|11年07月12日 |中島 |
11日、朝、いつもより早く公園に出かけて散歩。ゲートが開くまで車の中で待機。一番前にいて、ぐずぐずしている、早く入ればいいのに、と思っていた車の人から、公園内に入れた後、当方におはようございます、と声がかかります。印刷関係のことでお世話になった方でした。ぼやくこと、大きな声でなくてよかった!!
朝6時開店の西崎食堂に一番のお客さんとして入店。350円の朝定食をいただきます。事務所に出向いて、机の上の片づけも含めて、雑用をすこし。この日の仕事はここまでとさせてもらいました。
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|11年07月11日 |中島 |
10日、朝は公園に。そして、7時開店のガストに一番のお客さんとして入店。モーニングをいただいて、事務所に。
ななくさ、かるがもの7月支給の給与計算を。一人ひとりの支払い明細を印刷して、さらに給与計算の元の勤務状況表と比べ合わせてのチェックです。ときにため息がでますが、これも大切なこと、と言い聞かせての仕事。この給与表ができたことで、6月いっぱいで離職された方の職安に提出する離職票に手をつけます。提出段階まで仕上げます。
この日は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部の総会と学習会が開催される日でした。せめて、学習会には参加すると中元さんに約束していたので参加します。旭東福祉交流プラザの大会議室に大勢の方が参集されています。平塚らいてうの会会長の米田佐代子さんが「元始、女性は太陽であった」と講演です。1911年に「青鞜」が創刊されて100周年記念の年、ちょうど大逆事件の年でもありました。この事件のような冬の時代、これを一時的なものとさせるために大正デモクラシーなどの思想、運動などがおこった、と。山本宣治の活動にも話は及びます。平塚らいてうはそういう時代の新しい女性、として敢えて宣言して、文書に残すとりくみを強めていったと。
長野県上田市あずまや(四阿)にらいてうの家が建設されていて、らいてうのゆかりの資料が集められているといいます。冬は雪で閉鎖するほどの山奥らしいです。
1934年生まれの米田さん、今年は喜寿を迎えるといいますが、力が入っての講演でした。サインをしてもらって本も購入でした。
上の写真は、講演に咲いている蓮。11日の朝、蕾がきれいに見えました。
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|11年07月10日 |中島 |
9日、朝ななくさ経由で公園へ。事務所についてから、この日の県人権連3役会議の資料づくり。
事務所にM山さん来館され、一緒に愛車タントで商工会議所へ。4階が貸会議室になっています。会議では、県連全体の組織、ならびに地域段階の組織、それらの現状と課題をそれぞれ出し合います。将来を見通す財政も検討します。じーとしていては物事は改善されません。民主会館の活用も含めて、この時期にこそ、要求の事業化にむけて、あらためて動かなくては、という思いにかられます。同時にこれより先は誰かにしてもらおう、という気持ちも。どちらにしても、より組織的にという観点を維持して、総力を挙げなくては・・・。
会議を終えて、事務所に戻ったのが4時ごろ。少し休憩しながら、約束の電話を待ちます。13日の研究集会・県実行委員会の参加確認の話で小畑先生からの電話でした。
6時過ぎに自宅にもどり、二人の孫のおじいさん役。これもなかなか大変です。
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|11年07月9日 |中島 |
8日、朝の公園での散歩、蒸し暑さの中でも20分は歩いてみます。この2.3日、運動の後30分以内に牛乳を飲むと血液が増える、というテレビ番組の内容を実践中。
事務所で雑務。地域と人権・県連版の校正、前夜の会議の感想的な意見をまとめます。母親からの電話が気になり、食料品を買いだして届けますが病院に出向いておりあわずじまい。
午後から、小畑先生が来館。県人権問題研究集会の目的や地域権利憲章などで話し合います。特別授業、個人レッスンをうけているような感じ、地域人権運動に期待を込めてくれているだけに有難く感謝です。
9日の人権連3役会議のレジメなどに目を通しながら、当方が作成する財政見通しの資料づくりに手をかけだします。しばし、頭の休憩をとると、もう一度やろうとする気持ちを奮い立たせるのかしんどくなります。明日の朝にしよう、という気持ちに。7時には自宅に帰ったのでした。
写真は、9日の朝のスポーツ公園。蓮の花。
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|11年07月8日 |中島 |
7日、雨が朝から激しく降っていました。いつもより早く公園に出かけます。傘をさして20分ほど花を探しての散歩。
事務所で雑務のあと、県政にかかわる会議に。12時30分に終えてそして、ただちに嘉松喜佐夫弁護士の告別式へ。途中コンビニで、山賊、海賊と銘うったビッグサイズのおにぎりをかって車の中で、少しだけ頬張ります。
嘉松先生の告別式は、ご本人の遺志で無宗教でした。喪主の長男の方は、感謝の式とも言われていました。岡山弁護士会の会長、日本共産党県委員会の副委員長が弔辞をのべ、先生の在りし日のスライドがながされます。その後献花。喪主の方が、笑顔で送ってやってください、とごあいさつされたのでした。
先生には、岡山県で部落問題全国研究集会を開催する時の地元実行委員長をしていただきました。当時の全解連への組織的弾圧があった時には、全面的な支援をしていただいた先生でもありました。お酒が好きで、歌が好きな先生でした。そして、新婦人活動で忙しいご夫人を活動にとられてしまう心配もしながら、心底大切にされている方でした。晩年は、ななくさ、にも数ヶ月間通われた先生でした。いろいろなことがなつかしく想い出されます。
遅い昼ご飯をとって、自宅で一休憩。夕方事務所に出直します。居合わせた花田健ちゃんと少しの懇談。一杯いくかー、とはなかなか。夜の情勢学習会をメインにした会議に出席。発言中に、頭に血液が充満してきたような圧迫感が。2006年の岡映さんを送る会のとき以来はじまったこの現象、これで3回目。会議はいつもより遅くなり、自宅につくと10時前でした。連れ合いが出張で留守、息子がつくってくれた焼きそばで缶ビール2本でしめたのでした。
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|11年07月7日 |中島 |
6日、朝早く歩いて岡山駅西口まで。前夜おいていた自転車で事務所まで走ります。早朝の風をきるというのは気持ちが良い。
事務所に、この日も新しい職場がみつかったというOさん来館。働いていた証明書の発行です。その後、健康保険・厚生年金保険の報酬月額算定基礎届を仕上げていきます。17人の名簿が届いています。その方々の4月.5月.6月分の給与が基本となります。時給制の人は17日以上働いている月の平均となります。何日働いているかも帳面をみて記入していきます。本来は3ヶ月間の平均になりますが、ななくさ、かるがもの場合では、病気で休まれたりした3人の方が2か月間の平均、もしくは1か月のみが対象に。やっと仕上げて、封筒に入れて投函です。
前日訃報が届いた、弁護士の嘉松先生のお葬式、7日ですがその参列する準備などを。
この日は、かるがもの4人会議。資料をつくって5時過ぎに事務所を出発。6時からの会議でした。利用者さんの暮らしぶり、ホームでの過ごし方などの話題は、スタッフの苦労をのりこえる楽しさ、が伝わってきます。中長期的な展望のうえで必要なスタッフを配置する、その具体化も検討でした。
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