|10年11月30日 |中島 |
29日、朝、公園には行けず、歩いて事務所に。
1日中、事務所で仕事の日でした。ななくさの池田さんから、かるがもに働いてもよいという新たな看護師さんとの面接の相談あり、2日に設定。ななくさ、かるがもの年末課題、とくに賞与等のことが頭をよぎります。早く原案と見通しを立てないといけない時期、ぐずぐずするな、と自分に言い聞かせます。
12月11日の「認知症のひとの人権と介護の視点」学習会の参加状況、準備のことなどであと一押しをどうするか、思案。2月5日の倉敷市での人権問題学習会の準備、ビラの原案を作ります。12月初旬には配布体制に入らないといけないという少し焦りも出てきます。
小畑先生から、新春対談のことで、まずは座談会で「地域人権問題全国研究集会」の成果と教訓を総括しよう、との提案。やりっぱなしはよくない、という点で同感。
その話をした後、ななくさ5周年、NPO創立10周年などのとりくみについて、これも頭をよぎります。そんなこともあり、夜は、半生を振り返り今後を考える時間でした。
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|10年11月29日 |中島 |
28日、京都九条の集会所で目を覚まします。10数人が一緒に床に座って、用意してくれた、白米とインスタントの味噌汁、キムチ、ニンジンの漬物、などで朝ごはん。
丹波マンガン抗記念館に行かれる方々を見送ってから、介護施設の視察。日曜日でお休みのデイサービス施設は外観を。ここは、在日韓国人高齢者への生活支援も重点に置いていました。もうひとつは、「故郷の家」。社会福祉法人こころの家族、が運営している総合施設です。新型特養100名、ケアハウス40名(うち介護つき20名)ショートトステイ20名をメインにした立派なもの。案内・説明してくださった男性の施設長さん、予約なしの私たちにも親切な方でした。在日韓国人の方の利用、ケアハウスは90%を占めているが、特養は45%で、55%は日本人。利用料と家庭の資力が反映しているとのことでした。建設費24億円、寄付文化が息づいている韓国社会の援助があってからこその実現でもあるといわれていました。理念がしっかりしていることが、人の気持ちを動かす原動力、このところは、何事も一緒だと頷き合いました。
午後から、嵐山へ。ここも初めて。しかし、すごい人、人。有名な湯とうふのお店は1時間半待ち。歩きまわってやっと、食事が出来ました。
渡月橋は、ありの行列を想起させます。宝厳院のお庭に500円払って入場。それだけの値打ちはあります。紅葉がほんとうに美しい。
京都駅でも人波にもまれながら、岡山に着いたのが6時半ごろ。身体は疲れましたが、胸の内は充実感。さあーて、翌日の準備だ、と早寝でした。
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|10年11月29日 |中島 |
27日の土曜日、事務所に。午前中は、県人権の拡大女性委員会に参加です。メインは、女性班長の竹本桂子さんが、地域人権運動と女性の役割について話されます。地元の住民の置かれている現状と孤立する人を一人でもなくしていこうとする運動の役割を具体的に話されていきました。途中、じゅうぶんに手が届かなかった方の自死の場面では、話す本人も涙が止まりません。組織と地域のネットワークの大切さを強調されていました。
昼から、新幹線で京都まで。韓国商工会のYさんと二人連れの旅です。目的は、かつて岡山に赴任していて、今は韓国の高校の先生をされているFさんたちとの話し合い。この方たちは、かつての強制労働の丹波マンガン抗の記念館を維持運営していくために支援されています。
時間があるので、当方の希望で、清水寺に。坂という坂は人でぎっしり埋まっています。すすむのに大変です。かつて1度だけ行った記憶がありましたが、舞台の懐の深さ、その懐にある赤い木々、などに感嘆でした。
にねん坂、いちねん坂、などは初めて歩きました。100年の歴史がある洋館でコーヒーを飲んだり、道沿いのお店でみたらし団子の買い食いなど、人波に洗われながらもゆったりとした時間です。
夜は、京都会館へ。となりの岡崎公会堂で全国水平社創立記念碑にもご挨拶を。京都会館では、目的のF先生と再会。Fさんは、チャリティーコンサートに入れとしきりに勧めます。ロックです。悩みましたが、聴きました。韓国のトップだというY・Bバンド。全くの無償で、ロンドン、ソウル経由で寝る間もなく強行日程で来たという説明に、心動かされたのです。
2時間余り、若者のキャーという歓声とバンドの引き出す激しい音響、大きな声のロック会場に居たこと自体が、人生で初めの終わりの体験。この会場は、部落問題夏季講座や水平社記念集会など、かたい課題で良く来たところ、だと思い起こすと、不思議な気持ちに身体が包まれます。
終えて、F先生とFさんの教え子のソウル大学学生、Yさん、当方で食事。終えて、夜中に九条の方に向かい、やっとの思いで集会所に辿り着きます。2時半までまたアルコールを介して国際交流。2段ベッドで寝かせてもらいましたが、いびきと歯ぎしりで6時前には意を決してこっそり起き出し、朝の散歩でした。
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|10年11月27日 |中島 |
26日、いつもより短時間の散歩を終えて事務所に。ななくさの住宅Mさんから、情報公開の報告書提出などで連絡。
10時から、県人権連の就労・商工対策委員会。あいさつをして中座させてもらい、「人権21」への寄稿文完成させメールでガシャン。午後1時からの、かるがも運営推進会議に出向き、道中で食べたお好み焼き、口の中を咬んでしまいます。歳のせいか、疲れがあるのか、などと一瞬考えてしまいますが、熱いものを慌てて食べたせいだろうと自分を納得させます。
かるがも運営推進会議には、町内会長さんも参加してくださり、周辺の方々の利用促進を促すためのアドバイスをいただきました。かるがも友の会の代表と事務局長も参加してくれて、日常の利用者さんたちへの支援についてもボランティア活動でかかわる姿勢を示してくれました。具体化が大切です。この会議も、中座させてもらい、事務所に戻ります。
NPOおかやま人権研究センターの編集企画委員会に。隔月誌「人権21」の4月号の特集までほぼ準備されています。時々の情勢を反映したものにする論議が続きます。県人権政策審議会が「第3次岡山県人権政策推進指針の策定について」を県知事から諮問され、審議会内部討議で取りまとめた答申案についての対応を論議しました。
答申案は結果として、課題別の最初に「女性」をとりあげ、これまで別扱いしていた「同和問題」は五番目に配置されています。国の取り扱いと同等のレベルになったわけですが、やっとここまできたかという思いが正直なところです。
ただ、課題も数多く見られます。現状と課題の項での「結婚問題などで差別意識が見られたり」、基本方針のなかの「関係者の自立向上のための支援」、具体的施策の方向に記載されている「児童生徒の発達段階に応じて・・・・同和問題の解決を自らの課題として・・」などは、「差別意識」という意識の捉え方、「関係者」とは誰を指すのか、「自らの課題」として同和問題だけなぜ強調するのか、など厳密な考察が求められていると思っています。
夕方から、自立支援法違憲の基本合意の完全実現をめざす会の世話人会議。呉弁護士、元原告の清水さんも含めて7人があつまり、最近の国会情勢、この間の取り組みなどを論議。障害者問題シンポジウムを1月15日に開催することになりました。
8時30分ごろ自宅に。改修中の薄暗い台所で、母親宅から持ち帰ってもらったおかずを肴に、ビール3本でこの日をしめたのでした。
写真は、今朝のスポーツ公園。紅葉が一段と鮮やかです。
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|10年11月26日 |中島 |
25日、30分の散歩、パン屋さん、というコースで事務所に。
この日は、県AALAの企画で、韓国ツアーの出発日。三戸さんたち14人が旅たちです。
事務所に、朝早くからななくさの管理者住宅Mさんから連絡。民報編集長が新年祝賀広告の件で来館。そしてケアマネの池田さんも来られて、新たな利用者さんの契約のこともありました。読売新聞に連載中の不破さんの切り抜きをコピーさせてもらいました。
午後から、書類の整理をしながら、民医連との懇談のことを記事にまとめます。そして3時半ごろ歯医者さんへ。約40分かけて、歯ぐきの点検、歯垢除去、歯磨き、フッ素塗り、などをしてくれます。少し痛みが残りますが口の中がすっきり、でした。
事務所に戻ると、待っていてくれた小林先生と懇談。途中、竹原さんから電話もあり、立花先生の偲ぶ会、参加者の最終のチェック。その後、ほんの少しの時間ティータイムでした。
7時半ごろ、久し振りに母親のアパートで晩ご飯。ななくさの利用者の一人となっている母親の話にも客観的に聞く姿勢を貫きながら、ビール3本をいただきました。
写真は、今朝のスポーツ公園。下の写真には、残り月がかすかに・・・。
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|10年11月25日 |中島 |
24日、スポーツ公園で25分コースの散歩。木村屋のパン屋さんに足を延ばして、事務所に。
朝は、5本割り当てがある「地域と人権」岡山版の記事、そのうち3本を仕上げます。
午後は、岡山県民主医療機関連合会が主催の懇談会に。民医連の会長など3役がそろって顔を見せられ、それぞれから今年2月の改定した綱領、「医療・介護制度の再生プラン案」などの説明を受けました。社会的転換期であるという自覚のもと、1、いかなる組織か、2、歴史、3、受け継ぐべき歴史、理念、到達点、4、社会的使命、の4点が前文に網羅され、具体的目標が中文に、そして後文には実現の道筋「より開かれた民医連」、といながれで構成された、と言われています。
懇談では、移植手術の課題、協働のとりくみ、働く人への評価と期待、地域からのとりくみ、などが話題となりました。
夕方から、民主県政をつくるみんなの会、の交流学習会。小畑隆資先生が講師。「地域主権改革と地方議会」と題して約1時間。その後、県政報告、各団体からの報告が続きました。
1週間で3回、小畑先生の講演を聞いたことになります。自分なりにまとめなくてはもったいないという感じ。同時に、この会も、県政全般にかかわる情報を収集し、県民の立場から分析して政策をうちたてる、その力量が問われていると実感しました。
帰りに、金ちゃんと、ななくさ、に立ち寄ります。自宅でのスタッフの不測の事故、パソコンの不調などもあり、管理者の住宅Mさんが困惑しています。時間をかけての対応、緊急としての人的配置などを相談でした。9時ごろ自宅に帰ると、我が家は改修準備のために台所は使えない。食べるものもこれというものなし。それならそれと連絡ぐらいしてもよかろうに、と心の中で呟きながら、ビール2本で、ふて寝で一日の終わりでした。
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