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朝日訴訟の会・第15回総会

|20年02月17日 |中島 |

朝日訴訟の会 15回総会

15日の土曜日。朝、いつものように新事務所へ。

みんなの家ななくさの住宅さん、来所。スタッフさんたちの体調のこと、きかせてもらいます。この日の午後の集会での、浅田訴訟のその後、を整理して印刷しておきます。

生協の冷凍食品をチンして、やはり冷凍のおにぎりも温めて、中華丼で昼食です。

午後から、岡山市北区津島にある旧・労金ビルへ。NPO法人朝日訴訟の会の第15回総会です。総会記念の講演は、「暮らしと経済研究室主宰」の山家悠紀夫さん。「日本経済30年のあゆみを振り返る(あわせて消費税の問題点をまとめてみる)」と題して話してくれました。岩波新書に、「平成を振り返る」シリーズが出版されている中で、山家氏の経済関係のこの著書は、「平成でなく、30年にした」と言われていました。経済での30年間は、世界史的な視野ではソ連圏崩壊後の30年であり、グローバル化時代、新自由主義の時代。日本では、バブル崩壊後の30年で構造改革(日本版新自由主義)の時代、そして消費税が導入され、増税されてきた時代だったと話されます。

景気動向指数、アベノミクス目標と達成できていないデータ、人々の暮らしの実態表、企業の経常利益と賃金の推移、賃金の推移の各国との比較、世帯収入と消費税負担率などの表やグラフを用いて、30年の日本経済を振り返ります。そして、賃金を上げること、社会保障を充実させること、消費税をとりあえず5パーセントに引き下げること、この3点が、暮らしをよくするための日本経済の復活をさせる基本だと締めくくりました。

総会は、朝日・小川賞を設ける具体化に伴い、朝日訴訟の会が事務局を担うことも提案され、全員の拍手で事業計画など採択されました。

浅田訴訟勝利のその後、生存権裁判、年金裁判、この3つににかかわる報告もありました。当方が浅田訴訟について報告でした。2020.02.15. 朝日訴訟の会で報告、浅田訴訟勝利のその後

終えて、瀬戸大橋をはしり与島まで。着いたのが6時。10時まで電気浮きと楽しみ、15から18センチの赤メバル4尾だけ持ち帰ったのでした。

 

16日の日曜日。朝、前日同じように池にパンを投げてやります。鴨が10羽ほどいます。そのうちの一羽が、他の鴨たちをくちばしでつついて追い返す、パンを独り占めしようとするのです。新事務所へ。

前夜の魚をパッパッパと捌いて、1合300円の高いお酒に浸けておき、しばしして醤油とみりんをたして、煮ます。少しからいので湯を足して再度煮ておきます。

吉備高原に走って、有志による丸一日の会議に出席。この会議の楽しみは、500円で買える大滝の赤飯弁当。小さなおかずがちょうど良いのです。

5時半過ぎに、新事務所に帰ってきます。朝、煮ておいた赤メバル、母親のアパートにご機嫌伺いを兼ねて歩きます。夕食を終えたところでした。あまりほしくないんよ、食べたいものがない、といいます。お医者さんに、もう少し我慢ですねと言われ時間が薬と思っているようで、こちらもそうだよね、と話します。

新事務所に帰り、届いたメールなどのことで少し事務整理です。

朝煮た魚2尾を自宅に持ち帰り連れ合いに食べてもらうのでした。

 

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一年ぶりに

|20年02月15日 |中島 |

2015/ 2/16 6:47

14日、金曜日。朝、朝風呂で身支度。歩いて新事務所へ。

雑務。この日はバレンタインデー、少しチョコをいただいたり。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。服薬のことなども話題です。この日は3つのみんなの家事業所の給料日。少しお手伝いも。11時に民主会館へ立ち寄り二人に手渡し。民主会館へのお客さんが多くて、車の出し入れ苦労します。そのあとみんなの家かるがもに走ります。帰り道、児島線にでてさらに西へ走ります。一年ぶりかなという感じで、栗原へ。鰻丼の、並み、をオーダー。亡きポン友は必ずご飯の大盛を頼んでいたこと、思い出します。この日、箸を一休みもせずに完食、ほんと、うまいのです。そこからの帰り道、大野辻のコープのお店で食料品を購入。支払い用の新しい器機を導入していました。

新事務所に帰ります。県商工団体連合会の福木さん、今月の純米酒頒布会のお酒4合瓶を持参してくれます。秋田県にかほ市の飛良泉(ひらいずみ)、滋賀県高島市のはぎの露、の二本です。この12日の消費税5パーセントにもどせの東京での集会と議員要請行動や3.13重税反対統一行動の予定などもきかせてもらいます。

母親のアパートへ歩きます。赤飯や干し柿、ミカンなどの食料を届けます。今回も「あんた、どないしょったんでー」という問いかけからはじまります。2日間訪問してなかったから、その間にあれこれあったこと話します。納得したようです。

新事務所に帰ります。翌日に開催される、NPO法人朝日訴訟の会の総会にむけて、資料をあれこれ集めて発言の準備でした。

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異常に暖かい

|20年02月14日 |中島 |

2014/ 2/15 7:11

13日、木曜日。朝、いつものように新事務所へ。

雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。4日ほど前に入院したみんなの家だんだんのSさんの状況も聞かせてもらいます。

前日葬儀と納骨を済ませたNさんのいた施設の生活指導員さんに報告の電話。残された衣類の処理などの件で改めて出向くこと相談です。

すこし書類の整理。経営状況のわかる損益計算書も打ち出してもらったり。11時半過ぎに出発、県立図書館へ。3冊返却して4冊借りてきます。県庁近くの王様ラーメンに行きますが満員でダメ、少し間をおいて今度は定食屋さんでカキフライ定食をいただいたのでした。

車のなかは気分が悪くなるようなあたたかさ。というより暑いのです。南区の中央卸売市場のふくふく市場で、つるし柿を手に入れます。岡南ハッピータウンの喫茶店アイスクリームが乗ったアイスコーヒーをオーダー。少し読書。4時半には、みんなの家かるがもに。職場会議に参加して、新年度からの体制について提案をします。

終えて新事務所に帰ります。JR吉備線で岡山駅に。確定申告自主計算のとりくみで津山から来てくれているFさんからその状況をきかせてもらいます。そして最近の組織課題などを話し合うのでした。

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互いにねぎらう

|20年02月13日 |中島 |

2015/ 2/13 17:32

12日、水曜日。朝、いつものように新事務所へ。

雑務。10日に、成年後見していて100歳10か月で亡くなった女性、Nさんの葬儀にむけて喪服に着替えます。納骨するための書類なども点検、葬儀会社に支払うお金も確認です。Nさんを長年ボランティアで見守ってきてくれたYさん、早く来てしまったと連絡あり。事務所にあがってもらい珈琲をおとして懇談。9時半過ぎに出発して葬儀会場へ。しばし待機、二日前に約束した時間、10時きっちりに葬儀費用を受け取られる方が私たちの前にこられます。支払って、Nさんが安置されている部屋に。みんなの家だんだんの池田さんが顔を覘けてくれて亡くなったNさんをねぎらい最後の別れを。Yさんともなにかと話されていました。11時に出棺。Yさんを助手席に、東山斎場へ、遺体を乗せた白い車のあとをついて走ります。11時35分に炉の中に。午後1時前に呼ばれて、死体埋火葬許可証と火葬場使用料1万円の領収証をいただきます。遺骨と対面。骨壺にお骨を入れていきます。骨壺を助手席のYさんにもってもらい、永代供養を事前に契約していたお寺さんに向かいます。本堂の奥の奥にまで入らさせてもらい、そこに骨壺を安置。位牌は後日持参しますのでよろしくご対応を、とお願いでした。

2時過ぎに新事務所にかえって来ます。少し休憩。斎場で必要だった後見人登記事項証明証、市役所の住民課まで出向いて返してもらいます。窓口担当の若い女性職員さんのねぎらいの言葉が心地よいものです。

4時半過ぎに新事務所に帰ります。市役所職員さんのねぎらいの言葉の余韻があるうちに、葬儀会社に電話して、お世話になりましたと伝えます。担当のスタッフさんたち、私たちには知るよしもない苦労もあるお仕事だと思いますが、心のこもった対応をいただき感謝なのです。頑張ってほしいな、という思いです。一緒に動いてくれたYさんともメールでやりとり、互いにねぎらい、そしてお礼でした。

 

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成年後見、葬儀前日

|20年02月12日 |中島 |

2013/02/12 06:52

11日、火曜日。朝早くから目が覚めます。建国記念の日の祝日。50歳で亡くなり、この日が、生きていれば89歳の誕生日という我が父親。戦前の紀元節の日に生まれたから、瑞穂、という名にしてもらったんだろう、と推測したり。朝風呂で身支度。まだ暗いなか新事務所へ。追い抜くとき、犬の散歩している町内会長さんと朝の挨拶です。

雑務。この日急きょ勤務となった池田さんに、依頼者が池田さんの昔からのお知り合いだったこともあり、成年後見していたNさんの死亡と葬儀のことなど、伝えます。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。みんなの家だんだんのスタッフ、女性のSさんが急きょ入院になったことで勤務の組み立て、何かと頭を痛めています。

前日亡くなった100歳のNさんが生前に用意した位牌を持って、仏具店へ歩きます。位牌の赤字をとり、位牌の裏に逝去された日と年齢(行年)を彫り込むという作業をお願いです。対応してくれた店主さん、「みんなの家」の介護のとりくみ、よくやってくれるという声、周りの人たちからよく聞きますよ、と。

安置されている葬儀会社に走ります。お棺に入っているNさんの顔を拝見、線香を手向けて合掌です。対応してくれる女性スタッフさんたちの心配りに感謝です。

新事務所に帰り、残っている野菜を鍋に放り込んで昼食です。

午後、Nさんが生前に永代供養をお願いし供養料を支払っているお寺さんに連絡をいれます。前日亡くなり、翌日がお葬式になったこと、お骨を持参させていただきたいことなどを伝えて了解をもらいます。

夕方、歩いて母親のアパートへ。サンドイッチとスープを持参します。3日ほど訪問しなかったからか、「どうしょん、忙しいんかな」と心配してくれていました。顔を見せるのが一番の薬かな、と思うのですが。

新事務所にかえって、テレビ、読書、書類の整理など。100歳で亡くなったNさんの経歴が載せられている書類などにあらためて目を通すのでした。

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100歳で逝く

|20年02月11日 |中島 |

2013/02/09 17:31

10日、月曜日。朝、連れ合いの車で勤労者福祉センター近くのパーキングへ。前日の夕方5時過ぎから停めて500円で済みました。新事務所へ。

雑務。協立病院から訃報。前日に救急で入院した100歳の女性、Nさんがこの朝7時41分に亡くなった、とHCUの看護師さん。10時までにそちらにうかがいます、と返答。かつてからNさんがお世話になっていた女性のYさん、葬祭会社、市役所福祉事務所、入所していた施設などに次々と連絡です。

みんなの家ななくさの住宅さん、来所。位牌の赤い字の抹消などのことなども話します。9時半に出発。協立病院へ。HCUに入って、すぐにYさんも駆けつけてくれて一緒に医師からの説明を聞きます。肺炎だったようです。10時半には葬儀会社の車が迎えに来てくれます。こちらも葬儀会社に出向きます。そこから、葬儀の仕方についてあれこれと話、結局葬儀は焼き場の関係で12日に。Yさんを協立病院まで送って、遅めの昼食です。

新事務所にかえって、雑務。3時から、みんなの家の3つの事業所の合同事務局会議。この日は9人の参加です。1月分の収入実績が、今年度初めて予算・計画額を超えてくれました。2月の状況も、みんなの家だんだんが25名の利用者さんになるということで、まずはホッと。

終えて、みんなの家かるがもの4人のスタッフさんたちと体制づくりなどの話に参加します。

6時半過ぎ、もう一度、葬儀会社のホールへ。担当の方に成年後見している「登記事項」証明書を手渡します。2階に上がって、安置されているNさんの棺から顔を見せてもらいます。100歳の人生をいかに過ごしてきたのだろうか、手を合わせながら偲び、冥福を祈るのでした。

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