73年目の暑い広島へ
4日、土曜日。この日は、午後から国民救援会の学習会。民主会館へ走ります。倉敷民商事件、その経過と本質について則武透弁護士がパワーポイントにまとめてくれていて、理解しやすい話です。続いて、かつて税務行政にも従事していたという山室税理士さんの話。事件とされた案件には、「たまり」が生まれていない。脱税行為には「たまり」が必ず生まれる、というその関連性を税務に詳しくない人にも分かるように説明してくれます。広島高裁岡山支部の判決で岡山地裁に「差し戻し」となつた禰屋さん、その逮捕時から拘留時の置かれた状態、裁判をたたかう中で家族と仲間への信頼、闘い続けることの大切さ、闘いと生き方に結び付いていった経験を感動的に話されました。
5日、日曜日。早朝の配達物を済ませて、新事務所に。途中、家にかえってこの日の広島の女性集会に参加する連れ合いを岡山駅へ。ついでに、翌日の当方の切符を緑の窓口で購入。新事務所に帰り、成年後見制度で補助しているFさんのご親戚の方に手紙を書、投函です。そして、9月の集会冊子に掲載するあいさつ文を1600字程度にやっとまとめてメールで送信。その時にのせる顔写真、パソコン内のデータで探してもなかなかいいものが出てきません。土台の問題か、などと独り言。夕方から、釣り例会。帰ってきたのが11時過ぎ。汗びっしょり、風呂でさっぱり、そして冷たいビールを飲んで床に入ったのが夜中を過ぎていました。
6日、月曜日。朝4時20分起床。まだ眠いけど、身体は重くはない。新事務所に出向き、カメラなどを小さなバックに。JR吉備線、備前三門駅5時34分の1両だけの列車で岡山駅へ。広島駅からの路面電車の運賃を考えて、緑の窓口で無理をお願いして1万円札を千円札で9千円、100円だま10枚に両替してもらいます。「ありがとう、助かりました」と気持ちを伝えます。
6時10分発、16両あるこだまで広島へ。7時10分着。南口へ出て、路面電車の一番前に座り、平和公園へ。原爆ドーム前の一つ手前で下車。少し歩いてドームの前の道を歩きます。
大勢の人たちが、広島市主催の平和式典会場に向かいます。警察官と市の職員の人たちが会場まわりを綱で囲っています。その北側から、原爆の火、見えます。
8時に開会、原爆死没者名簿奉納と市議会議長の式辞のあと、遺族代表などの献花、8時15分に黙祷。平和の鐘、そして鳩が飛び立ちます。松井市長の平和宣言、核兵器廃絶への世界的な動向と被爆者の願いを踏まえた内容、子ども代表ふたりの、継承していくという決意にあふれた平和への誓い。核兵器のある国とない国、その調整役になるという安倍首相のあいさつは、述べる本人もそれを聴く人たちも、冷めた感じ。拍手もまばら、仕方なしに聞いているという雰囲気。それを吹っ切るように、ひろしま平和の歌、これをみんなで歌います。
在日韓国人被爆者の慰霊碑の周りでも、若い女性たちが取り囲んでガイドさんから説明を受けていました。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »