|10年07月25日 |中島 |
24日、結局前の日は家での風呂に入れず、朝早く、風呂に入りに。いただいた優待券を活用させてもらいました。コーヒーと軽い食事まで付いていました。ラッキーと言う感じ。9時前には事務所について、雑用、雑読。少しだけ原稿にとりかかりました。
昼すぎてから、かるがもへ。食事を中心に担ってくれる方の募集にかかわって面接。それが終わって、一端帰ってまたかるがもへ。午後5時過ぎから、今度は女性との面接。トータル3人の方が応募してくれました。終わった後、3人の常勤の方との会議。事業所が求めている条件と就職を希望されている方の条件をすり合わせて、お願いする方を選択しました。
その後、週に一度ならお手伝いできるよ、という方からも連絡あり、それも有難く受け入れることにしました。
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|10年07月24日 |中島 |
23日、暑さと混み合う事態をさけて、朝早く倉敷市民会館へ。7時過ぎではまだ入り口に鎖が張られている。目の前の、ジョイフルに入ってモーニングサービスとスープをいただいて1時間余りを過ごさせてもらった。ちょうど手にしていた「福祉のひろば」を一通り読める時間でした。
お店に気兼ねして8時30分には出て、近くのアイビースクウェアから美観地区へ散歩。9時30分に市民会館にもどり、倉敷人権連と倉敷市との懇談会でした。話の中で倉敷市の特定団体への補助金支出の件が、週刊金曜日の読者会でも批判を込めて大きな話題になっていること、運動団体の自立の観点からもそれを阻害するもの、ましてや市民から見て到底納得できない代物、などと指摘しその是正を求めました。
帰り路、倉敷市と岡山市のちょうど境にある喫茶店、アーリーバードへ。当方はハヤシライスを。Y君が食べるオムライスも美味しく見えてくるのです。
事務所に帰って、ななくさ会計の6月分のチェック。そして、民医連への報告など。朝早かった分、早く横になりたい感じでしたが、自宅のふろが改修中、帰っても風呂に入れない、どうするか幾分迷ってしまったのです。迷子の子羊さん、という感じでした。
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|10年07月23日 |中島 |
22日、朝はななくさとかるがも会計入力に、S長さん来館。いつものように午前中頑張ってくれました。
午後から、地元公共施設、運営委員会の部会。前館長さんが持参されたという桃をむき、一人ひとりお皿に盛ってくれていました。会報の内容を精査です。「不審者にきをつけよう」という記事について論議が。あいさつに対する反応で不審者かどうかがわかる、などの世間的な話も。当方は、あいさつが身の防御のため、といのではあまりにも寂しい、こどもは地域の宝、という観点での整理を、と。検討いただくことに。
この会議に出ていたMさんから相談。内容は別にして、車の免許を返上したことによる不便さがあればいつでもどうぞ、と声をかけました。
途中、シベリア鉄道にのっている三戸さんから電話。バイカル湖がきれい、という話。ついでに、日本の政局が大きく動いたのか、という問いかけも。KGBの誤報だろう、と冗談も。
夕方、かるがもへ。食事を中心に働いてくださる方を募集。それに応募された最初の女性の面接です。はきはきされている、栄養士の資格あり、とこちらからは好条件の方ですが、本人からは働く時間や仕事内容などを検討させてほしいということに。
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|10年07月22日 |中島 |
21日、朝早く協立病院へ。駐車場ですこし時間をつぶして7時40分ごろに院内に。健康診断の受け付けでは、すでに1番札がなく、当方は2番。8時20分ごろから呼び出しがあり、若い女性から「名前をいってください」といわれる。そう、最近は人の間違いがあってはならぬ、ということを徹底しているんだった、と思いはしたが、言い方が事務的。書類に向いたままとりあえずという感じ。担当の人によって違うのだろうけれども。約30人ほどの方が健診を受けるのだから、手際良くというのが優先されるのだろう、と。
その点、問診、触診の年配の医師は親しみがわくような良い感じでした。まず顔をじーとみます。問診票を一通り見られて話をされてきます。触診では、子どもの頃の灸の痕を話題に。
事務所に帰って、軽く食事。その時から少し頭がふぁ、とします。バリウムを飲んでの胃の検査もしたので、お腹も一気にくだります。時にちくちくともしてきました。暑さと水分不足と下剤にまけたかなぁ、という気分。
午後からも食欲なく、事務所で関連書類に目を通し、来客の方々との懇談、という程度。来客のなかでは、5月29日に亡くなった前田さんの奥さんが人権岡山の事務所に残していた私物をとりに来られての立話。K末さんとは、前夜の会議にかかわっての内容で懇談。平和書房のAさんとは、8月から民主会館に書店を開店することにかかわつての話。
この日、財団法人・人権教育啓発推進センターから送られてきた「アイユ」に目を通します。このなかで、経済産業省が委託して、えせ同和行為対策セミナーが東京と大阪で開催されることが掲載されていました。講演はエセ行為にかかわる内容だけれども、同時に上映される啓発ビデオ「同和問題と人権ーあなたはどう考えますかー」は、今日的な部落問題解決の到達点からして的確なものか、という心配が惹起します。そういうこともあり、ここが発行する冊子、「同和問題と人権」、「平成22年版人権教育・啓発白書」を手に入れるよう手配してもらいました。
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|10年07月21日 |中島 |
20日、朝は事務所。山陽新聞1面の「公営住宅でのグループホーム」、毎日新聞の「在宅介護のモデルを発信」などの記事を話題に。
早めの昼ご飯、H氏と奉還町の手打ちそば「じくや」へ。この日で3回目。いわゆるざるそば(ここでは言い方が違う、それが口にでてこない)の大盛りを。細麺で美味しいからだろう、量が少し物足りない感じだが、それでよしとすることに。
午後から、NPOおかやま人権研究センターの企画・編集会議。玉島協同病院の道端医師の連載をブックレットにする計画も。理事会メンバーが集まりやすい会議設定も論議して、「人権21」の12月号あたりまでの主要な企画案も。論議の中で、私立高校の有名大学進学で特長をだそうとしている傾向、公立高校の合併と廃校に寄る高校生の負担増、なども出てきます。大学でも、東大、京都大学、東北大学の3大学のみ優遇していることとあわせ、「選択と集中」という言葉であらわされるような戦略が教育分野を襲っていると。
夜は、情勢の学習になる会議。暑いし、少し聞きづらいこともあり、意見は当方が言うほどの雰囲気でもなし、という感じ。翌日、健康診断のため、この日は9時までに食事を終えなくてはならない。終わって帰ると9時20分、それでも冷奴と冷たいビール2本でこの日をしめたのでした。
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|10年07月20日 |中島 |
19日、民主会館を出発して県庁に9時15頃到着。この間、運転してくれるMさんとは、一人頭でケースワーカーの担当する生活保護世帯が100世帯も超えている、ケースワーカーには原則と融通のバランスよいベテランの方がいいよね、などと。
人権連の旗を立てて待っていると金ちゃん・のんちゃん夫妻が。この日、ななくさに母親を送り出した、K本さんたちも集まってきました。出発集会では、東京からの通し行進者の女性、大越さんもあいさつ。小さな子どもさんも含めて200人以上はいたのではと思う行進隊がくめていました。
昼の休憩場所、奉還町のオルガ。冷たいお茶を接待してくれてひと休み。たまたま、座った向かいの女性から声がかかります。医療生協新聞を配布している当方の連れ合いをよく知っているとのこと。そして、ななくさのすぐご近所におられて医療生協の活動されていると言います。オルガでは、土屋さんから原爆投下後広島市に入り被曝された体験が話されていました。若い人たちが真剣に聞き入っている姿が印象的です。
午後、映画「必死剣、鳥刺し」を1000円で見ました。会場は小さく、県立図書館のシアターと同じ程度。客の中には、こんな会場だとわかっていたらよそにいくんじゃった、と係員にすてゼリフのひとも。音響は、昔の映画の感じ。時代劇にはちょうどよいのか。原作が藤澤周平だから映画もきっと・・・、とおもっていたのですが。殺陣がみもの、という感じ。
この日、駅の地下の本屋さんで、かつて図書館で借りた単行本が文庫本となって売られていた。それもよく目立つ所に。熊谷達也氏著の「箕作り弥平商伝記」。もう一度読み直してみた。大正時代、関東以南では、箕づくりが差別対象にされていたことにかかわる世間の様子、2000名の襲撃による世良田村事件などを想起する内容が、弥平という青年を通じてつづられている。しかし、内容は頑固でヒューマンな人柄を中心においていて、明るい。頑固も内容によっては共感を生み出す。いや、この点では頑固でなくてはならないのではないか、とも。
映画では期待外れだったが、もう一度読んだこの本で、この日なりの充実感を味わったのです。
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