|22年11月23日 |中島 |
2014/11/24 7:21
20日、日曜日。
いつもより早く、この日は朝陽が射す烏城を見てみようと後楽園あたりを散歩。いつものように新事務所へ。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この日は一日中事務所で書類などの整理、次の仕事準備の時間を過ごします。
21日、月曜日。
新事務所に。散歩の帰りに西崎食堂で朝ご飯。事務所に帰り雑務。みんなの家だんだんの管理者さんからの電話。この日の早勤のスタッフさんにコロナ感染が、というもの。通い(デイサービス)の再開日と決めていたもの、延期すること、スタッフさんが前日に対応した利用者さんを中心によく体調観察をしてもらうこと、などを話します。自宅に帰ります。従前から約束しているメンバーの車に乗って佐多岬まで。この日はテント生活でした。
22日、火曜日。
西宇和郡伊方町の昔の学校跡地(こうさぎ一年3組)、そこに張ったテントでの浅くて短い睡眠、少し重たい頭のまま起床です。車で川崎市に帰るという人たちを見送って、こちらのメンバー3人の車も帰路へ。バナナ館で甘くておいしい真穴みかんを探してみたり。途中、昔の川内町で年末に「みんなの会館」餅つき用のお米を積み込みます。夕方4時ごろ、自宅まで送ってもらいました。何人かの方たちに、2日間のお休み、無事に帰ってきたよ、と連絡をいれてみます。
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|22年11月20日 |中島 |
2017/11/15 11:29
18日、金曜日。
新事務所へ。雑務。歯医者さんに出かけます。先回の左下奥歯のフッ素コーテイング塗布、その効果はどうですか、と聞かれます。滲みるけれど虫歯にはなっていない、とお医者さんが言われるので、引き続きのフッ素塗布をお願いでした。30分は飲食しないで、と言われます。運動公園で短時間の読書。お腹が空いて、カツ丼のお店に。デミカツ丼をいただきます。脂肪肝のこと、ちょっと思い起こしたり。児島線に出て、釣り道具屋さんへ。飛ばし用の電気ウキ、結構なお値段なんです。あれこれ思案して結局はウキ3つと小物などをまとめ買いです。
新事務所に帰ります。みんなの家だんだんの管理者さんと打ち合わせ。訪問しての介護・生活支援でのスタッフさんたちの奮闘ぶり、利用者さんたちの状態を聞かせてもらいます。そして、コロナ感染状態、再確認。利用者さん、スタッフへの拡がりは一応止まったという状態にあると。最後の感染確認からの期間を数えて、感染拡大をさせないという安全性と感染した人たちの健康面、利用者さんたちの個別の生活状態も考慮して対応していくことを話し合います。21日の月曜日から順次、通いも再開していくことに。
19日、土曜日。
新事務所へ。7時半からは、三門革新懇の西崎大通りでのスタンディングです。この日は5人の参加でした。
自宅に帰ります。中島青年が、当方の母親を乗せて自宅へ。当方と連れ合いも同乗。津高方面で娘家族の車と落ち合って、山陽高速で姫路方面へ。姫路西インターで降りて姫路市街を東へ走り、市川を越えて播磨国分寺の交差点を南に。山陽本線の踏切で遮断機が下りている時間帯に、ちょうど居合わせた遠戚の高齢女性と車の窓を開けて、久しぶりと話します。そのあとすぐ墓参りです。50歳で亡くなった当方の父親の墓石に線香と花を手向けます。ワンカップも一つ。もう一つの墓所に向かいます。当方の母親の親族が祀られている墓石に花を。
岡山の自宅に4時ごろに帰ってきました。90歳の母親が数年ぶりに墓参りに出かけることができました。ひ孫たちも同行してくれて、孫たちに手を取ってもらい坂道も歩いて行けました。これが最後かも、と本人は言っていたようですが、まだまだ大丈夫です。
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|22年11月18日 |中島 |
17日、木曜日。5時起床。ぐっすり7時間の睡眠でした。朝風呂で身支度。新事務所へ。
前日の診察で言われた脂肪肝、この日も運動量を増やそうと朝の散歩コース、遠回りに歩きます。
新事務所へ。雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。感染したスタッフさんのこと、利用者さんのことに。高齢で入院している利用者さん、入院中は経管で栄養を摂る程度で食事をしないから、リハビリ病院で食事が摂れるようにならないと小規模多機能施設に帰ってくることは困難、などとききます。食べることにリハビリがいるんだ、そうなんだ、と。革新懇のニュースの話も。
民主会館へ歩きます。人権連事務所に立ち寄ると、もう青年とは言えないかな、真ん中世代の二人が頑張っています。明石さん、来館。県AALA連帯委員会の会費を持参した、と。まあ珈琲でも、と懇談です。もうすぐ91歳だから耳も遠くなっていますが、話し言葉の歯切れの良さは変わりません。春の地方選挙のこと、心配されていることが伝わってきます。12月3日の八鹿高校事件・学習会について、兵庫から前田さんが来るんだから出席するよ、と話していました。
明石さんと一緒に革新懇の事務所に。氏平事務局長と懇談です。この日は、毎月一度の革新懇デー、と決めた第1回目です。
人権連事務所でいたときに、法人のみんなの家の介護保険請求ソフトにかかわって、NDソフトから説明を受ける日程設定を民医連事業協のEさんから提案を受けます。
帰り道、住宅街にある畑の柿の木がたわわに、鈴なりの実に感嘆です。事務所に帰り道、ニシナで買い物。昼ご飯は野菜炒め。
午後、NDソフトの関連の日程設定を連絡して決めていきます。
2時過ぎ、運動公園へ。近くで髪をカット。10分余りで1200円。蔦屋で買い物も。
運動公園は、秋の気持ちよい空気を味わう人たちがゆったりと過ごしています。
新事務所に帰ります。みんなの家だんだんの利用者さん、Yさんが自宅にいない、行方不明なんです、と。管理者さん、もう少し様子見て警察に報告します、と。6時ごろ、Yさんが歩いていたところ住民の方が吉備津彦神社の交番に連れて行ってくれて、警察官がだんだんに連れてきてくれた、という報告。椅子に座っているYさん、こちらをみてにっこりと手をあげてよっ、という感じ。よく歩いたねというと、疲れたと。見つけてくれて交番に連れて行ってくれた市民の方、まただんだんまで連れてきてくれた警察の方たち、認知症の人たちへの理解が進んだのかな、みんな優しいね、と言いながら、管理者さんと看護師さん、Yさんに優しく対応してくれていました。
暗くなってから、また散歩。8時前に帰宅でした。
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|22年11月17日 |中島 |
2013/11/16 8:47
16日、水曜日。夜中2時過ぎに目が覚めて携帯を。1時半ごろの電話着信あり。だんだんの管理者さんからです。ラインを開けてみます。その話の要旨が書いてありました。前日に救急車で運ばれコロナ感染は確認されたものの、医師と保健所の入院は要しない、との判断でみんなの家だんだんに帰ってきた利用者さん、この夜に急変して、再び救急車で運ばれた、という内容です。
朝3時過ぎのラインで、病院に出向いているだんだんの管理者さんは4時ごろだんだんに帰ってくるとのこと。当方も3時過ぎに朝風呂を済ませて身支度中だったので、すぐにだんだんへ向かいます。
6時までの2時間ほど、その利用者さんをはじめみなさんのコロナ感染状況などを聞かせてもらいます。感染状況が変化していくこと、そのうえでの基本的な構えなども話し合います。
みんなの家ななくさの住宅さん、来所。だんだんの現状からして、17日の管理者会議はとりあえず延期しよう、と話し合います。今回参加してくれる予定だった社労士事務所も含め、関係者に連絡です。
コープ大野辻クリニックへはしります。検査結果などを聞かせてもらいます。脂肪肝の値が最悪ランクになっていると、医師が軽い感じで話します。今回で最後の診察。12月からお願いしようと思う新しい医院宛てに紹介状を書いていただきます。医師にはお世話になりましたと。職員には、頑張ってね、とあいさつでした。
午後、だんだんではスタッフ会議。まだまだ感染状況が止まったとは言えないので、警戒しながらの会議をしていました。終わるころ、顔を覘けて、新たな感染状況を聞かせてもらいます。
夕方、暗くなってからペンライトを胸に、脂肪肝対策、運動量を増やすことを念頭に散歩です。
泊り利用者さんがなくて、泊りで介護する任務の方がいない、だんだんをあとにして帰宅。こんなことはいつ以来だろうか、とふと考えてみるのでした。
睡眠不足なので、9時半には床にはいってすぐに寝落ちでした。
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|22年11月17日 |中島 |
ぜひご参加ください!
2022年度あなたとともに考える人権学習集会
今改めて「八鹿高校事件」を
今、比較的若い世代に、「差別は根強い問題」という視点で「部落問題」に関心が広がっていると評論する一面があります。
2016年12月、「部落差別解消法」が強行的に制定されました。「部落差別」を固定化してしまうと多くの国民と全国人権連などが反対でした。その後、全国的に自治体段階で「部落問題」を人権問題の中心とした条例もつくられたりしています。また、「全国水平社創立100周年」を一つの契機に、マスコミからことさら「ルーツ」を強調し、部落問題を疑似「民族」的に捉える傾向の報道が続いています。
部落問題は、特に戦後の日本国憲法の基本的人権を背景にした運動や行政的措置、民主主義教育の進展などで、社会的にまた経済的に解決段階にあります。近年、その到達点を無視し、かつての事象を今日的な問題のごとく取り上げる傾向が顕著になっています。また特に市民と野党政党の共闘のくさびになればという思惑に乗る形で、一部の団体に迎合し、政治的に「差別問題」を利用し利用されているのではないかと危惧する状況も生まれています。
インターネット上の書き込み問題では、差別的書き込みが蔓延しているかのごとく流布されています。しかし、「多くは旧来の差別的な視点からではなく、ほとんどが不公正な同和行政や横暴で欲得尽しの運動に対する批判的視点から投稿されている」、「差別的な書き込みは特別なサイトに限られていて、広範囲には及んでいない」のが現状です。
今回の学習集会は、1974年11月22日、今から48年前に兵庫県但馬地方でおこった「八鹿高校事件」を取り上げました。
「八鹿高校事件」は、日本の教育史上例を見ない集団暴力事件です。上映するDVDは当時の「部落解放同盟(解同)」と毅然と立ち向かった教師集団、先生を暴力から守ろうと立ち上がった生徒たち、そして住民の奥底の願い、それらを検証できる貴重なたたかいの記録です。連帯して解同の蛮行に立ち向かった年代の方たちだけでなく、当時まだ生まれていなかったみなさんにとっても必見の価値ありのドキュメントです。
戦後からの自民党政治は、積極的に部落問題解決にあたってきたとは決して言えません。右翼的政権ほど、分断と懐柔をもとに「差別」を政治的に利用してきます。それに踊らされる一部の組織、勢力も生まれました。今なお策動もあります。また、革新的立ち位置という政党でも、同和問題を特化する非科学的認識や「排外主義」を容認している現状もあります。これらに対して個人の尊厳、人権をなによりにという姿勢で対峙していく個人・集団も確実にうまれ成長し、解決への本流を担ってきたという歴史も真実です。
岡山県でも、「八鹿高校事件」を捉え考える機会は、民主主義教育の進展に積極的影響を与えました。部落解放運動へは「国民融合」理論や「部落問題解決」の道筋を明らかにさせていくことに寄与しました。
様々な影響を与えたこの事件を振り返り、今日の人権を考える機会にしていただきたいと思います。
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12月3日(土) 午前10時開会 12時まで
岡山県立図書館 デジタル情報シアター(定員82名)
岡山市北区丸の内2丁目6−30 参加費 500円
チラシを御覧の上、申し込みください。 2022.12.03.映画「八鹿高校事件」
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|22年11月16日 |中島 |
15日、火曜日。4時半起床。朝風呂で身支度。新事務所へ。まだ空に光が届かない時間帯、胸にペンライトをつけて高柳方面の散歩です。
新事務所に帰り雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。長年にわたり地域の活動をしてきた女性の利用者さん、私たちの先輩の最近の日常生活の状況など聞かせてもらいます。
救急車で利用者さんが運ばれたと聞いたので、みんなの家だんだんの管理者さんから、コロナ感染状況の報告をききます。この日は11月給与の支給日。吉岡理事、来所。事務局の安田さんと一人ひとりへの給与袋を。
歯医者さんへ。この日もフッ素を奥歯に塗ってもらって待機。終えて、運動公園へ出向き、近くの金融機関で現金を引き出し、スーパーに歩きます。秋深しの感を紅葉が示しています。青空に紅い、黄色いが溶け込むようです。
食材を買って事務所に帰ります。前日の残り鍋に新たに食材を投入して、昼ご飯です。
午後、だんだんの管理者さんたちと相談。朝救急車で病院に運ばれた利用者さんの対応についてです。岡山市の保健福祉局長に問いかけてみたり。
事務局メンバーから指摘をもらって法人の「地域人権だより№59」を校正。メール添付で民主会館事務局へ。
その後も、だんだんの泊り利用の利用者さんたちへの対応についての話に。感染を広げない、訪問介護を中心に利用者さんの生活支援を行うが基本。それでは生活ができない方たちのこと、頭によぎります。
7時半ころ、改めて管理者さん、来所。スタッフさんや利用者さんたちへの影響、総合的に聞かせてもらいます。
8時過ぎて帰宅。コロナに振り回されているな、と。
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