震災支援、あせらず迅速に、と言い聞かせる
|11年03月15日 |中島 |
14日、朝早く歩いて自宅を出発。途中、ななくさ、のケアマネ池田さんの車に出会います。7時までに出勤する早出の日のようです。
民主会館の駐車場では、民主医療機関連合会のメンバーが、段ボール箱を運び出そうとしています。東日本大震災用の支援物資でした。次の機会には、私たちの支援物資も運んでほしい、との声もかけます。名古屋の知り合いに電話。福島に居る息子さん、無事だと確認でした。そして、支援体制のことでも相談。事務所内でも、茨城の人が大変ではないか、支援本部の事務局を担ってやれる体制をつくらなくては、と。
事務所で、個々人の給与明細書をプリント。ななくさ、かるがも、両会計から引き出す金種も自動計算でプリントして出てきます。ななくさ、に届けます。入口ちかくにいた利用者さんのK島さん、帰ろうとする当方に向かって、まぁーゆっくりしていけばええがぁー、と。周りの利用者さん、スタッフも含め大きな笑い声。
昼に、母親宅に食料を届けます。すぐ近くのH田宅に寄りますが、車がない、まだ眼科に行っているようでした。事務所に帰ると三戸さん来館、少しの懇談。
午後、事務所で、震災被害、原発事故の報道に耳を傾けます。全国人権連の震災ニュースも届くようになりました。
年金者組合でよく顔を拝見する、女性のT中先生来館。申告相談は人権連のメンバーがいいよ、と言われたのでお願い、と。コーヒーで懇談すると、あゆんできた人生と先行きの思いまで教えてくれました。
夕方も、埼玉の知り合いから電話あり。震災の支援体制のことでした。焦燥感に陥らないように、と自分に言い聞かせてみます。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »