引き続きみんなの支援を、東日本大震災復興へ
25日、日曜日。朝早く、林病院へ。前夜おいて帰った愛車タントをとりにいきました。そのまま新事務所に。
雑務。この日、地域人権運動岡山市連絡会(人権岡山)の第11回総会が行われるのでそのあいさつ文を整理です。短く、を心がけます。
歩いて、民主会館へ。みんなの家だんだんを5月から利用しだした女性の娘さん、Nさんがちょうどおられてその母親さんのことでしばし談義。
すぐ近くの、岡西公民館に向かいます。人権岡山の総会、久しぶりに顔を合わす人たちも含めて50人ほどが参加されています。青年3人が4月下旬に岩手県宮古市へ、復興支援のために出向いたとりくみ、その現地での交流内容がパワーポイントで報告されていました。岡山県人権連としては、2011年、2012年、そして一年飛んで2014年、と3回直接出向いたことになります。青年達の報告で、引き続く支援がまだまだ必要であることが実感させられたのです。
終えて、民主会館でひと休憩。連れ合いが、いただいたお弁当を分けてくれて新事務所に持ち帰りいただきます。中華のお弁当、八宝菜などがご飯にあっておいしかったのです。
食後の休憩が長くなってしまいました。喫茶ひまわりの店主からの電話で目が覚めます。前夜、石鯛を釣ってきた人がいる、今日あたりが一番おいしいよ、というありがたいお誘い。残念ながらこの日は予定があっていけない、などと。結局、障害者の生活と権利をまもる岡山県連絡協議会の総会には参加できませんでした。新事務所でごそごそと雑務です。
そして、夜8時ごろ、みんなの家ななくさに出向いて、ボランティアで居残り仕事をしてくれていたスタッフさんとの話し合い。体力と気力、そして仕事のやりがいなどが相乗的にいいほうに向かうような流れを作らなくては、とおもうのでした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »