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映画「橋のない川」

|14年07月6日 |中島 |

5日の土曜日。朝は新事務所に。

雑務、そしてこの日の第8回若者と学ぶ部落問題解決の道筋・学習会のレジメの用意を。歩いて民主会館へ。

9時30分開会の学習会、今回は今井正監督の映画「橋のない川」第1部の上映です。

映像を映す準備の間、かつてこの映画の上映の妨害をしてきた経歴をもつ、灘本氏の反省的回顧した文書を紹介。今井正監督や俳優陣に謝りたいとまで述べていたり、東監督作品とその背景についても見解を述べています。

無事、音も出て、映画は上映できました。127分があっという間に過ぎていきます。終わりには拍手が広がりました。参加者名簿や感想文用紙を準備してなかったのは失敗。30人を超えての参加、そのなかには40数年ぶりの鑑賞した方が多いでしょう。初めてお会いする方々が大勢おられました。みんなの家だんだんの利用者さんも3人来てくれてました。その中のお一人は初めて観た映画だけど、昔の生活を思い起こすいい映画だといわれてました。

この日は、昼ご飯を、3人で中華料理の大福園に。そろって八宝菜定食をいただきます。一旦民主会館に戻って、山下よしきさんの演説を聞きに岡山シンフォニーホールへ。終えて、夜の食事を駅前通りのお店でいただいたのでした。

以下

1993年4月の灘本昌久氏の見解(映画「橋のない川」上映阻止は正しかったか 今井正版・東陽一版を見て)の一部

東作品と今井作品の違いはどこから生まれてきたか

映画の細かい比較はこれぐらいにして、両作品にたいする感想のまとめに移ろう。東作品に幻滅し、今井作品に感動したその違いはどこから生まれてきたかを考える。一般的にいえば、今井監督の作品は「ひめゆりの塔」などの延長にあるクラシックなリアリズムの世界で、今の目から見れば古くさいかもしれない。しかし、住井すゑの原作と今井の社会主義リアリズムはマッチしている。そして、なによりも今井氏にはこの映画を作る動機があったということを強く感じる。島田耕氏によれば、「今井さんは、『橋のない川』の原作が刊行されるとすぐ読み映画化で動き出す(一九六一年)。大手映画会社にも提案するが実現できず、住井さん、今井さんに八木保太郎さんなどで『橋のない川』の製作をする会をつくり協力を呼びかける」(「今井正監督と『橋のない川』のこと」『部落』一九九二年六月号)。今井正版は、今井氏自身の発案と甲斐性で作られたもので、その動機は、社会派の映画監督として、部落問題という当時の日本社会では深刻かつ重要な課題を自分の手で映画にしたいと心から思ったのだろう。作品の端々に、いわゆる「差別に対する怒り」と義憤が感じられるのはそのためだ。ついでながら、永井藤作役の伊藤雄之助は、第一部を撮影する前年の一九六八年に脳溢血で下半身不随になっていたが、撮影には病院から通っての熱演だ。彼のカムバックはこの映画でなった。

一方、東監督は、部落解放同盟の発案に基づいて山上徹二郎プロデューサーから依頼されたときには、まだ原作を読んでいなかった。引き受けるのは原作を読んでからということで、読んで感動し快諾することになる。しかし、映画製作の途中「田植えしたばかりの田んぼを背景にして、もう秋ですねえという会話を撮れというようなことなら自分にはできないから、監督を交代させるしかない」という話が東氏自身によって語られている(『シナリオ 橋のない川』p.155 )。もちろん、このこと自体を批判しようというわけではない。自分の意に反した映画づくりはする必要がない。また、映画製作全体の経過のなかでは、東氏が最大限の努力を払われただろうことは充分に認識し、評価するのにやぶさかではない。しかし、いかにも雇われマダムの感は否めない。はいつくばってでも作り上げたいという今井氏とは、やはり創作動機の点で異なっていたといわざるを得ない。

ただ、東氏の名誉のためにいっておけば、映画のできばえの違いは、単に二人の創作動機に帰せられるべきものではないだろう。時代が作らせたという面もあると思う。今井氏の時代は、社会主義リアリズムがまだ現実と切り結べた最後の時代だった。それを今ここで乗り越える作品を作れというのは土台無理というものだ。東氏に「橋のない川」を撮れというのは、三里塚闘争の映画を撮り続けた小川プロにゴジラを撮らせるようなもので、ミスマッチというしかない。どうせなら、現代の部落の若い人の生活を淡々と描くような作品を作った方が、東監督の力を生かせたのではないだろうか。

おわりに

思いこみにもとづく闘争は、今から振り返ると空恐ろしいものがある。自分で見たこともない映画の阻止闘争。今思い返せばまったく恥いるばかりである。あの映画製作にあたられた今井監督や俳優その他スタッフのかたには深くおわびする。また、あの闘争の論理がその後差別問題をわかりにくくした大きな原因となっていたことにつき、責任を痛感している。

こんなに獲得すべき目標のない闘争もめずらしい。闘争には行き過ぎややり足らないことはしばしばで、思い出してもはずかしいことはままあるが、たいがいは、闘争の根っこはあるものだ。ところが、この上映阻止闘争は、それがみあたらない。もちろん、この映画に批判的な見解があるのは否定しないが、その人の意見が私の抱いた感想より優位にあるという理由はまったくみあたらない。むしろ今井作品への製作妨害や上映阻止がなく、第一部の調子で三部までとおせていたら、どんなにいい映画になったかと思うと、痛恨の極みである。後悔先にたたずとはよくいったものだ。

ところで、古い闘争を今ごろほじくってなんになるといぶかる向きもあるかもしれない。確かに、あの上映阻止闘争なるものが、まったく過去のものになっているなら、私もここで饒舌をふるうまでもない。しかし、「橋のない川」上映阻止で唱えられた批判の論点は、無批判に継承されているというのが実際のところではないだろうか。とくに、差別的作品・表現は一般の人の目に触れさせてはいけない、しかもその基準を作り、あてはまるかどうかを判断する決定権をもつのが反差別運動団体であるという思いこみは、非常に危険かつ有害なものである。たしかに、社会運動の運動方針といったものは、二者択一に書くことを免れないところがあるにしてもこと、表現行為・文学作品については、基本的には世に問うて、多くの人の批判を仰ぐしかないものである。「客観的には差別の助長拡大する」という意見も、意見として訴えかけるべきもので、最後的結論として人に押しつけるようなものではない。また、なされる批判も、組織の対立などに起因する短命な理論から安易に演繹されるべきものではない。

この一文を読まれた読者諸氏のひとりでも多くが、今井版・東版「橋のない川」を見られ、何事かを「禁止」するのではなく、差別問題を深く描いた作品の「創造」に関心をもたれるならば、私の恥じ多き個人的体験をさらしたことも無駄ではないかもしれない。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

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