少しの熱が
9日、火曜日。
朝10時から、JR吉備線の備前三門駅で核兵器廃絶にむけてのスタンディング。三門革新懇の主催。若い人たちが準備も当日の訴えもしてくれました。10人が参加です。午後、運動組織の人的な配置にかかわってこちらからの相談。Uさんがいる事務所に出向いて彼が感じている様子を聞かせてもらいます。街に出て買い物をしてかえります。夕食時、どうもビールがはかどらない。少し食べただけでお腹がはってしまいます。9時過ぎから嘔吐と下痢に悩まされたのです。
10日、水曜日。
夜中に10数回もトイレに駆け込むお腹状態。時に嘔吐も。ほとんど眠れずに朝を迎えました。食道から鳩尾にかけて焼けてひりひり、水を飲むのもお腹の調子が気になります。熱も平熱よりいくらか高くなっています。新型コロナ感染ではないだろうか、とふと不安がよぎります。連れ合いに近くの病院に電話してもらい、熱があることから話してもらいます。11時半にやっと病院の駐車場へ。車の中にいるまま、PCR検査と抗原検査です。完全防御した看護師さん、抗原検査はマイナスですよ、とそのキットを見せてくれます。だけどPCR検査結果は翌日まで待ってください、嘔吐下痢症状については医師と電話で話してください、と。医師に電話問診を受けて薬を処方してもらいました。
11日、木曜日。山の日。
朝方に目が覚めます。あまりトイレにもいかずに済んだので数時間眠れたのだろうという感じの睡眠でした。前日からの「食事はお粥」。飲み物などにヤクルト、そしてヨーグルトとプリン等。アイスも少し。昼前に病院の看護師さんから電話。PCR検査はマイナスでしたよ、しかしまだお腹の調子も良くないのでしょうから当分は自宅で、と釘をさされます。
12日、金曜日。
夜中の3時過ぎ、お腹の調子が悪くトイレへ。その後起床の6時過ぎまで数回トイレに。朝風呂で洗髪もしてすっきり。8時ごろ新事務所へ。3日ぶりになります。ポストの新聞をとりだし、ゴミ袋を確認して、雑務。事務局の安田さんが来てから、15日支給の給与票と勤務実績表の照合です。新たな送迎車の契約書と任意保険のことも相談です。
この日予約していた4回目のコロナワクチン、体調不良なのでとキャンセルの電話を入れます。この間お世話になっている病院に電話を入れて診察してほしいと話します。結局は、この日はべつの医師と電話問診。食べ物・飲み物の指導をうけ腸整剤を変えてみましょうということに。お昼前病院へ。車の中で待機しておくように言われ、看護師が薬を持参してくれました。厳重にしているな、という感想です。時には冷たいねと思われても仕方ないよ、ねと。自宅に帰って模範生でした。昼間のテレビをうとうとしながらゆったり。飽きたので、録画していた映画・二十四の瞳、をじっくりと。懐かしい小豆島の岬の分校がでてきます。軍国主義が台頭する戦前の教育現場、そのなかで子どもの命を最優先にしたいと思いつづける教師としての葛藤、戦後に再会する子どもたちの友情、その輪の真ん中にいる教師像にひきこまれます。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »