|22年03月7日 |中島 |
2011/03/08 14:43
6日、日曜日。4時半に起床。寝不足な体を朝風呂でゆっくりと温めます。池の鳥たちにパンをあげてから、この日は運動公園へ。40分ほど散歩です。
新事務所へ。雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。ロシアのウクライナの軍事進攻へのいら立ちも示しながら、ななくさ会計の検算などのことも。
新聞や書類に目を通します。いろんな課題で集中する書類、それへの対応、抜け落ちがあるのではないか、と心配になるのでした。
介護職員処遇改善支援補助金の対応もその一つ。わかりにくい制度設計だけに手続きをされていない事業所も相当あるのか、再々の要請文書ど届いています。県のホームページを見ても、正式な申請書は見当たりません。こちらに補助金は届いていないのに、この2月分から職員には支給することを求めています。
小規模多機能は介護報酬額の1.6%と決められています。一応、3つのみんなの家全体で、一カ月の補助金額を24万円と推定し、スタッフさんたちへの支給額を決めていきます。
2時過ぎにその計算表を完成。ウクライナの国旗、紺色の服をイトウゴフクで探します。胸に黄色の布を抱き込み、3時半過ぎに愛車タントで出発。西口の駐車場にとめて、岡山駅前のまつきよ前にあるきます。県革新懇が呼びかけた集まり。ロシアはウクライナ侵略をやめろ、ただちに撤退、の世論をと呼びかけます。41名の方が参加。通行している方たちから心を込めた募金が寄せられました。初めてお会いする方たちからも思いを一声、ということが続きました。
帰り道、大野辻コープのお店に走ります。新事務所に帰って、母親のアパートへ食料を届けます。
もう一度新事務所に帰ってきて、翌日の会議レジメ、補足したり。
7時過ぎに帰宅。コープで買ってきた刺身を肴にこれもコープで買った越後の缶ビール一本、でした。
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|22年03月6日 |中島 |
2011/03/07 11:37
5日、土曜日。朝、5時半起床。朝風呂で身支度、池の鳥たちにパンをあげてから新事務所へ。
高柳方面を歩きます。小さな畑と用水が交わるあたりも散策でしたが、この日もカワセミの姿はありません。
帰ってきて雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。岡山市中区に、中国残留婦人3世の、いほりさんご夫妻が開設している小規模多機能型居宅介護事業所に訪問する日程など相談です。田中青年、来所。岡山市住宅管理課の方に問いかけてくれたこと報告してくれます。公営住宅に介護保険制度を活用した「てすり」の設置の課題です。
月曜日の7日開催のNPO法人事務局の資料、法人事業会計、予算実績比較表を印刷。7部用意しておきます。2021年分確定申告、国税庁のホームページから計算していきます。
母親のアパートへ歩きます。芋粥を持参です。
夕方、月曜日の会議レジメに手をかけます。
視覚障害者友の会の岡崎さんから送られてきた、3月4日開催の優生保護法緊急院内集会、その内容に目を通してみたり。
7時半過ぎに帰宅。この日岡山駅サンステでロシアのウクライナ侵略許さない、抗議行動が行われた報告、フェイスブックを拝見でした。30人も参加された、マスコミも取材に、などと。残念ながらいけなかった、6日の日曜日、革新懇の宣伝にはぜひ行ってみよう、と。
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|22年03月5日 |中島 |
2011/03/02 06:50
4日、金曜日。朝5時起床。朝風呂で身支度、池の鯉たちにパンを投げ入れてから新事務所へ。
この日も朝の散歩は省いて事務所で雑務。朝日新聞の水平社100年の「光あれ」シリーズ、第5回目が最後。「偏見を自覚することが大切」というタイトルです。記者は小若さん。西成で救われたという男性の「差別する側とされる側、どちらにもなる可能性がある」という発言を紹介しています。「光あれ」とどう結びつけるのか、苦労されていることが読み取れます。
事務局の安田さんと打ち合わせ。県人権連の事務局から機関紙記事についての相談もとどきます。県連三役の会議と学習会、その前の打ち合わせ会議、11日をzoomで行うことの時間設定なども相談でした。
歯医者さんへ走ります。下の歯、全体的にレントゲン写真をとります。歯科衛生士の女性に、丁寧語で誘導されるのですが、子ども扱い。これが高齢者への配慮としているのか、とふと悲しくなります。医師は長年お世話になっています。普通の言葉で説明してくれます。治療で使う金属のパラジウム、これがロシアから輸入40%。ロシアのウクライナ侵略、戦争により、日本に入ってこなくなり、保険適用はランクが一つ下の金銀合金で賄え、となりそうなどと話してくれます。つらいですが来週一本抜歯することに。あきらめてはいてもまた減ってしまう、と侘しいものです。
1,200円でカットのお店に。昼食は長崎皿うどん。運動公園に出向いて散歩。PCR検査センターちかくにあるパン屋さんでクロワッサンを。
午後、魚屋さん、万代へ走ります。大将、大きなヒラメの刺身が良いよとすすめます。200円安くしてもらいます。刺身は薄切りに。
新事務所に帰り、母親のアパートへ食料を持参して歩きます。帰ってくると、この日一日で11,000歩に。
週末から週明けにかけての日程、あれこれと算段でした。
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|22年03月4日 |中島 |
3日、木曜日。春めく朝、4時半に起床。朝風呂で身支度。池にパンをあげてから早めに新事務所へ。朝の散歩もせず、雑務。
この日が、全国水平社創立100周年。せめてそれを祝う気持ちの表し方の一つとして、関連の書物に目を通します。
新聞にも目を通します。赤旗の1面下段のコラム、『潮流』に
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」―。自由や平等、人間の解放を求める宣言のもと、全国水平社はかくして生まれました。100年前のきょう、各地から集った若き青年たちによって▼近世の身分制度下で「えた・非人」と長きにわたって虐げられた人たち。彼らの集落は「部落」とよばれて差別され、地域社会から排除される状況は四民平等をうたう明治以降も続きました▼しかし大正デモクラシーの高揚のなかで民衆の人権意識が高まり、社会運動も盛んに。全国水平社創立の年には日本農民組合や日本共産党も結成され、社会変革や生活に根ざした要求をかかげて立ち上がっていきます。弾圧の嵐に抗しながら▼戦後の新憲法に結実した水平運動は、無数の人びとの努力によって部落差別を許さない土台を築いてきました。同和行政のなかで利権や暴力に走った一部の逆流を克服し、発展させてきた1世紀に及ぶ運動。その今日的意義は大きい▼今もさまざまな偏見や差別が向けられる社会。個の尊重や人権をめぐるたたかいは続きます。国の権力者が戦争を起こし、市民が犠牲になり戦地の若者たちが命を落とす。一人ひとりの尊厳がないがしろにされる最たる例です▼「すべての人が平等の立場にたって、尊敬し、助けあうことによって平和で幸福な『よき日』の社会をつくる」。創立時からの活動家であった木村京太郎は『水平社運動の思い出』のなかで運動の目的を記しています。そしてこう結びました。「歴史は解放の過程である」
と記載されていました。
朝日新聞は水平社100年シリーズの4回目として、「あいつゲイ」あの夜の後悔、と題してカミングアウト、アウティングの課題を取り上げています。
みんなの家ななくさの住宅さんと前日の会議のことなどで話をしてから、ロシアのウクライナ侵略問題でのとりくみ、民主会館の青年たちに要望を伝えます。
午後から民主会館へ。3月18日の人権連役員の学習の企画について吉岡事務局長と打ち合わせ。県革新懇の部屋にも顔を覘けて、全国水平社100周年の動画を見てくれていた事務局長と懇談でした。
新事務所に赤磐市のFさん、来所。少しゆったりとした話も交えて懇談です。
自宅に帰って、8時からはNHK・Eテレでバリバラを視聴。水平社100周年特集の第1回目の放映です。「差別される側」「差別する側」と分けてしまう発想はもったいない、もっとみんなでやれることを・・・、という出演者の発言、いろいろな取り組みに参画している人たちだからこその内容になっています。「部落問題」を核とした企画にはならない時代を迎えている実態をある面では示しているようでした。
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|22年03月3日 |中島 |
2012/03/04 09:53
2日、水曜日。5時前に起床、湯船のなかで外の雨音が激しい様子がわかります。池の鳥たちにパンを投げ入れてやり、新事務所へ。
傘を持ってこの日も高柳方面へ散歩です。2000歩ほど歩いて帰ります。雑務。朝日新聞の水平社100年シリーズ、この日は「沖縄への差別」。社説でも水平社宣言と題して翌日の100周年を意識しています。しかし、現実を見ようとしないものは説得力が乏しいとおもうのと同時に、いやいやこれでいいの、と思うところいろいろ。宣言が希求したのは「差別の根絶」なのか、そうであったとして今日の実態は「ほど遠い」状態なのか、「被差別部落」という言葉と概念を一般的な現状のものとしていつまでも書き続けるのか、「人々の意識に分け入って」いける主体をどう見ているのか、など。
みんなの家ななくさの住宅さん、来所。送迎に出るまでの時間、利用者さんのことスタッフさんの勤務体制のことなどの話に。
民主会館へ走ります。NPO法人に募金してくれた現金を持参。領収書を発行です。県人権連の吉岡事務局長と話し合い。全国人権連の府県組織のとりくみのこと、全国水平社創立100周年を翌日に迎えた取り組みの徹底、ロシアのウクライナ侵略を許さない宣伝活動など、あれこれと。運動公園へ出向いて春の空気を吸ってきます。昼ご飯は冷たい日本蕎麦。
午後、事務所へ帰ります。みんなの家スタッフニュース、数回分を再確認。今年1月11日付の№12を印刷です。みんなの家だんだんの佐々木さん、来所。この日のスタッフ会議にこのニュースを使って感染対策の再確認をしたい、と。
3時40分からみんなの家だんだんに降りて、スタッフ会議へ。3つのみんなの家にかかわる感染対策などについて少し説明をしてみます。九州に住む全国人権連のUさんからの電話で、近畿方面の組織とりくみのことで話しあいます。翌日の3日に、Eテレ、バリバラで水平社宣言をまた放映するNHK大阪放送局のことなども。
夕方、母親のアパートへ歩きます。白いご飯を持参です。NPO法人「岡山県高齢者・障害者支援ネット」で法人後見をしているMさんのことで、当方が担当を続けられない事態ですという話でもうおひとりの後見人、K弁護士さんと込み入った話になります。迷惑をかけますが・・・と平身低頭です。
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|22年03月2日 |中島 |
2014/ 3/ 1 6:37
3月1日、火曜日。午後から雨の一日でした。朝5時起床。朝風呂で身支度。池にパンを投げ入れます。鴨が一羽しかいなくてどうしたのか、夫婦別れでもしたのか、と思っていたら遠くからつがいの一羽が寄ってきました。餌になると取り合いの関係かも。
新事務所へ。高柳方面へ歩きます。この日も用水あたりも慎重に歩きますが、カワセミはいませんでした。新事務所に帰り雑務。赤旗の文化欄に、前部落問題研究所理事長の尾川まさのりさんの「全国水平社創立100周年」の記事を読みます。なるほどと納得。大きい意味での団結、のこと。紙面をコピーです。朝日新聞の連載、この日はヘイト犯罪、も。
「地域と人権・岡山版」の記事、朝日訴訟の会総会の原稿を仕上げて、民主会館へ送信です。
みんなの家ななくさの2階に上がります。ななくさの住宅さんと今は送迎だけのお仕事をお願いしているKさんと懇談。近い将来の仕事内容などについて話し合いです。
新事務所に帰ります。事務局の安田さんと打ち合わせ。社労士事務所のAさんに電話を入れて、非常事態時の労働に対する補償などを再確認してみたり。
たけのこご飯を炊いて、母親のアパートに届けます。帰ってきて昼ご飯です。
午後、みんなの家かるがもの火災保険の更新のため、アジア国際センターへ。友人のYさんと面談。韓国大統領選挙、岡山でも投票が先週の金・土・日の3日間あったんですよ、とききます。Yさんが言われるのには、日本に住む大韓民国の国籍を持つ人たちは、今の政治にかかわって、日本人と仲良くしたい、という気持ちが優先している、と。高齢化かもしれないな、とふと思うのです。この日は、1919年の3・1独立運動の記念日、コロナの影響で集会はなかったのかな、などと。
県人権連の先輩、後楽園近くのTさんの自宅に向かいます。1時間半ほど、体調のことなどあれこれときかせてもらいました。時代の変化、時のうつろいを感じます。
新事務所に帰ります。みんなの家だんだんの佐々木さん、来所。コロナ感染の現状と対策のことなどで相談をうけます。翌日のスタッフ会議に参加することになりました。
暗くなってから少し散歩。7時半過ぎに帰宅でした。
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