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違和感、演説会、偲ぶ会、宣伝へ

|25年04月27日 |中島 |

2018/ 4/23 13:28

26日、土曜日。4時過ぎに目覚めます。久しぶりに6時間の睡眠ですっきり。5時前起床。朝風呂で身支度。木村のパン屋さん経由で運動公園へ。30分ほど歩いて新事務所へ。

雑務。朝日新聞に目を通して、天声人語に「狭山事件」被告人の亡くなられたことを取り上げています。裁判を進めていく中で支援勢力に分断を持ち込んだ勢力にたいしては関心も示さず結局は追従する結果を招き、地域を呼称するその呼び方に今日的な段階で疑問も持たずに、ここで報道する、そんな朝日新聞の姿勢に大きな違和感を感じてしまいます。

みんなの家ななくさの住宅さん、来所。ケアマネ会議の内容を聞かせてもらい、3月末決算の概要を話します。この日はななくさ通い利用に、母親と仲の良いMさんも入っているようです。

岡山駅前に走ります。西口の駐車場、空きを見つけるのに苦労しました。地下道を歩いて東口のマツキヨ前へ。介護関係で働いてこられたという白川さんが話されていて、続いて前国会議員の穀田恵二さんが訴えていました。

新事務所に帰ります。しばし休憩と雑務。1時前には、岡西公民館へ。竹内和夫先生を偲ぶ会に参加です。日中友好協会、国民救援会の県本部の責任者をされていました。昨年の大晦日に亡くなられたのでした。連れ合いさんはその一年前に東京で亡くなられたようです。近藤幸夫さんが和夫先生の成年後見人となられていたと聞きます。トルコ語など、膠着語という言葉も初めてききます。「同和地区児童生徒の基礎調査廃止をめざす県民の会」の会長を引き受けてくださり、再建直後の県AALA主催のタイへの旅にご夫妻で参加してくれたこと、AALA50周年の東京での企画に青年参加のための多額の募金をいただいたこと、参加された皆さんに報告し、先生の冥福を祈りました。関西高校の教師時代を知る桑山さんが日中友好協会岡山支部の事務局長をされていたことを初めて知りました。国民救援会事務局長の竹原さんと竹内先生、会議のあと必ず杯を傾けていたことも。

終えて、新事務所に帰ります。雑務と休憩。岡山駅東口のマツキヨ前へ。今度は「市民と野党の合同宣伝」に。プラスターを持つて、いっぽんのかいをはじめ各氏の演説にうなづきます。

終えて、少し時間を測ってから母親のアパートへ。寝ているところを起こします。起こしてくれた方がよい、夜が眠れなくなるから、と母親もいいます。朝買ったジュースなどを届けながら体調はどうかと。

新事務所に戻り、資料を印刷。1989年当時、岡山県の解同が本部から機関解体の決定を受けて、裁判になったその判決文です。生々しい記録です。印刷して持ち帰りました。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

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