|10年11月11日 |中島 |
10日、歩いて事務所に。途中、三門駅前の木村屋のパン屋さんに立ち寄りますが、レジが故障して売れないのです、と。歩くことが苦にならなくなっていて、それならばという思いでローソンに向かい、食パンとまだ止めれないタバコ2箱を。これを最後にするか、と思いつつ。
事務所では、午後からの県との話し合いにかかわる頭の準備。人権政策審議会の審議内容、県民意識調査の報告、などに目を通していきます。その間に、早めに事務所に来たメンバーと懇談。一緒に事務所を出て、県庁内の食堂で昼食を摂ります。1時ごろから打ち合わせ、県労会議、高教組、新婦人、社会保障推進協議会、障害者の生活と権利を守る会、などの代表と、地域人権連のメンバーあわせて30人が参加しました。県側は、県民生活部長、教育長などが対応します。
県民生活が立ち行かなくなった人々の視点から公的な施策を検討し実施すべき、それこそが人権をまもることにつながるという観点で申し入れを行いました。具体的に、人権政策推進指針の見直しのなかで、生存権なども取り入れていくべき、多くの県民の要求が取り入れられるシステムを構築すべき、などと。
終えて、事務所に。さすがに疲れが。届かないメールも気になって、事故でもあったかなどと心配もつのります。夕方の散歩もこの日は取りやめ、6時過ぎに自宅に帰りました。その後心配したメールもあり、ひと安心。そのあと眠気にまかせてうたたねでした。
この日の一句、「連帯の いきごみみせた ネットワーク」
写真は、今朝のスポーツ公園。カンコ―スタジアムの付近の紅葉。深い赤色が目に沁みいるようです。
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|10年11月10日 |中島 |
9日、朝早くスポーツ公園へ。30分コースを散歩します。事務所について、この日の一日の仕事の流れを確認し、準備です。
かるがもに看護師として働き出してくれた30歳のH田さんが来館。健康保険加入の手続きなどを。かるがも経由でこられた猶原さんと、利用契約書の整備などで話し合い。その後、けんぽ協会の事務所に出向いて、H田さんの健康保険加入手続き完了。いつも対応してくれる女性が丁寧で親切なのです。
事務所のY君、M君とともに、協立病院へ。住宅慎ちゃんのお見舞いです。その慎ちゃん部屋から出ていて、なかなか会えません。昼食を済ませて、再度のぞいて面会。治癒状況、リハビリ、食事などのことが次々と。心理状況を推測して、そのしんどさも理解できます。
その後県庁に出向いて、県労政課との話し合い。「働くルールを確立し、就職保障と人権を守る岡山連絡会」のとりくみです。県産業振興財団に委託している緊急雇用開発推進員を配置した効果が出ているという話があり、それならばそのことに重点をおいて予算措置をすべきではないか、などと。
終えて、岡山市穝にある「喜楽」へ。社会福祉法人「結い」の評議会です。当方も含めて3人が新人、この法人の歴史をパワーポイントにしてオリエンテーションをしてくれました。林友の会のあすなろ福祉会から出発した作業所、大変な苦労を乗り越えての存在ということがよくわかります。そして、林病院やこの事業所の近隣に住む方々に協力を求め続けてきた姿勢が反映されているとも感じました。新たな事業にむけた準備も計画されているようで、個人的にも大いに学習になります。
6時30分ごろ事務所に帰って、久し振りにMさんと懇談でした。
この日の一句、「いまのため つみかさねたね こころざし」
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|10年11月9日 |中島 |
8日、朝スポーツ公園へ。木村屋のパン屋さんで2日分の仕入れをして、事務所に。ななくさの管理者住宅Mさんより電話。かるがものことも気にしてくれています。17日の退院にむけて慎ちゃんが病院に戻ったことなども。
朝10時過ぎから人権連事務局会議。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の問題で討議。関税の撤廃をした場合の農業、食料不足、地域経済に与える影響の大きさを考えると、ぞっとします。食料自給率は12%まで落ち込むと試算されています。独自にハガキでの要請行動を各地域組織にも提起して、強めることに。
終えて、中華園に出向くと、ななくさの池田さんが利用者のIさんと食事中。Iさんの誕生日だから外食をと、いいます。きれいに食べられていました。食欲は元気さのバロメーターのひとつ、よかった、という思いに。
東京のまつり、から帰る途中姫路に立ち寄ったという電話が三戸さんより。拝啓という餃子屋さんによってこようか、と。ぜひ、持ち帰りを買ってきて、とお願いしました。
夕方、金ちゃんと国立病院へ。人権連の役員、Aさんのお見舞いです。受付で部屋を聞くと、退院されているとのこと。帰って、Aさんに電話。早く退院できてよかったです、早々にお見舞いに行けなくてごめんなさい、と。肺ガンの手術で、10日間ほどで退院できた、命拾いをした、とAさん。
暗くなってから、情勢を学習する会議。農民連のTさんも来られていて、「人権21」にTさんが書かれた「岡山から農業政策を見る」について、意見が寄せられたら教えてほしいと。県政の課題も学習になりました。自宅に帰ると9時30分をまわっていましたが、姫路の餃子を2人前焼いてもらって、ビールは2本で済ませたのでした。
写真は、スポーツ公園、朝日を浴びて紅葉が紫をまじえたような色合いに変化します。
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|10年11月8日 |中島 |
7日、早朝の配達物を済ませて、自宅でゆっくり。寝転んでいると、ついうとうととします。
昼前、自宅をでて、昼食をとり、散髪屋さんへ。待ち時間なし、職人さん3人が入れ替わりの流れ作業。いつから切っていませんかとの問いに、2か月ぶりのカットと。1800円でした。事務所について、メールや書類にじっくり目を通します。
4時30分ごろ事務所をでて、勤労者福祉センターに。誰もいないので、街のなかを散策。山陽新聞社付近のお店が閉まっていて、どろぼうよけの張り紙がきまっています。イトーヨーカ堂まで足を延ばして、3年間分の大判の日記風の手帳を。
勤労者福祉センターに戻って集会に参加。金ちゃんの連れ合い、のぞみちゃんが話し手の一人として頑張っている、そのお父さんと隣り合わせに座ります。ニュースをつくってみよう、という思いで聞いていきます。話された3人とも、それぞれの体験や話し方の個性があって、聞きやすい。
8時前に帰ると、H田マックんが、包丁持参で鯛とべらをさばいてくれています。魚は、ご近所からいただいたものらしい。さっそく、刺し身を肴にビールをいただく。龍馬伝の再放送の最初の10分ほどみて、おやすみでした。
この日の一句、「心から、実感こもる、体験記」。
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|10年11月7日 |中島 |
みんなの家 ななくさ たより №40
少し発行日より遅くなりました。
ななくさだより、№40、が届きました。
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|10年11月7日 |中島 |
6日、歩いて事務所に。この日は、県人権連の常任幹事会。年末までの諸日程、来年5月開催予定の総会の内容なども論議します。諸準備が整理良くされていて、久しぶりにスムーズに進みます。
午後は、駅前まで自転車で向かいます。途中、「ハチの巣」でハヤシライス。ここのデミグラスソースが美味しいのです。駅前は、サンピーチ、県社会保障推進会議の学習会です。朝日訴訟判決50周年記念集会を兼ねた「国保改善運動シンポジウム」。久しぶりにあった福木さんの横に座ります。監事をしてもらっているので、NPOみんなの会のビラを参加者に配ってもらいました。
立正大学の芝田英昭教授が、生存権と国保改善運動、と題して講演。無縁社会の恐怖は高齢者だけでなく、乳幼児の行方不明を生み出している、再分配後の貧困率はOECD諸国のなかで日本が一番、社会保障が機能していない、などと現状を指摘していきます。そして、経済産業省などの方向の中に、市民、NPOだけでなく、企業もいれた経済活動を「新しい公共」としていることに注意がいる、と指摘。国保については、無職者と被用者の割合が増えてきているなど加入者の職業別の推移を示し、公費負担の割合を増やすこと以外に道はない、とも。
4人家族で200万所得の保険料を示して、可処分所得は100万円しかない、保険証があっても3割の自己負担が重くて医療機関にかかれない状況に陥る、それで子供が守れるか、などとも。助け合い、互助制度でなく、改めて社会保障として位置づけて行くことが重要と強調しました。
岡山市社会保障推進会議などから、改善運動に取り組んでいる状況も報告。終えて、猶原さんに声をかけようとしたら居ない。下におりて、福木さん、明石さんとお茶でも、と懇談。赤坂県議も食事にこられ、選挙の状況も聞かせてもらいました。
事務所に戻って、自宅に外泊で帰っているはずの住宅慎ちゃんに電話。孫たちの声が聞こえてきて、家庭でリラックスできている様子がうかがえて一安心。
我が家でも夕方から、孫や母親も自宅にきて、恒例のすき焼きでビールをいただきました。一句出来ました、「痛むむね、孫に癒され、空を見る」。
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