名古山霊宛に
|12年12月25日 |中島 |
24日、少しゆっくりしての起床。自宅でパンの朝食。そして事務所に。
管理人さんがおかんむり。前日に事務所周りの下水管工事をしてもらったこと、予想以上に簡単な工事だったのに支払額が高すぎると。
雑務を少し。その後、母親をのせて、高速を愛車タントで姫路まで。名古山霊宛付近の葬祭センターに。入口の女性が家族葬用の一室に案内してくれます。明治44年生まれ、満101歳で亡くなった大叔母。市長や知事、総理大臣からの100歳の祝いの賞状や入所していた特養のスタッフ手作りのスリッパなどを柩のなかに入れてあげます。
歩いてすぐの斎場でもう一度寝顔を。そして最後の別れです。明治の女性だからこそなのか、傍流となる系譜の当方や当方の両親をよくぞ育ててくれたものだ、というおもいに。
陽が西に傾く、その西日を浴びながら、岡山に着くころは暗くなっていました。高速で帰ってきます。母親をおろして、事務所に。そして、みんなの家ななくさに。サテライトの設置に向けての段取りも話題に。同時に、利用者さんに責任をもつ、ということの中身などもじっくりと話し合いでした。この日宿泊利用の利用者さんに気遣いをさせてはならじ、と席を立ったが9時も過ぎていました。
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