年感動する。いつまでもその気持ちを引き継いでいける世の中にしたいもの、とも。
その後の総理発言はしらじらしい、と思ってしまう。核持ち込みの密約があれだけ騒がれているのに、ひきつづき非核3原則を堅持するとのべるくだりで。

この日は、多くのメンバーが広島の原水爆禁止世界大会へ出かけています。当方、昼間に駅元診療所で診察、その後県立図書館へ借りた本の返却。後は、7日夜に津山に出向くその準備。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 1 »

コメント 1

  1. 江見公男 Says:
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    僕は、昭和20年9月2日生まれで、戦争を知らない子として、現在63才の人生を生きております。戦争の事は、父(中国、歩兵、衛生兵、伍長、戦争で、人を殺したか?と聞いたら、無いと言った。)、母(B29が、空を飛び、僕の兄が田んぼの中を、走って帰る時、怖かった。親戚からの帰り、岡山県トラックの荷台に、積まれた上。臨月の母は、終戦を知った。僕は、母のお腹の中て゛ある。また、岡山空襲の日、夜空が、まるで花火を見ているようだったと言った。)…僕は、22才の頃から、組合活動の書記長をしており、原水協と言う、核兵器撲滅運動団体にはいり、8月6日には、広島大会に参加していた。各、文化会に別れ、他県の青年、男女と5時間くらい、討論した。原水協と原水禁の2つがあり、何故か、その団体の行動は、それぞれ別だった。ところが、一度だけ、原水協と原水禁が、一緒に行動したのだ!それは、嬉しかった。1+1=2 では無く、3、4、5 の、エネルギーを感じました。戦争を知らない人間ですが、8月6日、8月8日(広島、長崎)には、黙祷し、若者たちには、被爆、犠牲者のお陰さまにより、現在の自分がある事を、知らなくてはならないと、話しています。映画、黒い雨、はだしのゲン、見て下さい。

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