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予定外の出来事に

|22年05月16日 |中島 |

15日、日曜日。5時前起床。朝風呂で身支度、池にパンを投げ入れてやってから新事務所へ。高柳方面を散歩。用水の水嵩が一挙に減ってしまい、鯉たちは大丈夫かと覗き込むと亀が慌てて隠れようとしたり。帰り道、店の軒先に綺麗に咲かせている薔薇をパシリ。

新事務所に帰り、雑務。届いていなければならない新聞について早く届けてと要請です。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。利用者さんの認知症症状についての対応で前夜に警察署まで出向いたこと、大ごとにならずに無事に見つかったことなどを聞かせてもらいます。スタッフさんたちも気疲れもあるでしょう、と。他の施策を利用されていて介護保険利用限度を超えてしまった利用者さんの対応なども。

1年間他の施設で働いてこられた元スタッフさんが再び頑張る、事業所としてもありがたい、というので面接です。生活をしていくうえで年金は頼りにならない、けれども受給は何歳いつからが妥当なのかな、という話にもなります。仕事は6月から復帰という話に。

ノートパソコンを持参して顧問の池田さん、来所。使いこなし方、当方ではあまりアドバイスにはなりません。

夕方、近所の180号線の釣具屋さんで青虫を買って与島の海に走ります。釣り人は対面の岩場に二人いるだけの寂しい釣り場でした。

この日は、沖縄復帰50周年の日。その関連。

沖縄本島の北端、はるかに本土を望む辺戸岬に屹立する「祖国復帰闘争碑」。

吹き渡る風の音に 耳を傾けよ

権力に抗し 復帰をなし遂げた 大衆の乾杯の声だ

打ち寄せる 波濤の響きを聞け

戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ

鉄の暴風 やみ平和の訪れを信じた沖縄県民は

米軍占領に引き続き 1952年4月28日

サンフランシスコ「平和」条約第3条により

屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた

米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した

祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた

われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬された

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ

全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた

見よ 平和にたたずまう宜名真の里から

27度線を断つ小舟は船出し

舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ

今踏まえている 土こそ

辺戸区民の真心によって成る冲天の大焚火の大地なのだ

1972年5月15日 おきなわの祖国復帰は実現した

しかし県民の平和への願いは叶えられず

日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された

しかるが故に この碑は

喜びを表明するためにあるのでもなく

ましてや勝利を記念するためにあるのでもない

闘いをふり返り 大衆が信じ合い

自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり

人類が 永遠に生存し

生きとし生けるものが 自然の摂理の下に

生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

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