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映画「私のはなし、部落のはなし」

|22年09月4日 |中島 |

2013/ 9/ 3 6:47

3日、土曜日。ほぼ7時間の睡眠、よく眠れた感の朝です。4時半過ぎ起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂。池にパンを投げ入れてやります。運動公園へ。40分ほどのゆったりとあるきます。

新事務所へ。雑務。岡山市での「市民のつどい」は遠慮、決断してシネマクレールへ向かいます。禁酒会館の南隣のパーキングに愛車を停めます。マスクを二枚して感染対策。ぎりぎりの上映時間に間に合いました。「私のはなし、部落のはなし」、41番の入場券です。シニア料金で2000円。9時50分上映開始、途中10分ほどの休憩して13時30分過ぎまで、3時間半の長編ドキュメンタリーです。取り上げられたのは、三重県伊賀市、京都市、大阪府箕面市など。無駄に長いね、饒舌と思うシーンがけっこうありました。

伊賀と箕面で若いといわれる人たちの話し合う場面、「見えない壁」をさがしていく会話、その座談を通して「仮の自己認識」を「主張」として徹底しないといけない場面をつくらせてしまう、それは「部落差別が根強くある」視点に同調できる、否定しない人たちの間でより増幅していく「意識」づくりの反映ではないか、強烈ではないようにうつしながらも「自縛」に近いものを感じます。

忌避感を血筋からと言い切る関西在住の婦人はどこから探してきたのだろうか。今の時代にこう言い切る人は珍しい、なかなか大変ではなかったか、と。

1951年のオールロマンス事件で、のちに京都府連解同委員長、解同中央本部委員長になる朝田善之助さんが「書いた者、その市役所職員の首をきれと求めればよい問題ではない、京都市を追及していくべきもの」だと言われたと、崇仁の女性運動家は回想し、朝田氏のリーダーシップを強調します。私たちの先駆者、全国のリーダー、岡映(おか・あきら)さんは、朝田氏とともに水平社運動に参画していた時代、治安維持法違反で投獄されたことを自ら紹介する中で、岡さんが出所してきたら朝田氏は京都市の社会課嘱託職員に。自らの利にさとい人として評価されていました。朝田さん、その姿勢の延長線上での「対処・対応」でなかったのか、と穿ってしまう。それでも運動に役立ったように評価される場合もあるのだと・・・。

「私たちのことを私たちをぬきで決めないで」という姿勢を運動団体の長が話したのち「だからと言って私たちはなんでも要求しても良いのではない」と補足説明させています。暗に個人として「人権」の主体者の位置づけ、集団としての要求運動の功罪などに触れているのでしょうか。隣保館での集まりに参加している地域以外の青少年に「部落の私たちの気持ちは理解できないだろう」と話したら、地域外からきた女性が「知りたいから来たのに、それならあなたは私たちの気持ちが理解できるのか」と反論したというエピソードが紹介されています。いままでにない話展開です。しかしどちらも「部落差別は根強く残っている」という立場と範疇からの分析と発言です。

社会問題として基本的に解決しているという現状認識を示した運動団体やその実態としての地域、その人々などには触れようとしていません。全体として解決段階にある部落問題、それでも地域性がそれぞれある課題、これをこの範疇でひとまとめにして「見えない差別描いた一級品」だなどと評価することには大きな抵抗を感じました。監督本人は「部落問題という大きな『物語』のごくごく一部でしかありませんし」と述懐されています。パンフレットを800円で買ってきました。

午後、遅い昼食は長崎ちゃんめんで長崎皿そばと餃子。新事務所に帰って雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。まだまだ体調芳しくない状態で珈琲も飲めず。再開の段取りなどを聞かせてもらいます。

岡山県社会福祉士会権利擁護センター・ぱあとなあに、成年後見制度の報告書を作成。一人だけ担当している報告書ですが、大きな封筒に入れて投函です。

7時過ぎ帰宅。連れ合いの妹が持参してくれたというウナギのかば焼き、久しぶりのご馳走です。ビールでいただきました。

記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »

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