|11年02月9日 |中島 |
8日、朝は散歩する余裕なく、三門駅前の木村のパン屋さん経由で7時頃事務所に。
この日、火曜日、NPOみんなの会本部づめの猶原さんと、福祉制度パンフの作成の進行具合を確認。その後、ななくさへ。通帳を預かり銀行へ。かるがも通帳からななくさ通帳へ180万円を振り込みます。社会保険料がすべてななくさ通帳から引き落とされている、その調整です。久し振りに顔を合わした慎ちゃんが、自宅に置いていたバイク2台、今朝見ると無くなっていた、と。警察に届けたら、警察に停め置くバイクも盗まれる時代、と言ったという。おいおい・・・、それでいいのか、というきもちになります。
午後から、民主商工会に出向いて、そのまま駅前のアジア国際センターへ。かるがもの火災保険料を支払い、久し振りにUさんと懇談。1月23日の蓮池薫さんの講演会の様子、特に前半の文化行事などの苦労話も。500名近い申し込みがあった、なにがひきつけたのか、などと。
事務所に帰って、「地域と人権・県連版」の校正。しかし、校正まで行かない段階。最後をまかされた形になりましたが、字数も合わない原稿、見出しもどうかというものなど、手を入れるところが多い。どうしてこうなるのと、いらつき感を抑えながらの対応です。
夕方、県会議員を囲んでの会議。自宅に帰ると10時。それからビール2本だけ飲んで寝てしまいました。
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|11年02月8日 |中島 |
人権問題を考える学習集会、アンケート
7日、朝、スポーツ公園で20分コースの散歩。そして事務所に。
5日開催の、倉敷市での「人権問題を考える学習集会」でのアンケート、全体に目を通します。そして、講演してくれた吉野先生にも、そのアンケートを添付してメールで送ります。倉敷人権連のメンバーにもありがとう、お世話になりました、の電話を。
革新懇の明石さん来館され、岡山市の県議選、市議選の立候補状況を報道した新聞コピーと、全国革新懇の冊子を持参。前日、来館された高田さんのことなども話題に。続いて三戸さんも。5日の学習会、吉野先生の講演がとてもよかったということや、地域で生活支援活動をしている内容などを聞かせてもらいます。そして、国民融合の青山先生来館。会議の設定と、自治体から送付された文書の扱いについて相談。当方が処置することに。
午後、午前中ななくさに行き、午後から事務所に来ている竹永君の体調を心配して来館。熱があって食欲もない竹永君、すぐ病院に行くように指示でした。
夕方から、情勢をつかむうえでの会議。臨戦態勢とは、という点で納得。日ごろの取り組みにも通じます。理念や構え、情勢をみんなのものにして、具体的手立てをとり、どこまで進んだかをつかみ、新たに課題を的確にみんなに提起していくこと。当然のようですが日常に流されやすい点、気を引き締めなくては、と。
この日は、連れ合いが神戸に組合のことで出張。会議を終えての9時過ぎ、近くのスーパー、ニシナに寄りますが、惣菜や弁当類は店頭にありません。買い物かごを置き直し、コンビニに行きます。おでんといなりずし等を買って、自宅で侘しい晩ご飯。時にはこういう日もあるから、メリハリがあるのか、と納得させる自分がいました。
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|11年02月7日 |中島 |
6日の日曜日、久し振りに朝はゆっくり。自宅で白いご飯とみそ汁をいただきます。歩いて事務所に。途中、金ちゃんの車に出会い、チャイルドシートにくくられている息子の秀君にごあいさつです。
ななくさの管理者・住宅Mさんからの電話で、利用者さんの泊りに対応してくれる職員の確保が課題であること、を考えさせられます。津山で「人権問題本音シンポジウム」が開催されていて、そこに参加しているFさんから問い合わせの電話。農機具利用組合の岡山市の実態はいかに、という内容です。そして、新しいかるがも職員の方の労働条件通知書、ファックスとメールで送ります。
5日の倉敷市での人権問題を考える学習集会の記事、「地域と人権・県連版」と民報に依頼されているもの、書き上げていきます。4時過ぎにメールでガッシャン、と送ります。それからもう一本の記事を仕上げていきます。
途中、花田達明さんの「たっつぁんの昭和史」を発行してくれた、手帖社の高田さんが来館。花田さんが亡くなったこと、立花一也先生の偲ぶ会のことなどで懇談でした。
夕方、民医連の県の副会長されている氏平さんの、県議選事務所へ。この日が事務所開きでした。ついでに、民報社にも顔を覘けますが、ちょうど留守。暗くなってきた公園に出向いて、ゆったりとした気分で30分コースを歩いてきました。
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|11年02月6日 |中島 |
かるがもだより、№4
かるがもだより№4が届きました。写真がいっぱい、利用者さんたちのイキイキとした様子が伝わってきます。
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|11年02月6日 |中島 |
5日、歩いて事務所に。途中、三門駅前のパン屋さんへ。夕べから会館に泊っていた津山のFさんにもおすそ分け。
10時30分には、そのFさんの車で事務所を出て、倉敷市芸文館の別館へ。大山名人記念館の向かいでした。駐車場に難儀しますが、会場近くの有料一時預かりに入れることが出来ました。荷物を積んだ、金ちゃん運転の車は、芸文館の許可書をもらっていました。
NPO地域人権みんなの会主催の「人権問題を考える学習集会」、1時過ぎには、次々と参加者が集ってきます。最終的には75人が参加してくれました。
当方から講師の吉野先生の紹介も兼ねた主催者あいさつ。この日古希を迎えられた記念日だということも披露します。
吉野先生は、「市民の平等権と連帯を考える」と題して、障害者の権利保障を求める運動を通じて、の内容で講演。パワーポイントを使って、まずは、事故で片足の障害を持つにいたったことなども含めて本人の生い立ちから。
そして、障害者のぶつかってきたバリアについて、「普通でない」という捉え方、訓練や治療可能な者だけを対象とする「適応主義・能力主義」などがあったと。特に適応主義は、1960年代当時の障害児施設内でもバリアーを改善しない、それは社会に出ると一杯バリアがあるから訓練しておくんだ、という風潮が強かった、などと施設の寮母さんとして働いていた時の経験も含めて述懐。
苦しい経験を経ながら、母親たちの義務教育実現向けて取り組んできたその要求の根源にも触れながら、一つひとつ教育を受ける権利を実現させてきた道のりを解説されていきます。そして、権利保障を求めてきた原動力を、情動の共感→権利の共感→要求の共有→運動→連帯して制度づくり、であったと。
最後に、障害者自立支援法違憲訴訟のたたかいを通じて、一旦引き下げられた権利を回復していったと。そして、共感と願いの共有をのもと、願いを実現させるために、指導者(政治家)を選ぶ権利の行使が特に大切だと強調されました。
討論・意見交流も4人の方が参加してくれました。障害を持ちながら企業で働く嘱託職員の切実な悩みの解決には、地域を含むまわりの方の障害に対する理解が一番と。障害児親の会の代表の方は、障害者、の表記について、障がい、障碍、というながれもあるが、障害は社会によってもたらされたものであり、本人が障害を生み出しているのではない、その理解が大切だ、と。初めてこういう集会に参加された方、吉野先生の教え子にあたる障害者運動のリーダーなどからも、それぞれ発言。「一緒に考えてみませんか」と呼びかけた内容に相応しいものにみんなでしてくれました。
終えて、吉野先生の古希を祝う記念写真会。この看板は医労連がカンパしてくれました。教え子のみなさん方からも花束などが。NPOみんなの会の猶原さんも長年のお付き合いの先生に気持ちを込めて、パシリでした。
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|11年02月5日 |中島 |
4日、立春、この間の寒さと比べると温かい朝を迎えます。公園に出向いて20分コースの散歩、そして事務所に。たくさんのヒヨドリたちが、窓際まで来てパンをねだっています。
Kさんの離職票届など一式そろえてハローワークに9時過ぎに。予想に反してすいていて、待ち時間なしに対応してもらいます。1か月ごとの給与の額、半年間記入するのですが、そこには通勤費も含まれるとのこと。賃金台帳をみて、担当の女性がごめんなさいと言いながら訂正してくれます。恐縮です。ハローワークをでて、すぐKさんに、できたから、との電話連絡。昼前に、受取りに事務所に寄ってくれました。
朝、事務所で県人権連の事務局会議。岡山市と人権岡山との話し合いの流れを聞かせてもらう。具体的要求の積み上げこそが大切であり、幹部がいかにその実態をつかんで説得ある話をするかによって、要求実現の進展度合いが違うのではないか、と実感。各地で、タウンウォッチや生活実態把握の取り組みが必要か、と。
午後、ななくさの池田さん来館され、少しの懇談。その後、ななくさに書類をもって出向いて、管理者・住宅Mさんの様子も聞かせてもらう。2月5日の倉敷の人権問題を考える学習集会の冊子が出来たので、講師の吉野先生に届くように、みんなの会館へ。
夕方から、かるがも、のメールなどの環境整備、勤務実態表、かるがもだより、などでパソコン作業のやりとり。当方の預かっていた書類、いくら探しても出てこないのであせりました。一呼吸おくと、大切なものを渡すボックスにちゃんと入れていたのでした。あーあ。
ひととおり仕事を終えて、青年二人と焼き肉屋さんで懇親。20歳の竹永くんが、遅くまでの仕事、楽しい、と。兄貴格の金ちゃんが、ほんまー、とやり返す。この二人にも、生徒・学生時代に、琴線にふれる出来事があって、人権課題にとりくむきっかけになった、という話もでてきます。コンビから、せめてトリオになって動ける体制を組めるように、準備してやらなくっちゃ、と強く心が動いたのでした。
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