青鞜100周年、らいてうを語る
|11年07月11日 |中島 |
10日、朝は公園に。そして、7時開店のガストに一番のお客さんとして入店。モーニングをいただいて、事務所に。
ななくさ、かるがもの7月支給の給与計算を。一人ひとりの支払い明細を印刷して、さらに給与計算の元の勤務状況表と比べ合わせてのチェックです。ときにため息がでますが、これも大切なこと、と言い聞かせての仕事。この給与表ができたことで、6月いっぱいで離職された方の職安に提出する離職票に手をつけます。提出段階まで仕上げます。
この日は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部の総会と学習会が開催される日でした。せめて、学習会には参加すると中元さんに約束していたので参加します。旭東福祉交流プラザの大会議室に大勢の方が参集されています。平塚らいてうの会会長の米田佐代子さんが「元始、女性は太陽であった」と講演です。1911年に「青鞜」が創刊されて100周年記念の年、ちょうど大逆事件の年でもありました。この事件のような冬の時代、これを一時的なものとさせるために大正デモクラシーなどの思想、運動などがおこった、と。山本宣治の活動にも話は及びます。平塚らいてうはそういう時代の新しい女性、として敢えて宣言して、文書に残すとりくみを強めていったと。
長野県上田市あずまや(四阿)にらいてうの家が建設されていて、らいてうのゆかりの資料が集められているといいます。冬は雪で閉鎖するほどの山奥らしいです。
1934年生まれの米田さん、今年は喜寿を迎えるといいますが、力が入っての講演でした。サインをしてもらって本も購入でした。
上の写真は、講演に咲いている蓮。11日の朝、蕾がきれいに見えました。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »