コロナ感染待機期間の解除
9月1日、木曜日。前夜が付き添い寝であまり眠れてないから、この夜はぐっすり眠れるかと思っていた割に浅い眠りで夜中に目が覚め、本を読みながら二度寝。5時起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂へ。パンを池に投げ入れてやってから新事務所へ。
雑務。8時過ぎななくさ二階へ。コロナ陽性利用者さんの解除日までもう一日、泊り任務の方から引き継いでくれていた池田さんと療養者のKさんに珈琲をおとして懇談です。認知症を呈しているKさんですが、社会進歩にむけての運動や同志について、そうだったですね、そうですね、という話になります。10時からスタッフさんが来てくれてバトンタッチ。買い物に出かけて食料を確保。午後のKさんのみまもり、スタッフさんたちのその隙間時間を当方が担当です。時にご家族の話が何回も同じように質問されてます。同じ答えを、初めて聞いたという感じの同じトーンで応えていくこと、などを体験です。2時過ぎ、みんなの家かるがものスタッフさんが、ななくさスタッフさん頑張ってね、とお見舞いを差し入れてくれていました。ありがとうと心からのお礼です。
3時過ぎ、岡山市北区御津の運転免許所センターへ走ります。運転免許の更新です。期間は認知症研修を義務付けられている歳になるまでの3年間。その時は視力が心配になるような予兆を感じました。免許証写真、出来上がりを見ると、ばっちり年齢を感じる顔です。更新手続きの二つ目の窓口で、交通安全協会へ毎年300円、3年間分で900円です、ご協力いただけますか、と問いかけられます。その問いかけだけで何らの資料もありません。遠慮させてもらいます、とこたえます。断ることこれで通算3回目ぐらいかな、と思い出すのでした。
いつもより相当早く自宅へ帰ります。横になって眠ろうとしますが、なかなか。6時半過ぎからビールを飲んで、9時過ぎに就寝でした。
2日、金曜日。5時過ぎ起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂で身支度。池の鯉たちにパンをあげてから、木村のパン屋さんへ。みんなの家ななくさの2階に出向きます。泊りスタッフさんが、療養中のKさんのコロナ感染解除期間があけたから、一階のななくさに降りてもらいました、と。泊りの付き添い・介護をこの間よくしてくれて、ありがとうとお礼です。
新事務所に。ご飯を炊きます。コロナ感染にかかわる新たな話も届きます。再び、ななくさ2階へ。この日夕方からの会議、福祉交流プラザ三友の総会、コロナ感染を広める結果になってもいけないので参加できない旨、伝えます。応援をしてくれた社会福祉法人・中央福祉会の理事長さんにお礼の電話を入れます。県人権連の吉岡事務局長に、国葬問題での県と教育委員会への申し入れ文について話し合います。10月27日の県との話し合いの要求書など、相談でした。
午後、法人の20年誌が民主会館へ届いた、と連絡あり。また、映画「私の話し、部落の話し」をシネマクレールで観てきた人から民主会館の事務局に感想を伝えられた、まだまだ「根深い論」が中心、と感じたようです。9月2日から8日まで、午前9時50分からという上映日程と、観ておいてください、という注文も届きます。さて、どうするかな、と思案です。
この日も早めに帰宅です。コロナ感染でしばらく入院していた娘が立ち寄ります。社会保険の傷病手当、生命保険の入院対象として給付金が出ることなど、現金な話も。元気そうな話しぶりをきいてホッとする、一人の父親にもなってみたりの夜でした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »