|17年02月10日 |中島 |
9日、木曜日。朝、連れ合いに車で送ってもらい新事務所に。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この数年間の職場会議などの会議レジメを綴った書類を持参。総括の柱などについて認識を深めます。事務局の安田さんも含め短時間の打ち合わせ。
母親の食料を買出しに、大安寺の八ッビーズにはしります。母親のアパートに届け、短時間の会話。部屋のエアコンを替えてくれた、という話から岡山に来てもう10年目になったよ、と。85歳を目前、うーむ、と考えるのです。
昼ご飯、八ッビーズで買ってきたチキンカツをメインに、おにぎりを温めていただきです。
午後、岡山医療センター、国立病院へ。今回はお見舞いです。その時間、ちょうどお医者さんも回診で来られて、退院日も決まりほっとします。
帰りに寄り道、運動公園に出向むきます。
新事務所に帰ります。タントで住宅さんに助手席に乗ってもらい、みんなの家かるがもに走ります。ほぼ全員のスタッフさんが参加してくれています。民医連共済にかかわる説明です。
新事務所に帰ると5時40分。雑務。そして7時半過ぎて帰宅。連れ合いの帰宅とちょうど一緒。買ってきてくれた焼き鳥、こちらが前日手に入れた山珍の豚まん、これらを温めてもらって、控えめのビールで夕食でした。
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|17年02月9日 |中島 |
8日、水曜日。朝、新事務所に。
雑務。9時20分ごろ、タントで出発。岡山県庁へ。
一階の県民室で待ち合わせ。県人権連の三役メンバーが集まります。短時間の打ち合わせ。その後、歩いて相生橋を渡り、三光荘へ。
県の人権推進課、人権教育課の方々との話し合いです。「部落差別の解消の推進に関する法律」が2016年12月9日に国会で可決、12月16日から施行されたこと、その法と付帯決議、岡山県としてはいかに受けとめ、どのように具体化しようとしているのか、を聞かせてもらうことが中心。法務省からは、法務局を通じて各自治体に12月19日付事務連絡が届いているだけ。岡山県としては、「人権政策推進指針」にもとづき啓発を行う。県教育委員会は「人権教育推進プラン」にもとづき人権教育を行う。国からどういう調査協力依頼が届くのか、これから。2002年3月末をもって、県行政では「同和地区」とか「同和関係者」を特定することはできない、これはかわりない。などと聞かせてもらいました。
終えて、津山からこられたFさんと、県庁近くの王様ラーメンで野菜ラーメンを。新事務所に帰ります。
だんだんの利用者さんであったKさんのお見送り、だんだんのスタッフ5人と一緒に、津高のエバホールへ。家族葬です。スタッフの皆さんは最後のお別れで対面を。
新事務所に帰ります。お葬式に乗せていってくれた、みんなの家ななくさの住宅さん、来所。ご苦労さんと珈琲をおとし、年度末の、まとめ、そのまとめ方などのことで話し合います。
夕方、岡山駅に。三省堂で本探し。2冊の文庫本を買って楽しみます。そのあと、成年後見のこと相談しながら夕食でした。
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|17年02月8日 |中島 |
7日、火曜日。朝、新事務所に。
雑務。浅田訴訟弁護団から届いた、被告側(岡山市)からの準備書面に目を通します。文書読解力のせいかもしれませんがなかなか真意が読み取れません。
9時前、みんなの家ななくさの住宅さん来所。事務局の安田さんと3人で打ち合わせ。浅田訴訟のこと、この日の番組、裁判の打ち合わせ会議のこと、浅田さんの頑張り、そして体調のことなどを話します。
9時半過ぎに歩いて民主会館へ。岡山就職連の活動総括会議です。岡山労働局、県教育委員会、県労政課などとの話し合いを行ってきた中での成果と課題などを話し合います。事務局の高教組の皆さんがきちんとした資料をつくってくれているので助かります。総会の開催を5月25日にきめます。学習内容は改めて事務局で相談することに。
県革新懇の事務所に顔を覘けてみます。明石さん、氏平さんと少し雑談。
スーパー仁科で食料を仕入れて、新事務所に。少し、鍋仕立てのスープをつくり、持ってきたおにぎりを温めて昼食です。
午後、少し休憩。3時過ぎに自宅に。撮っていた録画、大竹しのぶの歴史秘話をみます。すごいね、という言葉がこちらにもびんびんと伝わります。
夕方、きらめきプラザに。浅田訴訟の弁護団と支える会の会議。今回で44回目。裁判所での17日の進行協議、そしてその後の公判期日設定などについて話し合われます。
早く帰って、Eテレ『ハートネットTV』をみよう、ということに。
スーパーで半額の値札がついた、おかずセットなどを手に入れて帰宅。ちょうど、浅田さんの住いからはじまる番組をじっくり拝見。浅田さんの若い姿、タイプライターで印刷の仕事を自前でやっていた時代の映像も出てきます。憲法に保障された基本的人権、その具現化を求めているんだ、とくに一人住まいをしたいという要求は障害を持つ人であっても当然でしょ、それを支援するのが公の仕事ではないの、ということを強調してくれた番組の姿勢、うれしかったのです。浅田さんのパソコンに打ち込む、憲法14条、その画面、感動的でした。
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|17年02月7日 |中島 |
6日、月曜日。朝、連れ合いに車で送ってもらって新事務所に。
雑務。そして、ホッチキスで書類をとじたり、会議用机の上、綺麗にふいてみたり、朝の会議の諸準備です。9時、小規模多機能型介護事業所の管理者会議、4人での会議です。雑誌・社会保障から抜粋した、2017年度の医療と介護の動向を示したもの、読み合わせます。各事業所の運営状況も聞かせてもらいます。事業所ごとの損益計算書も説明します。利用者さんの特徴的なことも聞かせてもらいます。
遅めの昼食、岡山駅西口の「いらっしゃい亭」へ。久しぶりに、オムライスを。ふわふわ感いっぱいの卵、2種類のソース、それらの組み合わせ、とても美味しい。
午後、メールで届いた浅田訴訟の書面、何回も読んでみます。そして、民主会館のメンバーに当面の日程のことで何回も電話でやり取りです。
歩くことを頭に置いて、信用金庫と銀行へ。後見しているお二人の通帳の記帳です。久しぶりに、道端の花、写真におさめます。往復1500メートルほど、膝がもう少しよくならないと海に行っても心配かな、と感じるのです。
田中青年、来所。当面の日程のことで話します。また、4日に開催した研究集会の総括の概要などきかせてもらいます。
7時過ぎに帰宅。準備してくれていたハンバーグなどを温めて、控えめのビール。最後に茶碗半分の白ご飯を漬物と塩昆布でいただきです。これが美味しい。
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|17年02月6日 |中島 |
5日、日曜日。目が覚めると雨の音です。昔流行ったタイガーズ、「雨がしとしと日曜日・・・」という歌を思い出します。
コンビニ経由で新事務所に。急きょ早出になったというケアマネ池田さんに、前日の地域人権問題研究集会、一緒に行かれた方たちも含めた感想を聞かせてもらいます。
雑務。翌日の、小規模多機能事業所の管理者会議の会議資料をある程度まで準備。この日の釣り例会、雨で延期、という連絡が届きます。足腰の状態からすれば、よし、としようと言い聞かせます。
9時30分ごろタントで出発。赤磐市の山陽団地、福木さん宅まで走ります。赤磐市議の福木京子さんの事務所開きです。当方と同じ町内に住む民商活動をされているHさんも、来られています。母親運動をずーと続けられている方、子ども食堂の運営責任者、映画会社に勤められていた方などとごあいさつ。そして備前市市議、和気町町議、の方々もおられます。氏平県会議員があいさつされていました。福木さんと卓球でダブルスを組んでいた青春時代があったという話、初耳です。
福木さん、山陽町議から赤磐市議、通算して10期目の挑戦になると話されます。実績もたくさんある中、さらに市民の生活をまもるために奮闘すること、市民と野党の共闘の取り組みを進めるうえでも必ず勝利したい、と決意を述べられていました。
11時過ぎに新事務所にかえって来ます。持参したおにぎりを温めて昼食です。
少し、読書と散歩を兼ねて事務所を出ていきます。
夕方、新事務所にかえって来て、介護職員処遇改善加算申請の書類の点検。
7時ごろ、連れ合いに喜怒哀楽に連れて行ってもらい、ふー、という感じで、生ビールを飲むのでした。
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|17年02月5日 |中島 |
4日、土曜日。朝、新事務所に。
この日は、岡山県地域人権問題研究集会の開催日。事務局長が参加できない旨の連絡あり、諸準備、気になりながら雑務。8時20分にタントで出発。岡山市役所付近の、24時間で700円の駐車場に。明石さん、長田さんと一緒になります。勤労者福祉センターへ。すでに、田中、中島両青年が荷物を運びこむ準備中。5階の体育集会室で、会場づくりから始まります。小畑隆資委員長のあいさつのもと、大勢の実行委員会のメンバーが袋詰めも含めて力をあわせてくれます。
予定通り、10時に開会。約200人が参加してくれています。午前中の全体会は、小畑委員長の基調講演、おかやまいっぽんの伊東さんからの報告など。午後は6つの分科会で交流が深められました。
小畑委員長は、「アベ政治の何が悪いのか?翁長雄志沖縄県知事とオール沖縄の戦い」と題して講演。
翁長雄志著『戦う民意』(角川書店、2015年12月)を紹介しながら、その「オール沖縄」=「アイデンティティー政治」論の形成過程を振り返り、今日的に、オールジャパン、おかやまいっぽん、のとりくみの重要性を話されます。
「沖縄は今日まで自ら基地を提供したことは一度としてありません。戦後の米軍占領下、住民が収容所に隔離されている間に無断で集落や畑がつぶされ、日本独立後も武装兵らによる「銃剣とブルドーザー」で居住地などが強制接収されて、住民の意思とはかかわりなく、基地が次々に建設されたのです。土地を奪って、今日まで住民に大きな苦しみを与えておきながら、基地が老朽化したから、世界一危険だから、辺野古が唯一の解決策だから沖縄が基地を負担しろ、それが嫌ならば代替案を出せ、と迫る。言葉は乱暴かもしれませんが、他人の家を盗んでおいて、長年住んで家が古くなったから「おい、もう一回土地を出して家をつくれ」と言っているようなものです。それを理不尽と言わずして何を理不尽と言うのでしょうか。こういう政策が成り立つこと自体が日本の政治の堕落ではないか、と私は思います。」
「辺野古に新しい基地ができれば、沖縄の基地が減ることにはならないばかりか、沖縄が初めて承認した基地が建設されることになります。しかも大型船が寄港できる護岸や弾薬搭載エリア、長さ一八〇〇メートルの二本のV字型滑走路など普天間基地にはない設備が整備され、基地機能が強化される形で、将来もずっと固定されることになるのです。これまで沖縄県が自分で差し出した、基地のための土地は一つとしてありません。そして、沖縄の人々による島ぐるみの戦いによって、沖縄の基地は民有地と県・市町村有地が三分の二を占めています。これは本土の基地の九割近くが国有地であることと対照的です。というのも、本土の米軍基地はかつて旧日本軍の基地だったのに対し、沖縄の場合は民間の住宅地を強制的に収用したからです。もし辺野古沖の美しい海が埋め立てられて基地が建設されれば、そこは国有地に変わります。沖縄で唯一、私たち県民が口出しできない基地がそこに建ってしまうのです。基地の耐用年数は二〇〇年とも言われています。そうなれば、これから一〇〇年も二〇〇年も、おそらくは新しい基地の形態と仕組みのもとで、私たちの子や孫たちが日本の安全保障の真っただ中に置かれていくことになります。さらに今回の集団安全保障の法制化によって米軍と自衛隊が共同使用することにもなるでしょう。加えて尖閣問題を理由に、陸上自衛隊の警備部隊が宮古島や石垣島に配備されようとしています。沖縄からすると、明らかに基地負担が増す方向に進むわけです。振興策と引き換えに、私たちの自己決定権を明け渡すことはできない」
これら、翁長知事の著書の内容を示しながら、翁長知事は「アベ政治は堕落した」と言っている。それは、「沖縄は過去のどのような時でも自ら基地を提供してことはなかった。銃剣とブルドーザーで強制収容、その間に基地はつくられた。今は政権が沖縄県民を脅してアメリカに基地を提供しようとしている」というように、問答無用、強権的な安倍政権は対話する姿勢や人権の感覚が全くない、と批判。これが立憲主義を否定する首相の姿であり、多種多様な意見を受け入れる政権に変える必要がある。だから、戦後日本における新しい政治と参加のスタイルが起こってきた、と話されました。
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