|07年03月14日 |中島 |
13日の火曜日、住宅三郎さんの告別式でした。
この日は、岡山市の行政監査。若い、男女のお二人が担当でした。渡邊管理者、池田ケアマネが中心に対応。
まずは、事前に提出していた見取り図をもとに施設全体の点検。その後は、運営規定の内容と実践の記録、特に、人的配置と稼動、重要事項説明書、苦情処理のとくみ、運営推進会議の内容、などなど。もう一人の方は、個別ケアプランの内容までじっくり点検されていました。
紙タオル設置など、少し改善することも指摘してもらいましたが、総じては問題ないとの評価でした。
利用者の方も、日常とは違う雰囲気を感じておられたのか、お二人が帰り、合格よという声に、「よかったねー、後は私たちが頑張ればいいのねー」。爆笑となりました。
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|07年03月13日 |中島 |
12日、朝9時から、住宅事務長夫妻が葬儀会社と打ち合わせするのに同席。社員は、パソコン持参。ディスプレーに映し出された、商品を選んでいく。ドライアイス20キロ・10500円、遺影・26250円、などと積み重ねて、トータル数十万円となる。
午後からは、ななくさ、13日の行政監査の諸準備。ちょうど住宅さんの葬儀と重なり大変だ。
夜は、お通夜。身内だけでなく、住宅事務長の同級生も大勢参加。なつかしい顔も見られた。ななくさ、の竹原さん夫妻、池田さんもきてくれました。三郎さんを偲び、ある面にぎやかな通夜でもありまた。
写真は、今朝13日の朝、我が家の前の池で泳いでいる鯉。毎日、私が投げ込むパンを待っています。
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|07年03月12日 |中島 |
11日の日曜日、西大寺へ。T県議の事務所開き。ちくわ笛の住宅正人さんの話術と笛の音色に感嘆しました。
午後、昨日に引き続き三戸さんの運転訓練。H市議候補事務所、T県議事務所、M県議事務所、へまわりながら、三戸さんの復活をお知らせに。
午後5時、ななくさ、の住宅事務長より、今お父さんがなくなったという訃報。間髪をいれずに渡邊管理者からも連絡あり。町内会長の花田健ちゃんとの連絡。地元での葬儀の準備。
7時、仮通夜。親族のあつまるなかで善光寺の住職がお経。お通夜を12日の午後7時、葬儀・告別式を13日の昼、1時からとなった。
亡くなった住宅三郎さんは、昭和3年生まれ。ななくさ、に開設間もなく利用をされていた。その後、林、東中央の病院へ。亡くなって、病院からでてくる間、ななくさの池田ケアマネが見送ってくれたという。
つい最近まで、ななくさ、の外でタバコをうまそうにふかしていた、三郎さん。ご冥福を祈るばかりです。
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|07年03月9日 |中島 |
昨年5月に手帖社より出版した、たっつぁんの昭和史。著者は、ななくさ、利用者の花田さん。達明さんが地域の人々から親愛の気持ちをこめて「たっつぁん」とよばれていたことで、そんなタイトルとなった。
花田さんは徴用令書により海軍設営隊員として南太平洋の島々に送られた。その戦争体験記であり、平和と人間らしさを追い求めてきた半生記でもある。
つい最近、岡山大学生時代、子ども会などの地域活動で、花田さんご夫妻にお世話になり、現在60歳前の西宮に住む女性から、まとめて10冊の依頼があった。その絆に改めて感動を覚えました。
NPO・地域人権みんなの会、でもこの本を取り扱っています。B6版、106頁、定価1200円です。
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|07年03月8日 |しんちゃん |
どうやら事務長には田舎者コンプレックスがあるらしい。都会からやってきた彼の洗練された標準語と 横柄に見える態度が気に食わなかったらしく名刺の交換をせず名前を告げただけだった。彼は悠然と事務長に向かい「名刺をいただけますか?」 それにはちょっと事務長もあわてたようだった。
それから彼は、事務長を質問攻めにした。そもそもこのNPOは何が目的なのか?なぜこのNPOが介護事業を?素人にできるのか?採算は取れるのか?etc 不遠慮な質問にもいちいち丁寧に答えていたが、あきらかに事務長は不機嫌であった。
インタビューが始まる前に、彼は携帯電話で話していたという。その一部がスタッフに聞こえていたのだ。「これでいいのか!小規模多機能」見出しはこれでいこう。 と彼は電話に向かい言い放ったというのだ。
事務長は 「どうやら小規模多機能型居宅介護事業の掲げる高い理想と現実のギャップや、高いハードルをクリアーしようとに苦しんでいる事業者のあら捜しの取材らしい。」と 思い込んでいたのだった。
彼は、公平な視点で真実を見て判断し報道するマスコミの関係者でありながら、厚労省の回し者のごとく「それでいいのか、政省令はこうなっている」などと多少の知識をふりまわすのだった。 反体制の事務長は、ますます不機嫌になるのだった。・・・・つづく
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|07年03月7日 |しんちゃん |
それは、昨日の事だった。
N本N済新聞の記者と名乗る者がやってきて、ぶしつけな質問を管理者のWさんにしている所に事務長が帰ってきたのだった。
その彼は、わざわざ東京から来たのだという。若干 横柄な態度で、さもマスコミには「力があるんだ」「取材してやるんだ」とでも言いたげにWさんに詰め寄っていたのだった。
辟易したWさんは技あり!なタイミングで事務長にバトンタッチしたのだった。(彼女の名誉のために行っておくが、よんどころない事情のTELがはいった為)
なんと逃げ出したのだ。 うまい!ことやったなと事務長は思ったが仕方なくインタビューを受ける羽目になったのだ。 ・・・・つづく
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