|14年09月12日 |中島 |
11日、木曜日。新事務所から歩いて民主会館へ。前日に管理人さんが退院したばかりなので、まだお手伝いが必要か、と思って開館準備です。
新事務所で雑務。みんなの家ななくさの住宅さん来所。ちょうど、彼女がいるときに、ななくさ排水工事の仕上げのことでEさんから電話。16日の舗装工事となりました。
みんなの家かるがもスタッフの給与、銀行に行って引き出しです。通帳の残額を見て支払額を頭に描きやりくりは大丈夫、と確認です。NPO法人地域人権みんなの会理事の一人、県人権連の吉岡事務局長に来てもらって封筒づめ、かるがもへの持参を頼みます。
昼食は、ラーメン風太で冷麺を。もうそろそろ冷麺のシーズンは終わりのようです。
新事務所で休憩中、三戸さん来所。県9条の会主催の10月5日の講演会、その諸準備、諸団体や各9条の会とのベルトかけのことで腐心している様子でした。
再び、民主会館へ。社会福祉法人の評議会の開催時に、議事録署名人になったことで、その議事録作成のことで対応でした。
この日は、歯医者さん、散髪屋さん、などでメンテナンス。歯医者さんでは2200円もかかっていつもより高いね、と。反対に散髪屋さんはポイントがたまったから、ということで350円だけでOK。ほんとにこの金額でいいの、と念押しでした。その後、急に海を観たくなって、牛窓の前島にわたりて夕日を見ながら目の保養も。
花は、12日のあさの散歩中に。つななり、という感じ。
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|14年09月11日 |中島 |
10日、水曜日。朝、新事務所に。そして歩いて民主会館へ。開館の準備です。コンビニに寄って、牛タンのシチュウ、ちょっと高めのレトルトも仕入れておきます。
新事務所に帰って雑務。保佐しているTさんの裁判所に提出する添付書類をつくって家庭裁判所に持参。昼ご飯は一膳飯屋さんで、鯖煮とサラダをおかずに白ご飯。
午後から再び民主会館へ。ちょうど小林先生が来室していて、映画・望郷の鐘、その山田監督を囲む会のことなどで懇談。
その後、県人権連メンバーなどと自主申告活動にかかわることで話し合いと相談が続きます。
終えて、県社会保障推進協議会・県社保協の川谷事務局長と民主会館運営なども含めて懇談でした。
そして、もう一度裁判所に。朝に書類を提出したあと、やはり保佐しているTさんの直近3か月の収入と施設費用がわかる書類を提出してほしいとまた要請が届いたのです。いっぺんに言ってほしい、と思いながら、こういう時こそただちに対応してみよう、と自らに言い聞かせたのでした。
この日は、みんなの家の3つの事業所のスタッフ、9月給与の明細書づくり。この月から、手当内容、勤怠などを詳細にすることもあり手間取りましたが、まずは完了でした。
写真は、11日の朝、農園に。大きなおくらの花。
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|14年09月10日 |中島 |
9日、火曜日。朝、新事務所に。ゴミを出して、民主会館へ。開館準備です。
新事務所に戻り、雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、8月分の請求事務ができたよ、と資料を持参、経営状況などで話しあいです。再び、民主会館へ出向いて、臨時の事務局会議を開いてもらいます。若者と学ぶ・学習会の、来月の11回、最終予定の12回目の企画内容などを相談です。引き続きはどうするのか、改めてみんなで相談することに。みんなの家ななくさ、だんだん、合同の秋祭りは10月7日。みんなの家かるがもの文化祭は11月3日の週、と決まっていること、その準備や当日の支援体制などをくめる準備を、と相談でした。
保佐しているMさんのいる施設に走ります。利用料を支払い、Mさんの部屋にお邪魔です。病院から施設に移って半年、人間関係、すこし気づかいしないといけない人もいるようですが、まずは順調です。しかし、慣れてくると一人部屋は淋しくもあるようです。永代供養のこともすすめようか、と話し合いました。
昼食は、第2自由軒の焼き飯とスープ。あとからくるお客さんの半分は、同じ注文です。この美味しさは、みんなにも共通のようです。
新事務所に帰ります。前日届いた、視覚障害者友の会の旅の案内に入っていた料金振り込み用紙、これをもって郵便局へ出向いて支払いでした。
この日は、みんなの家ななくさ、だんだんの合同事務局会議。資料と議案を準備して、6時過ぎから始めます。利用者さんの体調、入院、新たな紹介などのことが議題の中心でした。職員の健康診断、胃のカメラ、もしくはバリウム、いやだろうけれどきちんと受けるように強調でした。みんなですすめる介護・生活支援のとりくみ、スタッフの体調管理はその源泉ですよ、と言いたかったのです。
写真は、9日の朝、民主会館近くの道沿いにさいていた朝顔。この秋の時期になってよりたくさんの花が咲きだしています。
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|14年09月9日 |中島 |
8日、月曜日。朝は、民主会館へ車で出かけます。開館準備をすませて新事務所に。
雑務。月曜日なので、みんなの家ななくさ、だんだんの管理者住宅さん、だんだんの事務長末長さんと打ち合わせ。ななくさ排水工事にかかわること、個別利用者さんの体調のこと、日常業務など7点ほどメモって提起です。
明石さん来所。テレビは錦織テニス一色になってしまったわ、という話から、6日の上映した、映画・橋のない川の感想、10月11.12日開催の松江市での地域人権問題全国研究集会への参加、革新懇総会のことなどに。
この日から始まった、ななくさ排水工事。指揮してくれているEさん来所。防犯を兼ねた外灯のことでも相談です。JU観光の杉田さん、視覚障害者友の会の旅の要綱を持参してくれました。忘れられているのか心配していたのです。
差し入れしてくれたおかずで、ご飯を温めて昼食を事務所で頂きます
午後一番に、郵便局経由で銀行に。朝の散歩をしなかった分、取り返そうと歩いて回ります。
新事務所に帰ると、田中青年が来所。松江の研究集会のことなどで相談でした。
その後、この日が誕生日といいながら喫茶・ひまわりのマスター来所。介護保険第2号保険者での介護保険適応がなるか、という相談をしてきたところ、といいます。5日の地元公共施設の運営協議会の会議内容を話し合ったのでした。
この日は、みんなの家かるがもの事務局会議。入院のために登録は外れたが生活支援などを求められている実態なども話し合われます。利用者さんの立場に立ち切ったうえで制度的にもより良いものに変えていく運動が求められている、などと話し合ったのでした。
終えて、空を見ると、南東の方向に大きな月。月を観て、朝から忙しかった月曜日の一日からやっと解放、という中秋でした。
写真は9日の朝、すっきりした秋空とコスモスがよく似合いました。
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|14年09月8日 |中島 |
7日、日曜日。早朝の配りものを済ませて、朝ぶろ。民主会館へ出向いて開館の準備。それから、京橋の朝市に出かけました。
レンコンコロッケ、生のタコなどを仕入れて、わざと遠くに置いた車まで散歩を兼ねて歩きます。
新事務所に。みんなの家ななくさの住宅さんと打ち合わせ。前日の、橋のない川・上映会の学習会に参加してくれた利用者さんお二人やスタッフの体調、気になるところでした。
この日は夕方から、釣りクラブの例会。豊島の波止によじ登っての夜釣り。対象魚はチヌ。一匹重量で検量です。9人が参加してチヌを釣ったのは4人。当方にもたまたま1匹針にかかってくれて準優勝でした。
写真のもう一匹は、たなご、です。
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|14年09月7日 |中島 |
6日、土曜日。朝、民主会館へ車で出向きます。シャッターを開けるなど開館の準備を済ませて、新事務所に。
雑務。そして再び、今度は歩いて民主会館へ。この日は、第10回「若者と学ぶ部落問題解決の道筋」学習会の開催です。橋のない川・第2部の上映の上映です。1970年の今井正監督作品、140分の大作です。
かつて、この映画の上映運動を妨害する事件もありました。「上映阻止実行委員会」なる団体もあったのです。岡山では1970年代後半に上映運動があり、やはり妨害行動もありました。当時、妨害運動の先頭に立っていて後に岡山市議会議員になった人がいましたが、彼が上映会場の倉敷市民会館へ押しかけてきたとき、防衛にあたっていた私たちに、いろいろなやり取りのあと「先生という言葉は差別語だ」と言い放ったこと、忘れられません。議員はよく先生と言われますが、彼を・・・先生といった人に、それは差別語だと指摘でもしたでしょうか。そんな類の話は、噂でも一言も伝わってきませんでした。
今回の上映、約40名の方が参加されていました。朝早くタクシーで来場された女性、先回に久しぶりに第1部を見て今回もぜひ見たかったのできました、ビラに地図が載っていないので自ら運転してくる自信がなかったの、と話されていました。民主会館に初めてきてくれる人も対象に、という視点が抜け落ちていることに気づかされたのでした。
映画のエンディング、大きな拍手が沸き起こります。しかし、映画の感想を出し合う、話し合う時間がありませんでした。次回、10月4日の土曜日、午前9時30分からの第11回学習会では、この映画の感想を出し合うことと、人権連誕生の意義と民主主義の前進、を題材にして話し合いたい、と提案でした。
以下、1988年の全解連・東京都連の、上映妨害に対する見解です。
憲法無視、表現の自由を蹂躙
映画「橋のない川」上映妨害事件
1988年10月22日・23の両日、品川区の社会教育関係登録団体、「五反田よい映画を観る会」が、映画「橋のない川」第2部(今井正監督)の上映会を企画しました。 これは同会が、同年6月に映画「橋のない川」第1部(今井正監督)を上映し、好評だったことから、要望に応えて上映しようとしたもの。
ところが9月14日、「解同」品川支部を中心とする「差別映画『橋のない川』第2部上映阻止実行委員会」を名乗る団体が、品川区議会に、映画「橋のない川」第2部上映に際して「区の施設を一切貸さない事」を求める請願を提出。この請願は日本共産党区議団の反対を押し切り、自民・社会(当時)・公明・民社(当時)各党の賛成で採択されてしまいました。さらに「解同」に迎合する品川区は、上映会場の貸し出し許可の取り消しを「観る会」に通告。「観る会」は区教育委員会を相手取って東京地裁に執行停止の仮処分を求めて申し立てをおこないましたが、東京地裁は不当にもこれを棄却。即時抗告した東京高裁もこれを棄却し、上映会は開催できなくなりました。
憲法第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と謳っていますが、「解同」とその同調者、「解同」に迎合した品川区は、これを真っ向から踏みにじったのです。会場使用の取り消しを認めた地裁・高裁の判決でも、「本件取り消し処分により、申立人は表現の自由という重要な基本的人権の行使を阻害されていることは明らかであり、その原因が阻止実行委等の実力行使にあることも明白である」(地裁判決)と明確に述べていますが、これは「解同」などが基本的人権を阻害する暴力集団であることを、裁判所が公的に認定したものです。
しかし判決は、この映画の上映をめぐっては「過去に流血事件等が起こって」おり、「このまま本件上映会を開催すれば、一般の文化センター利用者を巻き込んで流血事件等の不測の事態が生じる恐れが大きい」として、会場使用許可の取り消しを認めたのです。事実、10月14日に「上映阻止実行委員会」と「解同」品川支部が、予定会場となった五反田文化センターの館長宛に出した「要請書」では、彼ら自身が「万一、このまま会場使用が許され、上映が強行されるのであれば・・・・・・不本意ながら、実力をもってでも阻止行動を起こさざるを得ません。しかしそのような事は、他のセンター利用者や周辺住民に多大な迷惑をかける事になります」と、脅迫的に言っているのです。
このように「流血事件」すら辞さずに表現の自由を踏みにじる「解同」に、社会党(当時)は積極的に協力したばかりか、「上映阻止実行委員会」にその名を連ね、「上映会実力阻止」を叫び、区議会でも映画「橋のない川」と「観る会」を誹謗中傷したのです。東京都も、聴覚障害者のための映画「橋のない川」(今井正監督)字幕入りフィルムの貸し出しを「解同」の圧力で中止しており、「人権啓発センター」も、今井監督の「橋のない川」のビデオは貸し出しせず、表現の自由を踏みにじり続けています。
今井正監督の映画「橋のない川」上映阻止闘争については、実際に上映阻止に関わった灘本昌久氏が、「解同」がつくった東陽一監督版と今井正監督版を見比べて、評論を書いています。灘本氏の論評をすべて肯定するわけではありませんが、今井版の映画「橋のない川」が「差別映画」と呼べるものかどうかが現されていますので、興味のある方はこちらをご覧ください。また原作者の住井すゑさんも生前、今井版「橋のない川」には批判的な見解を持っていましたが、「あの映画は観たほうがいい。 映画を観ないで『差別映画だ』『差別映画だ』と騒ぎ立てるやつらのほうが、人間として下の下だ」と批判していました。
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