|25年12月19日 |中島 |

2013/12/18 7:29
18日、木曜日。3時過ぎ起床。新聞に目を通し、朝風呂で身支度。新事務所へ。
雑務。7時過ぎ、高梁市の長谷川さんからの電話。丸山清さんの訃報です。前日に入院している丸山さんに「地域と人権」を届けた時は「まあまあ好くなっている」と答えたのに、その日に亡くなってしまった、と。お通夜と葬儀の執り行う日程を聞きます。
9時前に出発して岡山地方合同庁舎へ。9時半から岡山就職連絡会の岡山労働局との話し合いです。労働基準部 監督課上席監察監督官、労働基準部 賃金室長、職業安定部 職業安定課長、職業安定部 職業対策課長、職業安定部 需給調整事業室長、雇用環境・均等室 室長補佐の皆さんが対応してくれます。新規学卒者や青年の雇用確保のため、岡山県、岡山県教育委員会と連携し、引き続き格別のとりくみをすることなど、雇用確保に関する要請事項。?就職後の労働者の働き方の把握をし、法順守の働き方の徹底をすすめることなど、働くルール確立に関する要請事項。高等学校・短期大学・大学等の募集・選考・採用にあたっては、職業能力・適性によることとし、性別や出身校を理由とした就職に関するいっさいの差別をなくすこと。また、統一応募書類以外の提出を求めないよう指導し、徹底させること。さらに高等学校以外の就職実態調査の実施を検討する
ことなど、就職活動のルール確立に関する要請事項。3本の柱で回答をしてもらってから再要請していきます。
終えて、急いで岡山県庁へ。今度は岡山県の労働雇用政策課 、経営支援課 、産業振興課、障害福祉課 指導監査課 などから8名が対応されました。
12時過ぎに終えて、王様のラーメンが欲しくてお店を覘いてみますが3人一緒では入れない。仕方なくこちらは西口の喫茶店まで走ります。日替わり定食です。
県自治体問題研究所に出向き、花田事務局長と一緒に岡山市民生協労働組合の事務所まで走ります。民主県政をつくるみんなの会の役員若返りのための要請行動です。きっちり考えていてくれてうれしい話になりました。
花田さんを春日町の事務所に送り届けて、母親のアパートへ。食料を手渡し、土日は釣りに行き大きなメバルを釣ってくるからと話します。それは好かったとうれしそうです。
それから公益財団法人・林精神医学研究所の評議員会に出席するために走ります。少し時間があったので、近くのサンマルクで珈琲タイム。翌日の県教委との話し合いのための高校生の自衛隊募集問題、少し調べものもできました。評議員会にでて、議長役。上半期の報告をいろいろと聞かせてもらいます。
8時過ぎていったん事務所に帰ります。メールなどチェック。8時半すぎての帰宅。会議でいただいた、喜楽のお弁当を肴にビール一本の夕食でした。
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|25年12月18日 |中島 |

2012/12/22 07:44
17日、水曜日。4時前起床。朝風呂で身支度。新事務所へ。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。月曜日の公民館で行われる三門学区の助け合う会の様子も聞かせてもらいます。問いかけがある利用者さん候補のことなども。1月の管理者会議の日程調整も。
民主会館へ。岡山県地域人権問題研究集会2026の準備の会議です。7人会議でした。基本的人権の確立をめざしてー『第6次岡山県人権政策推進指針(素案)』の検討、?『人権教育・啓発の基本計画〔第二次〕』(閣議決定、2025年6月6日)の検討、『第4次岡山県人権教育推進プラン』(岡山県教育委員会、2022年2月)の検討、『第4次晴れの国おかやま生き活きプラン』(岡山県、2025年3月)の検討、これらの発表前の事前の検討会です。
午後は、勤労者福祉センターへ。民主県政をつくるみんなの会の代表委員と事務局合同会議。15人が参加。会計担当の平井さんが亡くなったことを受けての任務分担、1月30日開催の総会に向けた意思統一なども。
この日は、頭のカットや食料品の買い物などもしておきます。
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|25年12月17日 |中島 |

2015/12/16 16:15
16日、火曜日。5時間ほどの睡眠。3時半頃起床。新聞に目を通し、朝風呂で身支度。新事務所へ。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。前日の給与と賞与が支給できたことに、感謝の気持ち込めてあいさつしてくれます。
ななくさの建物火災保険の更新の手続きのために、岡山駅前のアジア国際センターへ。20数年前の岡山市職労主催の市民の集いの人権分科会の集会がきっかけで友人になったUさんに、その手続きをお願いです。申告にかかわる相談のことなど聞かせてもらったり。
県立図書館へ。この日プリントアウトして持参した岡山県地域公共交通ビジョンをじっくり見てみます。パブリックコメントと言うか、地域的課題をまとめて提案してみたら、という思いになります。新刊の書棚においてあった岩波ブックレットを借りてきます。
図書館をでて買い物に走ります。大きな粒のいちご、チーズなどは母親用。我が家のおかずに、八宝菜や麻婆豆腐、事務所用に干し椎茸など。遅い昼ご飯をスパゲティで済ませて、新事務所に帰ります。
事務所でお茶を入れてポットへ。それも持参して母親宅へ車で走り、食料を手渡します。わずか5分か長くて10分ほど、毎日顔を合わせての会話が日課になりました。母親からすれば、それがうれしいようです。こちらも後期高齢者なんで、というとニヤッとしてみたり。
水道局近くの整形外科へ。受付で診察もお願いと診察券と後期高齢者医療資格確認書、それに薬手帳を提示します。1時間ほど待ってやっと診察。痛みがほとんどない状態が続いています、と話します。お医者さんが「服薬」どうしましょう、と。もうしばらく、間隔を考えて服薬してみて、その結果ですべてやめるか判断させてもらいます、と。
新事務所に戻ります。雑務ののち、8時ころ帰宅でした。
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|25年12月16日 |中島 |
15日、月曜日。新聞休刊日。ぐっすり6時間の睡眠。4時半ごろ起床。朝風呂で身支度。コンビにニ立ち寄りスポーツ新聞や野菜類を買って新事務所へ。今週の会議、県との話し合いの日程、予定などを確認です。金曜日までびっしり。
雑務。土曜日に開催した「人権学習集会」で報告してくれた方たちに、参加者さんたちからのアンケートに寄せてくれた感想文を添付してお礼の報告です。日曜日にかけても忙しかったので、この日の朝はちょっと一息。
12月給与と賞与の支給日です。事務局の安田さんと吉岡理事と3人で準備していきます。作業中に三戸さん、来所。相談があるようでしたが、別の時間帯に、と話します。
お昼は、朝買ってきた野菜や貯蔵していた焼き豚などを使って野菜炒め。すき焼き用の出汁をメインに焼き豚のたれと醤油を混合した味付けで、卵を一つ落として炒めます。結構ご飯にぴったりのおかずです。
午後、林病院ひまわりホールへ。林友の会の幹事会です。久しぶりの幹事会なので事務局からの報告が長くかかります。広い会場のせいもあり、マイクがあっても聞き取りにくくなってきています。事務局の方が全国的な取り組みに出張参加されたことについて、その丁寧な報告書が幹事会にも提出されていて、そのきちんとされていることに感心したり。「障害者医療費公費負担制度」の適用について、障害者手帳の取得が65歳以上の人たちは対象外としている問題について、県の対応の変化はあるのかという質問や報告もありました。県へのさらなる話し合いが大切と。
新事務所に帰ります。スーパーニシナに出向いて食料を買って、母親に届けます。歩いて帰る途中、福木さんからの電話で、この日の夜、岡山自治体問題研究所の学習会と理事会が行われること、忘れていたことに気が付きます。新事務所に帰って、ズームで市民公開講座、それを終えての理事会に。理事会では、岡山県地域公共交通ビジョンへのパブリックコメントを出してくれた方からの報告があり、論議です。JR吉備線の関西高校前踏切による国道180号線の渋滞問題、LRT化が提案された2020年当時、北区住民で論議したこと、その中の意見として、いくら津島米倉線の拡幅工事が進んだとしても踏切問題が解決できないとより渋滞問題が大きくなるだけで住民は道路に出ていくことにも難儀する、LRT化は無駄な経費が掛かりすぎであり、時間が正確な公共交通の意味がなくなってしまう、長年地域医療を担ってくれている病院の移転をよぎなくさせてしまうなど地域に多大な問題を投げかけてしまう、などがあったことを話しました。こういうことも県へのパブリックコメントで寄せてくれたらいいのでは、と参加された方から助言をいただきました。
8時半頃帰宅。遅い夕食でした。
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|25年12月15日 |中島 |

2016/ 4/12 12:06
14日、日曜日。4時起床で、小さな雨のなか早朝の配りもの。朝風呂で身支度。新事務所へ。
雑務。6時半頃、みんなの家ななくさのOさん、来所。前日の「あなたとともに考える人権学習集会」で事例発表してくれたこと、お礼です。前日届いたアンケートに書いてくれた感想など、みてもらいます。いろんな困難を乗り越えて「介護」が楽しいといえる今日、さらに学習が大切だ、と考えている様子でした。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。やはり前日の学習集会のこと話題です。皆さん、よく頑張ってくれたよね、と話します。高橋先生の講演は準備もよくされていてわかりやすく、場の雰囲気も和むように工夫してくれていた、と。各事業所の事例発表も皆さんよくやってくれたという感想。意見交流も、いほりさんもいい話もしてくれたし、崎本さん、関藤さんたちの話も励ましてくれたね。ご家族が認知症となっている方の発言も介護実態をしめしていて、発言されたかたは大変な日常の思いを吐露されたんだろうね、などと話し合います。司会担当として奮闘してくれたことに感謝を述べると、本人はさらに自らの成熟を期していかないといけない、などと話していました。
民主会館へ走ります。県社保協主催の「介護保険制度の抜本改革提言」・社保協パンフ学習会に参加です。当方が主催者あいさつ、全日本民医連事務局次長の林泰則さんが、ズームで1時間40分ほど講演です。25年の介護保険制度の「利用者の負担」「給付の見直し」「介護報酬の増減」などの変遷から、その政権の社会保障への姿勢などがよくつかめます。
前日、「あなたとともに考える人権学習集会」に参加していくれていて発言された方がこの学習会にも参加されていました。本人が作成してご家族が入所されている施設で講師として話をしたといわれる「ユマニチュード ケア実践プリント」を当方に持参してくれました。
新事務所に帰ります。「第6次岡山県人権政策推進指針素案」へのパブリックコメント、今まで書き上げたところを点検しながら、残りの章立てに対してのコメントを整理していきます。すべてとはなかなかいきわたりません。
お昼ご飯も、事務所に備蓄しているレトルトの「お粥」などで済ませます。途中、ザクザクに買い物に行く程度。母親からまだ来ないのかという催促の電話もあります。事務所にこもってあれこれもしながら、パブリックコメントを書き上げて7時ごろ、県庁へ送信でした。第6次岡山県人権政策推進指針・素案に対するパブリックコメント、人権連案、2025.12.14
母親のアパートへ立ち寄ってリンゴジュースを手渡します。精神的に落ち着いているようで安心です。7時半頃帰宅。NHK大河の、べらぼう、最終回を楽しみます。
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|25年12月15日 |中島 |

2013/12/16 7:00
13日、土曜日。4時過ぎに起床。朝風呂で身支度。桑田町の木村のパン屋さんへ。サンドイッチなどを買って運動公園へ。20分ほど歩きます。
新事務所へ。雑務。前日から本格的に書き始めた「第6次岡山県人権政策推進指針素案」に対するパブリックコメント、この日も。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。午後からの「あなたとともに考える人権学習集会」の進め方など、打ち合わせです。
お昼を、大元病院近くのセルフうどんで済ませて、春日町の勤労者福祉センターへ。
NPO法人地域人権みんなの会主催の「あなたとともに考える人権学習会2025」です。会場に参加者は65人、ズーム参加は10数人、合わせて約80人の参加でした。
司会は住宅さん。当方は主催者を代表して、「高市政権となって初めての国会の質疑を聞いていても、軍事大国化をめざすのが当然のごとくあたる政権は医療と介護、福祉を提供する体制、国民の負担などは二の次、いや社会保障自体は削られ続けていくという感がぬぐえません」、「いま現場で大きな問題となっている医療・介護・福祉提供体制の崩壊現象は、地域住民の生命と健康、暮らしに困難をもたらすのみならず、ケア労働者の生活基盤と目指すべき生き方までもが奪われかねない事態でもあります」と述べ、「だからこそ今回の人権学習集会は、「今あらためて人権の視点で医療・介護・福祉を考える」をタイトルとしました」と企画の背景を述べます。
岡山医療生協の高橋淳理事長が「みなさんとともに考えたい人権のことー医療現場で働いて感じることー」のタイトルで講演。先生は、「権利とは何か」「人権とは何か」を会場に問いかけ、医療現場では命を救うためとして拘束をすることがある。認められる3要件、・抑制しなければ生命の危機に直面する。・他に良い手立てがない。・あくまで一時的な措置とあるが、すべてが満たされなければならず、一時的という時間はいったいどれだけだろうと疑問を投げかけました。安全と人権がせめぎ合っており答えが見つからない状態だ。それでも自分たちは考え続け、人権の理論的基礎を築き、参加と共同のよって人権を護りたいと結ばれました。
介護の現場から「みんなの家ななくさ」「みんなの家だんだん」「みえさんちの家」の小規模多機能ホーム、それに「生活と健康を守る連合会」から事例報告や生活保護者の人権保障の運動が紹介されました。意見交流では、連れ合いの認知症進行にかかわって自宅介護での限界と施設問題を訴えられる話、訪問看護ステーションの関係者さんからは「小規模多機能での奮闘ぶりがよくわかります」と感想が出され、中国帰国者の介護をされている施設の方からは外交や平和の問題も語られました。理事の川谷さんが閉会のあいさつ。「憲法がある日本で許されるのかと政治の劣化に怒りを覚える。自分の母親がみんなの家だんだんのお世話になり、最後は医療生協の病院で看取ることが出来た。母は幸せそうだった。私たちは介護と向き合いながらこれからも人権保障の理念を発展させたい」と述べました。
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