|12年11月30日 |中島 |
28日、朝は運動公園での散歩。カラスが集団でやかましいほど鳴いてます。
事務所で雑務。社会保険労務士の平野さんが早くから電話してくれて、有給休暇の届け、付与日数の提示、などの書類で相談です。その書類、印刷してななくさに持参です。
午後からお客さん来館。運動と行政の役割などで懇談でした。
夕方、林病院の評議会です。公益法人として運営していく中で、実態を反映するために定款の変更を余儀なくされることがあるようです。病院自体の建替えの進捗状況、入院患者さん、その入院期間が短くなったことと収益の課題、なども説明がありました。国の政策の変更は、個別の病院の経営も大きな影響があることがわかります。
8時過ぎ、事務所に戻ります。人権岡山の会議に途中から出席。ななくさサテライトの建設にかかわっての支援体制の論議がある程度進みました。
この日、ななくさだより№65が届いていました。
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|12年11月29日 |中島 |
運動公園の山茶花
28日、朝は冷え込みました。タントのフロントガラスが凍りそうでした。それでも運動公園に散歩です。歩いて身体が温もってくる感じは心地よいのです。山茶花の花が咲き始めました。大きめの花弁、少し斜めからの横顔、白くて綺麗でした。
事務所で雑務。事務局メンバーでの会議が続きます。
午後、岡山市保健福祉会館の7階へ。岡山市社会福祉協議会の部屋を訪ねます。用件は、被成年後見人のYさんにかかわる財産管理を当方が受けることでの引き渡し事務。印鑑と通帳を受取り、そしてサインです。Yさんの要求や生活ぶりも少し聞かせてもらいます。
その後、この日の朝、日曜日から入院していると電話があったMさんの病院に向かいます。顔色、血色もよくなっていて土曜日にも退院できそうという話にひと安心でした。
事務所に戻りパソコンとにらめっこの状態が10時過ぎまで続きました。
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|12年11月28日 |中島 |
27日、朝はまだ暗いうちに、久し振りに運動公園での散歩です。ラジオ体操の人も少し少なくなってきている感じです。
事務所で雑務。そして勤労者福祉センターに。民主県政をつくるみんなの会、県と市の組織の合同会議でした。昼ご飯、2ヶ月ぶりに、だるま屋に。温かいものにするか迷いながら、結局はいつもの冷たいやまかけ蕎麦をいただきます。ダシも残さず丼ぶりを空に。
昼に、岡山市社会福祉協議会の方から電話。新しく後見することになった方の財産管理を当方に引き継ぐことで翌日にあえることに。地域と人権・全国版に後見人制度を書いてくれている今岡さんからも、12月号の原稿送ったよ、と連絡が。
午後から、岡山県地域人権問題研究集会実行委員会の事務局会議。次回の実行委員会、12月19日までに分科会運営委員による分科会の構想と呼びかけ内容を整理することに。
その後、来館された方々との会議が続きました。
夕方6時半ぐらいから事務所で一人。原稿のことで思案しますがなかなかすすみません。なにか本でも読むときっかけがひらめくかと。しかし、なかなかです。切り上げよー、と決断し自宅に帰ります。選挙のことで連れ合いも息子も出かけています。だれもいません。こういう時のために買っておいた、まぐろと貝柱の缶詰をあけて一人ビールをいただいたのでした。
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|12年11月27日 |中島 |
26日、朝目覚めると雨の音が。体調と気力の相互作用で、散歩はとりやめ、6時過ぎには木村のパン屋さん、そして事務所に。
事務所で雑務。23日の丹後の旅、フレンチのディナーをいただいた「ほのぼの屋」さんのことが気になります。関連して同じ丹後の、社会福祉法人・よさのうみ福祉会のこと、与謝野町での共同作業所などのこと記している「福祉がつなぐ地域再生の挑戦」を少し読んでみます。
途中、ななくさ、かるがもスタッフの年末調整の事務が気になって、全員への書類を作成、税務署から届いている扶養異動届などと合わせて、まずはななくさに持参です。
10時からは事務所メンバー4人で、NPO地域人権みんなの会主催の、「認知症の理解と援助」学習と実践報告、の学習集会の諸準備の会です。当日の任務分担、看板、受付用紙、パソコンとプロジェクターの準備が中心。そして報道機関と会員さんへの再度の要請文の送付、などの作業、新たな仕事が発生します。
午後から、NPOみんなの会の理事の吉野一正さんに来館願って打ち合わせ。財団法人岡山県民主教育研究会から人権啓発ブックレットを発行するためにです。NPO岡山人権研究センターの事務局長とタイム工芸の社長さんにも同席をしてもらいます。
障害者運動に半生をかけてきたその経験と教訓などをまとめてもらって本にしておきたいとかつてからおもっていたところ。発行をどこにするかを迷っていたのですが、財団法人として定期的に人権ブックレットを発行しようということに。その最初に吉野先生にお願いでした。研究センターの管木事務局長がブックレット作りに全面的に支援してくれることになり、ホッと。
かるがも、に走ります。年末調整用の書類を持参です。花田のしーちゃんが掃除役で残っていてくれて、その顔をみてホットします。かえるときに管理者の青木さんがちょうど帰ってこられて用件を伝えます。
事務所で、人権21などの原稿の構想を頭に描こうとしますが、なかなかなのです。切羽詰まってきているときなのに、気がかりですがすこし時間がかかりそう。頭も少しは錆ついてきているようです。
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|12年11月26日 |中島 |
新婦人50周年レセプション、フラダンス
25日の日曜日、歩いて事務所に。
少しの雑務。天気が良いので三門駅周辺に出向いて配布物をすませます。
その後、自転車を貸してもらって岡山駅前のサンピーチへ。新日本婦人の会県本部の50周年。1962年12月23日が創立の日。その当時の呼びかけ人の方々の15人も参加されています。ごく身近な方では、竹本桂子さん、前谷まきこさん、横谷あつこさんなども。
太鼓でのオープニング、主催者のあいさつ、来賓の方のあいさつ、50年前に準備した方お二人の回想、それにフラダンス、オカリナ演奏、故・永瀬清子さんの詩の朗読、合唱などと続きます。フラダンスを踊る方、癒し系の方が多いこと。自分を撮ってくれた写真の多くはしかめ面、ということもあり、どうすればあういうふうに、にこっと、ずーと出来るのか、などと考えます。我が視線は特ににこやかな人の顔を追いかけていました。
2時30分ごろ事務所に戻り、しばし休憩。かるがもの管理者さんから会議設定の件で電話。少し雑務をして、6時ごろ、ななくさに。12月勤務表をつくるのに管理者さんは四苦八苦。365日開設しつづける事業所、それに泊りもつづくと、働くスタッフの心からの協力が欠かせません。日ごろのスタッフのご苦労に感謝の気持ちで帰宅でした。
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|12年11月25日 |中島 |
舞鶴の人権連事務所
視覚障害者友の会の企画の旅は、参加者から「岡崎観光」企画といわれるように、岡山の岡崎茂明さんと起恵子さん夫妻の力に寄るところが大きいようです。
今回の旅、当方も彼からの誘いがあって実現したもの。20年来続けていて皆勤の方もおられるのです。晴眼者と全盲の方もしくは弱視の方、パートナーとなって行動します。弱視の方が先導役で全盲の方とのコンビもありました。
当方のパートナーは女性のSさん、事前に岡崎さんたちから今回のパートナーが当方ということを伝えられていたようです。当方が男性ということもあり少し不安だったようです。
24日、朝6時半にSさんの部屋をノック。前夜の食事会の席で散歩に行くと約束していました。舞鶴湾の潮の香り、そして朝のさわやかさを味わってもらう、その目的は果たせたようです。前日見つけていた、京都人権連・舞鶴地協の事務所前も歩いてみて、こちらはこちらで、かつて中心で頑張ってくれた田岡さんを思い起こしたり、大機さんどうしてるかな、若い人、後継者はいるのかな、などと。
天橋立
和食の朝食を一緒に摂り、ハトバスで、五老岳に。舞鶴湾が一望できます。その後、由良の蔵元、白嶺酒造に。そして、天橋立を散策。どこでもある瓦投げ、そしてここだけの股のぞき、などを。
バスで新大阪について、夕食。4つのコンビ、8人が一緒に入るお店は、うどん屋さん。ビールを飲もう、うどんを食べようとすると気ぜわしい食堂でもありました。
パートナーのSさんは笠岡駅まで帰られます。岡山駅在来線の入口の駅員さんの窓口まで案内。そこから案内してくれる人を待ちます。そこでも彼女は、「ありがとう」という言葉を欠かさないのでした。楽しく過ごしてくれたかな、少しは役に立ったかな、こちらはとても充実して楽しくさせてもらった、パートナーは対等だからありがとうはお互い様、などと少し思案しながら、吉備線で備前三門駅まで帰ったのでした。
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