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かるがもだより№4

|11年02月6日 |中島 |

かるがもだより、№4

かるがもだより№4が届きました。写真がいっぱい、利用者さんたちのイキイキとした様子が伝わってきます。

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平等権と連帯、大勢のひとと一緒に考えました

|11年02月6日 |中島 |

5日、歩いて事務所に。途中、三門駅前のパン屋さんへ。夕べから会館に泊っていた津山のFさんにもおすそ分け。

10時30分には、そのFさんの車で事務所を出て、倉敷市芸文館の別館へ。大山名人記念館の向かいでした。駐車場に難儀しますが、会場近くの有料一時預かりに入れることが出来ました。荷物を積んだ、金ちゃん運転の車は、芸文館の許可書をもらっていました。

NPO地域人権みんなの会主催の「人権問題を考える学習集会」、1時過ぎには、次々と参加者が集ってきます。最終的には75人が参加してくれました。

当方から講師の吉野先生の紹介も兼ねた主催者あいさつ。この日古希を迎えられた記念日だということも披露します。

吉野先生は、「市民の平等権と連帯を考える」と題して、障害者の権利保障を求める運動を通じて、の内容で講演。パワーポイントを使って、まずは、事故で片足の障害を持つにいたったことなども含めて本人の生い立ちから。

そして、障害者のぶつかってきたバリアについて、「普通でない」という捉え方、訓練や治療可能な者だけを対象とする「適応主義・能力主義」などがあったと。特に適応主義は、1960年代当時の障害児施設内でもバリアーを改善しない、それは社会に出ると一杯バリアがあるから訓練しておくんだ、という風潮が強かった、などと施設の寮母さんとして働いていた時の経験も含めて述懐。

苦しい経験を経ながら、母親たちの義務教育実現向けて取り組んできたその要求の根源にも触れながら、一つひとつ教育を受ける権利を実現させてきた道のりを解説されていきます。そして、権利保障を求めてきた原動力を、情動の共感→権利の共感→要求の共有→運動→連帯して制度づくり、であったと。

最後に、障害者自立支援法違憲訴訟のたたかいを通じて、一旦引き下げられた権利を回復していったと。そして、共感と願いの共有をのもと、願いを実現させるために、指導者(政治家)を選ぶ権利の行使が特に大切だと強調されました。

討論・意見交流も4人の方が参加してくれました。障害を持ちながら企業で働く嘱託職員の切実な悩みの解決には、地域を含むまわりの方の障害に対する理解が一番と。障害児親の会の代表の方は、障害者、の表記について、障がい、障碍、というながれもあるが、障害は社会によってもたらされたものであり、本人が障害を生み出しているのではない、その理解が大切だ、と。初めてこういう集会に参加された方、吉野先生の教え子にあたる障害者運動のリーダーなどからも、それぞれ発言。「一緒に考えてみませんか」と呼びかけた内容に相応しいものにみんなでしてくれました。

終えて、吉野先生の古希を祝う記念写真会。この看板は医労連がカンパしてくれました。教え子のみなさん方からも花束などが。NPOみんなの会の猶原さんも長年のお付き合いの先生に気持ちを込めて、パシリでした。

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