みんなの会 岡山市北区下伊福西町1-53 ● みんなの家ななくさ 岡山市北区西崎本町1-7 ● みんなの家かるがも  岡山市南区浦安本町158

生きているよう。

|26年03月17日 |中島 |

2014/ 3/15 7:53

15日、日曜日。夜中、協立病院で母親が亡くなった。午前1時38分でした。20分ほど二人だけの時間。まだ眠っているような表情、手も温かい。母親の右目にうっすらと涙のような輝きも見えます。苦しかったろうに、と思うと涙が溢れます。

看護師さんたちが清拭したりお化粧してくれたり。4時には迎えに来てくれてよろしいので、と葬儀会社に連絡です。4時少し前に迎えの黒い車が到着。知り合いのU看護師さんも一緒に見送ってくださって、こちらからはほんとありがとうございました、と挨拶。

自宅に帰ります。朝風呂で身支度。起きてきた連れ合いに朝亡くなったことを伝えます。しばし休憩です。新事務所に出向いて、雑務。近くの照泰仏堂さんに出かけて葬儀の打ち合わせです。無宗教で自由葬、場所は岡山市の北斎場。15日はお別れ、16日が斎場でお骨に、というスケジュールが確定です。

岡山駅西口へ。サンステで12時から1時間、平和委員会の15日宣伝に参加です。この日は4人、藤田、大熊、氏平、中島が順にマイクで訴えます。母親の母、当方の祖母が空襲で亡くなったという思いを胸に、アメリカとイスラエルのイラン攻撃問題、高市首相のトランプ大統領へ迎合する、そんな態度を批判的に話します。こんな岐路に立つ時だからこそ、憲法を、と。

新事務所に帰って、雑務。母親が亡くなったこと、少し連絡も。

自宅に戻り、斎場に行く用意。誰かが宿泊しないとこの日の安置場所の夜間使用ができないということなので、当方がまずは宿泊することに。当方の車の後を連れ合いが付いてきます。

5時ごろ、母親の遺体が運ばれてきて、棺の中に。まだ生きているような感じ。みんなの家ななくさ・だんだんから住宅さん、杉本さん、大森さん、花田さん、利用者さんで同じ年齢のお友達のMさんと娘さん、かつてななくさケアマネで担当してくれた池田さん、関西町のHさん親子、それに当方の子どもたち、孫たちなどで、この日が94歳の誕生日だった母親の思い出話になります。

身内の7人が残って母親を偲びます。中島青年が一緒に泊まってくれて10時ころ就寝でした。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

母、逝去

|26年03月15日 |中島 |

14日、土曜日。4時過ぎ協立病院から自宅に戻ります。朝風呂で身支度。新事務所へ。

雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。当方の母親の様態について話します。前日の岡山市による集団指導の内容について、特に減算対象に挙げられてることについて具体的に対応しているという確認も含めた話に。

協立病院へ。母親の付き添いです。11時過ぎ連れ合いが持参してくれた弁当で昼ご飯。連れ合いに付き添いをお願いしてこちらは民主会館へ。

岡山県地域人権ネット主催の「町内会活動 交流懇談会」ーー住んでいてよかった地域づくりと町内会活動ーーを開会です。14人が参加。岡山県自治体問題研究所の事務局長が「町内会活動を考える」と題して問題提起。〇町内会の基本的性格・位置づけ、〇岡山市における町内会の現状、〇歴史から学ぶこと、〇政治・選挙・議員との関係を柱にして話され、

〇町内会に求められていることとしては、1.行政の下請けにならず、自主的に地域のことを考える、2.透明性の確保(会計・工事・要望活動)、3.若い世代の参加促進、4.防災・要支援者支援の実効性、5.地域課題を自ら議論する力として、これらの活動の交流、さらに引き続き論議していくことが大切だとまとめられました。

町内会会長、副会長が合わせて8人おられて、各町内会の課題などが出し合われました。地域としての課題をまとめて自治体や政府に要求していくことも視野に入れて引き続き第2回目を秋ごろには開催すること、内容は二つほど町内会のもう少し詳しい事例を聞かせてもらうことから、ということに。

終えて、協立病院へ走ります。連れ合いとバトンタッチです。中島青年も来てくれたので、近くのスーパーへ晩御飯などを買い出しに行きます。一段と体力が落ちてきて息をするのがきつい感じがする母親の付き添い、泊りです。

夜中の1時半頃、ふたりの看護師さんが脈や瞳を調べて医師を呼んでこられて死亡の確認でした。15日が誕生日。ぎりぎり94歳になりました。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

ターミナルケア、協立病院

|26年03月14日 |中島 |

12日、木曜日。新事務所へ。

朝から協立病院へ。緩和病棟の母親のいる部屋へ。少し苦しくなってきた体調ですが、お茶などを求めに応じてあげてみたり。

お昼に連れ合いが孫たちを連れてきます。母親のご近所で特にお世話になったOさんも一緒です。連れ合いが持ってきてくれた昼食、中華料理店・大福園の弁当を車の中でいただきます。美味しいのです。部屋に戻って、Oさんにお礼。孫たちにはありがとう、と。

4時半新事務所に戻ります。ズームで社会福祉法人結いの理事会に参加です。7時40分ごろ終えて、協立病院緩和病棟に連絡を入れます。もう一度病室に立ち寄ると言っていたのですが、断念しますので、と。8時過ぎて帰宅。フートひと息でした。

 

13日、金曜日。いつものように新事務所へ。短時間の雑務。9時前に出発して協立病院へ。

母親の部屋に入ります。表情が険しくなっています。看護師さんが、15日が94歳の誕生日なのでその日にお祝いをしたい、と言ってくれます。午後2時に、ということに。大丈夫かなと心配しながらも連れ合いと子どもたちに連絡を入れます。

連れ合いが弁当を作ってきてくれて車の中で昼食です。午後は、桑野の岡山市ふれあいセンターへ。岡山市の事業者指導課が行う集団指導に参加です。みえさんちの家の荻野さんにばったり。塩見さんが座っている前、一番前列に席を取ります。みんなの家ななくさ、だんだん二人ずつのメンバーも次々と着席。かるがもからは一人だけ、ということでした。3時35分に終えます。井堀さんご夫妻にもあえてななくさの住宅さんへの託け物も預かりました。

協立病院へ戻ります。リハビリを行ってくれたようです。その担当の方、ビキニデー集会に静岡まで中島青年と一緒に参加したと言ってたよ、と連れ合いから聞かせてもらいます。

この日は夜の付き添いもします、と看護師さんに申告。その申請用紙に記入です。付き添い許可証も発行してくれます。中島青年が来てくれます。住宅さんも研修で疲れた後なのに晩御飯を携えてきてくれました。中島娘夫妻も仕事をやっと終えて駆け付けてくれました。母親は4時過ぎから苦しさを訴えて、緩和する薬の点滴、睡眠薬の注射をして眠ったり、まどろんだり、うつつになったり、ひとり言をいってみたり、と。

買ってきたサンドイッチなどで夕食です。同じ部屋の中のソファを倒してベッドにしてくれたので、そこで薄い毛布をかぶって泊まり込みでした。

 

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

協立病院緩和病棟で

|26年03月12日 |中島 |

11日、水曜日。いつものように新事務所へ。

雑務。19日開催の3つの事業所の管理者会議、そのレジメづくりに。いつもは5人会議、今回は引継ぎもあり7人会議に。年度末でもあり、議題にぬけがないように頭を働かせます。

みんなの家ななくさの看板を取り換えた、その工事を請け負ってくれた業者さん、請求書を持参。一緒にその看板自体を改めて見てみます。看板の大きさと字数、文字の大きさと色合い、書くべき内容なども、もうちょっときちんと提起すればよかったかな、と内心思います。

テレビは東日本大震災から15年の特集を。2011年11月に、皆さん先輩にあたる年齢の、藤澤、竹本、三戸の皆さんと岩手県宮古市まで物資を運んだこと思い出します。田老港の防波堤の鉄骨の柱がひん曲がっていたこと、38メートルの波がきて見回っていた消防団員が流されてしまったいう小さな湾(小堀内漁港)のことなども。

事務局の安田さんと、3月給与について個別支払い票と労働実績との照らし合わせです。その作業を通じて雇用関係、書面できちんとしておかなくてはというもの再確認の場合もあります。

前日の母親の様子からして心配な感じがするので、朝から協立病院へ。緩和病棟に入ると看護師さんが、手足が紫色になっているので電話連絡を入れようかと思っていたところです、と。その様子を伝えたくて、連れ合いと中島青年に連絡入れます。順次病院に来てくれて母親に声掛けをしてくれます。この日は、一般病棟で主治医だったI先生も顔を覘けてくれて母親に声をかけてくれていました。当方には腹水の検査結果を聞かせてくれます。夕方、住宅さん、杉本さんも。中島娘は緩和病棟へは初めてと。

途中2時間ほど県立図書館へ出向いて、山陽新聞の連載シリーズ、「傍らのひと」9回分を探し内容を見ておきます。その企画の意図が見えてきません。

病院から、7時ごろ新事務所に戻ってきます。メールのチェックです。8時前帰宅でした。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

ランプで戦争反対駅前行動

|26年03月12日 |中島 |

10日、火曜日。いつものように新事務所へ。

雑務。地域人権ネット主催、14日開催の「町内会活動交流懇談会」の当日資料の印刷や会場のことでの連絡・相談が届きます。

みんなの家ななくさの住宅さん、来所。事業所運営にかかわっての話に。

前日に続いて、みんなの家だんだんのスタッフさんと面談。その部屋のベッドで横になっている利用者さんのMさん、その方が歌好きになっていった話などもしながら、だんだんの存在の意義も話します。管理者の佐々木さんからも次年度以降もよろしくお願いします、という話に。

西崎郵便局へ歩きます。確定申告書、切手を貼ってもらい郵送。2日後に着きます、と局員さん。

午後、協立病院へ。母親の部屋で過ごします。 夕方、東川原のサン・マルクでひと休憩と読書。

岡山駅西口の駐車場に車を停めて、防寒のジャンバーを着込んで東口まで歩きます。夜7時からの「戦争反対駅前行動」に参加です。この日は2回目。1回目は参加できなかったので、という思いで参加です。主催者の方にアピールする看板を借り、ペンライトの代わりに、釣り用のヘッドランプでアピール。この日は56人の参加だったようです。「戦争反対 高市首相は憲法守れ」のコールが続きます。

8時過ぎて新事務所に戻り、メールなどのチェック。8時半頃帰宅でした。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

次の研究集会の準備

|26年03月11日 |中島 |

20

9日、月曜日。新事務所へ。

雑務。みんなの家だんだんの佐々木さん、来所。新しく入職希望者さんと面談した様子を聞かせてもらいます。

早くから協立病院から電話が。ちょっとビクッとします。母親の点滴のことでした。了解ですと応えます。

人権連の吉岡事務局長と連絡。この日の午後の「研究集会実行委員会」会議の資料、準備してくれるように話します。

だんだんの部屋で、みんなの家だんだんのスタッフさんと面談。彼女が中学生時代からの知り合い。ななくさの開設の年から従事してくれてだんだんに移動してくれている。正規職員から時給の働き方になる年齢になったことを受けて、管理者の佐々木さんと一緒に話し合いです。4月以降もお互いによろしく、という結果です。

みんなの家ななくさの住宅さんの研修場所の位置確認のために、助手席に乗ってもらって愛車を走らせます。南区の県道から一歩入った住宅街をあれこれ。最初に見つけたところが正解でした。

午後、民主会館へ。岡山県地域人権問題研究集会実行委員会のメンバー5人での会議。小畑実行委員長の「会議の構成」についての説明から始まります。2月7日の研究集会そのものの総括、その材料は企画立案した人たち、参加してくれた人たちの感想、その両方が必要ではないかと感じます。アンケートに答えてくれた人は数人です。次年度の研究集会の研究テーマについて論議。岡山県人権教育推進プラン、その背景などについてということに。

終えて、協立病院へ走ります。お風呂に入りたかったけれど無理はしないでということで洗髪と清拭をしてもらったようです。看護師さんが夕食を運んできてくれた時、母親は、ここにいたらいいんか、と私に問いかけてきます。

暗くなってから新事務所に帰ります。雑務。8時前に帰宅でした。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

« 前 次 »

QRコード/カウンタ

ご訪問番目

サイト内検索

最近の投稿

カテゴリー

リンク

提携機関

リンク2

記事カレンダー

2026年3月
« 2月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

アーカイブ

RSS みんなの家ななくさ

RSS みんなの家かるがも

メタ情報