倉敷民商弾圧事件、差し戻し審第7回
23日、火曜日。いつものように新事務所へ。雑務。
みんなの家ななくさの住宅さん、午後からの勤務だけどと言いながら来所。前日、ななくさスタッフさんが送迎の途中、停車したのち少し位置を変えようとしたときに電柱に気が付かずあててしまって、バックガラスを損傷したという事故。管理者として、ごめんなさいと伝えに。この日は、ななくさ、だんだんどちらもクリスマス会をする予定、と。
みんなの家だんだんに降りると、9時半過ぎからもうクリスマス会用に席も移動して用意されています。
前日届いた雑誌などを鞄に入れて奉還町商店街入り口の駐車場へ。商店街をぶらぶら。加茂川アンテナショップで紫苑というぶどうと干し柿を購入。
この日は、倉敷民商弾圧事件、禰屋裁判の差し戻し審の岡山地裁第7回公判の日。裁判は午後1時から始められていて、傍聴できない人たちがいるきらめきプラザへ。会場へつくと休憩中らしく外に人が出ていて、会場内の椅子は満席。室外の近くの椅子に座って待機です。4時半、裁判傍聴していた人たちが帰ってきます。弁護団も来られて、報告集会です。
弁護士の皆さんから順次報告。この日の公判は、証人尋問。脱税とそのほう助の舞台とされている、I建設にかかわって、会計処理と禰屋さんの関与、売り上げの繰り延べ、期末商品棚卸、などについて、I建設従業員のK氏(女性)とI建設会社社長夫人のF氏が証人席に立ちました。3時間に及ぶ公判、I建設のF夫人(87才)が心臓病の悪化で救急搬送される異常な状態で終了、検察官の尋問中、予定の10分前に打ち切られ、裁判長から「後に続行する」と告げられました。
弁護団の報告では、F氏さんの体調を考えて弁護団から休憩を求めたのに裁判長は続行。弁護団からの尋問に対するFさん証言内容は、いつだれが会計担当していたかの問いかけには以前と違う答えであり検察側の立証はメタメタ、禰屋さんに「脱税」を依頼したことはないとこれははっきり証言した、期末時の会計バランスシートに大きな偏りがあることに問題意識を持たない、と。もうおひとりの証人、会計を一時担当されていたというKさんは尋問に対して、禰屋さんから指示は受けていない、何もしらないという答弁だった、と。しかし、最後の尋問に立った山崎弁護士の「禰屋さんに脱税を依頼したことはない」ことに関する尋問を裁判長が遮ったこと、この動向からも、決して甘く判断できる状態ではない、と気を引き締めておられました。全国から170人が参加、報告集会にはズームでさらに40人が参加したようです。
終えて、母親宅へ。ぶどうなどを手渡します。新事務所へ。引き続きの読書。「人権教育・啓発に関する基本計画」(第二次)の批判的検討という論文に。
7時半過ぎに帰宅。NHKの1965年以降の紅白の番組、懐かしく聞いてみます。
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