|08年01月24日 |中島 |
23日朝、緑内障の治療で病院へ。偶然、NPO・地域人権みんなの会理事の三戸さんも来院されていた。互いの領収書を見比べ合わせて、薬代が結構いるもんだ、という話に。
夜は、三門革新懇の08年第1回幹事会。15人のうち12人が参加。議題の柱は、11日開催した旗開きと第2回総会の総括と方針の具体化です。今年の取り組みとして、奇数月の第二水曜日に学習会を開催すること、内容も介護保険について、住宅政策、地域の歴史、などと策定。平和と憲法の課題では、5月の憲法週間に、三門学区で、憲法をまもり発展させる宣伝行動を行うことなどを決めました。
具体化まではなりませんでしたが、平和コンサートなども企画立案できたらいいのにね、という話題もあり、革新懇としてのとりくみらしいものへ発展させる意気込みがみられた会議でした。
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|08年01月23日 |中島 |
22日、午後から県庁へ。7階の人権室で話し終えてエレベーターに乗ったのが、午後4時30分ごろ。扉が開いて乗り込もうとしたら、迷彩服が3人、機動隊が着ているような紺色の制服メンバーが4人。他には誰もいない。そこに乗り合わせて、一人場違いの感じがします。威圧感もあります。心の中で「そんな格好でうろうろするなよ」と。言葉にしてみたい気がどうしても起きますが、ガマン。
夜、テレビのニュースで、県国民保護計画の策定後初めてとなるテロ対策を想定した図上訓練が県庁で行われた、と報道していました。
県民を不審者に仕立て上げ、県民の施設の象徴である県庁へ、県民の足が遠のくのでは。それも狙いの一つかとかんぐりたくもなります。
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|08年01月22日 |中島 |
21日の月曜日の朝、雪が積もっています。裏庭では3センチはあろうかと。隣の柴犬はいつもどおり、我が家の裏でこちらが出てくるのを待っています。もう一匹の大きな犬はいつもより控えめです。連れ合いは、歩いて仕事に行くと言う。ななくさの迎えは大丈夫だろうか、孫が熱が出ているので今朝病院に連れて行くといっていたという娘はちゃんといけるのか、そんなことも頭によぎります。
連れ合いを我が車で仕事場まで送って、民主会館についたころ、総社から来る女性が、雪の中を車では降りられない、という電話。さもありなん、たまにはこういうときにゆっくりするのも、いいのでは。
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|08年01月21日 |中島 |
20日の日曜日、倉敷人権連の学習会。この日は、朝から雪模様。時間を気にしながらも9時ごろには会場に着きました。
地域社会における権利憲章にかかわっての話をしてきました。参加者は21人。役員が22人いるなかですから出席率は高い。ここの組織は、たとえば「ハンセン病問題基本法」制定の署名をお願いしたら、いち早く、1400筆余りを集めてくれたように、提起した課題に誠実に取り組んでくれます。
学習は、話をするほうとしては、相手に伝わるための資料なども用意することをはじめ、自らのためにも役に立ちます。地域社会の変化、住民の貧困と格差問題などについては、参加者も大きく頷いてくれていました。
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|08年01月20日 |中島 |
19日、午後4時から明石さんの喜寿を祝う会。総勢48人が参加してくれました。会場の飛鳥の2階、ちょうど満席の状態で、会の規模にふさわしいものでした。出席された方々、旧交を温め、明石さんとのつながりからも話題は尽きない状態。楽しく、また明日の活力に繋がる会でした。会を企画し呼びかけた一人として、本当によかった、という感想です。
呼びかけ人を代表してあいさつをさせてもらい、酒宴ですから、酒をはじめ飲み物をはこぶ役割も。それも楽しい会話にむすびつきます。ビデオや写真の撮影、受付の役割などは田中金一さん坪井治さん、石原夫妻、谷口さんなど若い人たちが献身的に果たしてくれました。呼びかけ人が分担して、小林軍治さんが司会、竹原正樹さんが経歴紹介、三戸康生さんが閉会あいさつ。実際企画してきたメンバーだけに、その思いが伝わります。それぞれ持ち味がでて、贔屓目かもしれませんが、やるもんだなぁー、という思いです。
終わった後、明石さんを囲んで、メンバーでもう一杯。寝つきのいいお酒でした。
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|08年01月18日 |中島 |
18日、山口県の防府市へ。54歳で亡くなった末長サチエさんのお葬式でした。市営の斎場には、人権連や高教組などの方々が大勢参列されていました。彼女は、イギリスの郊外にあるマグナ・カルタ調印の場所をはじめ、国際人権裁判所などヨーロッパを97年に旅したメンバーのお一人。私より若いのに、乳がんが発覚して6ヶ月余りで逝ってしまった。その旅に一緒に行って、2000年に亡くなった北畠英治君を思い起こしてしまいます。
弔辞を全国人権連の丹波議長と保育士の仲間が述べられました。仲の良かった、そして社会進歩をめざして妥協しないと言う姿勢で生きてこられ夫妻だけに、残された家族への思いがつたわり、胸がつかえます。喪主の夫である末長さん、悲しみに耐えながら、連れ合いへの愛情溢れるあいさつでした。彼女の生き様が想起されるお葬式でした。
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