山宣から学ぶ
|17年08月28日 |中島 |
27日、日曜日。朝、いつものように起床、歩いて新事務所に。みんなの家ななくさの住宅さんとモーニング珈琲。
雑務。金曜日に事務所までこられて日曜日には送ってほしいと頼まれた原稿、少し思案です。
10時過ぎ、車で出発。福祉交流プラザ旭東で、岡山県治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の第30回総会です。来賓のお一人、国民救援会の会長・竹内和夫先生がもうすぐ91歳になります、と話すと会場から拍手がわきおこります。この集りでは年配者が堂々としているのです。抵抗の証言第4部の発行など今年度の方針が決められていきます。
午後、東京山宣会の副会長の藤田廣登さんが「反戦・平和を貫いた゛山宣゛の生涯」と題して講演です。1928年、第1回普通選挙で京都2区から国会議員に当選、その後新潟・五泉の農民組合や東京・羽田の漁業組合から頼まれて「唯生唯戦(ゆいしょうゆいせん)」と揮毫したこと、自らも鼓舞する自分の言葉ではなかったか、と解説されます。
共謀罪法が、6月15日に国会で強行採択された情勢をうけ、戦前の治安維持法が今あらためて注目される事になった、そして国賠要求をかかげて闘っているこの組織の大切さが多くの人たちに広がっている、と話されていました。
終えて一度新事務所に帰ります。少し原稿に向かいます。5時前、協立病院へ到着。ポン友のお見舞いです。ちょうどタクシーで帰ってきたところ。しばし連れ合いさんとも話します。7時半ごろ新事務所にかえって、原稿を仕上げてメールで送信。帰宅すると8時半過ぎ。遅めの夕食、軽めのビールで済ますのでした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »