|16年05月21日 |中島 |
20日、金曜日。
この日は、全国人権連の会議で京都に。
6月1日の国会会期末までの日程で、自民党が「部落差別の解消の推進に関する法律・案」を19日に衆院法務委員会に提案したことその経緯と背景、その問題点を話し合います。国会情勢の動向を受けて、急きょ対応を図ることなども決めていきます。
政府をして特別法を必要でないと判断してから15年、その後、「人権擁護法案」など「人権」を冠した法律案は何回も画策されてきました。しかし、「差別」の定義がされていない、表現の自由を侵害するなどを理由に、頓挫してきた経緯があります。今回は、「部落問題」に特化したものなら、という発想から十分な論議、審議もされない中での突発的な国会への提出です。こういうやり方で大きな問題をもつ法律を成立させたならば、より深刻な事態になります。絶対反対の声を挙げ続けていきたいと思います。
この日の朝早く、京都に向かいました。東山にある永観堂を拝観です。みかえり阿弥陀如来、どんな素敵な像なのかみてみたかったのです。確かに左横をみている姿です。ちゃんとみんなは目標をもってやっていますか、と問いかけ、気遣いしているような姿と目線です。
この一帯の薫風、じっと身体を任せていたいという感じになります。浅田次郎さんが東山と一体となった永観堂の風情、みかえり阿弥陀如来の叱咤してくれている感じを書かれていましたが、なるほどね、と思うのでした。
会議を終えて京都から帰って、夕方「みんなの会館」へ。三門革新懇の幹事会です。戦争法廃止のとりくみ、署名運動の到達を確認。さらにニュースなどで広めることを確認です。また、地域の新たな課題なども論議です。国会の動向、とくに「部落差別の解消の推進に関する法案」のことも報告です。岡山市への申し入れ活動、地域内の諸団体との連携、なども準備して呼び掛けていくことに。

終えてから、喫茶・ひまわりに。かつての40数年前の「部落問題研究会」の後輩たちと鉄板を囲んで、互いの健在ぶりなどを話し合ったのでした。
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|16年05月21日 |中島 |
18日、水曜日。この日は、ななくさ10周年記念の事務局会議。記念誌のイメージ、そして具体的な原稿の集約などのことが中心です。感謝のつどいへの参加者集約、そして一言欄のまとめ、座席表などの作成などの準備も打ち合わせです。
この日は、自民党などがなぜかこの国会終盤に提出しようとしている「部落差別の解消の推進に関する法律・案」は絶対反対、まさに「部落」を永久に残させようとする行為にほかならない、と伝えていくこと、話し合います。
19日、木曜日。朝7時半から、西崎本町の大通りで、戦争法廃止へのスタンディング行動です。5人の参加でした。続いて午後0時30分から関西町の喫茶・ひまわり前での行動、これはマイクからも訴えます。10人の参加でした。
この日は、民主県政をつくるみんなの会の代表世話人会を開催。10月の県知事選挙、その政策と争点なども改めて論議でした。
午後、岡山市の福祉交流プラザ三友の運営推進会議・常任委員会と啓発委員会に出席です。岡山市の担当課長さん、4月の会議のあいさつでいきなり「エレベーターは無理、昇降機を購入した」という報告をしたことについては詫びたい、という旨の発言。しかし、エレベーターの件では未設置の公民館が優先される、市内10館の福祉交流プラザ、その内2階建ては7館。どこから設置するかはその判断基準もこれから検討する、などとはなされます。公的施設でなぜ公民館が福祉交流プラザより優先順位が高いのか、一方的な判断で市民・住民を振り回さないでほしい、施設の利用者さんたちの置かれている実態からの判断が必要なのでは、などと提起です。そして、勝手に決めないでほしい、という話します。この館で人権侵害を引き起こしたという認識が薄れてしまっているのではないか、と思うのです。
新事務所にかえって、翌日の三門革新懇幹事会の資料作りです。ななくさ10周年誌の写真なども探してメールで送信でした。
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