2001年の9・11
|20年09月12日 |中島 |
11日、金曜日。ぐっすり6時間の睡眠、朝4時に起床です。前日ほど朝の空気は涼しくありません。新聞をゆっくり、そして朝風呂で身支度。新事務所へ。
雑務。2001年の9.11、の直後、今は故人の運動の先輩、湯原の中山さんと当方の車フレンディで松山市での会議に出かけたとき、世界の覇権争いの様相が大きく変わってくるかもしれない、運動の内容も人権視点のさらなる広がりが必要では、と話されていたこと思い出します。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。入院中の利用者さんの退院などについて聞かせてもらいます。田中青年、来所。前日、民主県政をつくるみんなの会の県知事選挙事務所、その清掃や整備などで頑張ってくれたこと、聞かせてもらいます。
その事務所運営のことで事務局長の花田さんと電話連絡であれこれ。
昼ご飯、残り物の野菜を使って豚肉たっぷりの野菜炒めと炊き立ての白いご飯。おいしいのです。
午後、高松稲荷方面へ走ります。成年後見制度で保佐している84歳のMさん、9月4日に退院して施設に帰って1週間です。その施設に出向いて利用料を支払います。行政からの返還金がありうけとります。わりと大きな額で助かります。Mさんと面会。施設に帰ってきたときに「錯覚をしてなぁ」と言われます。相談員の方から聞くには、以前利用していた施設に帰ってきた、と混乱していたようです。
新事務所に帰ります。少し休憩。テレビの古い刑事ものでリラックス。新聞や書籍に目を通します。6時ごろ岡山駅まで歩きます。成年後見、最後の財産の引き渡しのことからつながった相談。帰りは連れ合いに西口まで迎えに来てもらったのでした。
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