|22年09月5日 |中島 |
2014/ 9/ 5 6:54
4日、日曜日。5時過ぎ起床。義母の遺影に線香を手向けて、玄関から新聞を取り出し、朝風呂で身支度。池の魚たちにパンを投げ入れてやります。Eテレの俳句番組、季語が啄木鳥、その動画なども楽しんでから新事務所へ。コンビニまで歩きます。ほうれん草やジャガイモ、食パン、スポーツ新聞などを手にして新事務所へ帰ります。
雑務。朝日、赤旗新聞など時間をかけて目を通します。3つのみんなの家の事業所の正規職員の方たちの「退職金算定基準額」を計算しておきます。途中、理事の三戸さん、自宅の庭の朝採れ夏野菜を袋にして来所。前日の、岡山市民のつどいの概要を聞かせてくれます。全体会がラグビーでも有名な谷口真由美さんの講演、ノー原稿、パアーポイントも使わない、話ばっかりだけど楽しく聞くことができた、と。平和の分科会、非武装をめぐり結構な論議になったということでした。
昼に炊いたご飯と味噌汁を母親に届けます。当方も同じもので昼食です。
午後、引き続き雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この日も体調回復とはいかず珈琲も飲めない状態。ななくさの国保連と利用者さんへの8月分の請求、勤怠表のまとめ、勤務表の作成など事務も何かと大変です。元気になれるスイッチでもあれば、などと。介護職員等ベースアップ等支援加算(令和4年10月より適用)のための体制届けのことも気になると話し合います。
夕方、腰痛が心配になって歩きが足らないのかと思い外にでます。メガネの三城まで歩いて少しゆがんだフレームを直してもらいます。無料で直してくれたので、これで3回目です、ありがとうとお礼。そろそろ買い替えしなくては、と話します。
新事務所に帰ります。ちょっと机周りを整理して、7時過ぎに帰宅。よく冷えた缶の生ビール、泡も上手にできて美味しいのでした。
この日から、高校生の孫がまたしばらく同居する日。孫は、ファジアーノの試合を観に行ってるから遅くなると連絡があったと。ちょっと勝ち試合が多くなるとすぐファンらしくする、そんな一群にはなってほしくないけれど、まあ彼の気持ちまではわからないわと考えなおし、早めの就寝でした。
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|22年09月4日 |中島 |
2013/ 9/ 3 6:47
3日、土曜日。ほぼ7時間の睡眠、よく眠れた感の朝です。4時半過ぎ起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂。池にパンを投げ入れてやります。運動公園へ。40分ほどのゆったりとあるきます。
新事務所へ。雑務。岡山市での「市民のつどい」は遠慮、決断してシネマクレールへ向かいます。禁酒会館の南隣のパーキングに愛車を停めます。マスクを二枚して感染対策。ぎりぎりの上映時間に間に合いました。「私のはなし、部落のはなし」、41番の入場券です。シニア料金で2000円。9時50分上映開始、途中10分ほどの休憩して13時30分過ぎまで、3時間半の長編ドキュメンタリーです。取り上げられたのは、三重県伊賀市、京都市、大阪府箕面市など。無駄に長いね、饒舌と思うシーンがけっこうありました。
伊賀と箕面で若いといわれる人たちの話し合う場面、「見えない壁」をさがしていく会話、その座談を通して「仮の自己認識」を「主張」として徹底しないといけない場面をつくらせてしまう、それは「部落差別が根強くある」視点に同調できる、否定しない人たちの間でより増幅していく「意識」づくりの反映ではないか、強烈ではないようにうつしながらも「自縛」に近いものを感じます。
忌避感を血筋からと言い切る関西在住の婦人はどこから探してきたのだろうか。今の時代にこう言い切る人は珍しい、なかなか大変ではなかったか、と。
1951年のオールロマンス事件で、のちに京都府連解同委員長、解同中央本部委員長になる朝田善之助さんが「書いた者、その市役所職員の首をきれと求めればよい問題ではない、京都市を追及していくべきもの」だと言われたと、崇仁の女性運動家は回想し、朝田氏のリーダーシップを強調します。私たちの先駆者、全国のリーダー、岡映(おか・あきら)さんは、朝田氏とともに水平社運動に参画していた時代、治安維持法違反で投獄されたことを自ら紹介する中で、岡さんが出所してきたら朝田氏は京都市の社会課嘱託職員に。自らの利にさとい人として評価されていました。朝田さん、その姿勢の延長線上での「対処・対応」でなかったのか、と穿ってしまう。それでも運動に役立ったように評価される場合もあるのだと・・・。
「私たちのことを私たちをぬきで決めないで」という姿勢を運動団体の長が話したのち「だからと言って私たちはなんでも要求しても良いのではない」と補足説明させています。暗に個人として「人権」の主体者の位置づけ、集団としての要求運動の功罪などに触れているのでしょうか。隣保館での集まりに参加している地域以外の青少年に「部落の私たちの気持ちは理解できないだろう」と話したら、地域外からきた女性が「知りたいから来たのに、それならあなたは私たちの気持ちが理解できるのか」と反論したというエピソードが紹介されています。いままでにない話展開です。しかしどちらも「部落差別は根強く残っている」という立場と範疇からの分析と発言です。
社会問題として基本的に解決しているという現状認識を示した運動団体やその実態としての地域、その人々などには触れようとしていません。全体として解決段階にある部落問題、それでも地域性がそれぞれある課題、これをこの範疇でひとまとめにして「見えない差別描いた一級品」だなどと評価することには大きな抵抗を感じました。監督本人は「部落問題という大きな『物語』のごくごく一部でしかありませんし」と述懐されています。パンフレットを800円で買ってきました。
午後、遅い昼食は長崎ちゃんめんで長崎皿そばと餃子。新事務所に帰って雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。まだまだ体調芳しくない状態で珈琲も飲めず。再開の段取りなどを聞かせてもらいます。
岡山県社会福祉士会権利擁護センター・ぱあとなあに、成年後見制度の報告書を作成。一人だけ担当している報告書ですが、大きな封筒に入れて投函です。
7時過ぎ帰宅。連れ合いの妹が持参してくれたというウナギのかば焼き、久しぶりのご馳走です。ビールでいただきました。
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|22年09月3日 |中島 |
2015/ 9/ 3 14:58
9月1日、木曜日。前夜が付き添い寝であまり眠れてないから、この夜はぐっすり眠れるかと思っていた割に浅い眠りで夜中に目が覚め、本を読みながら二度寝。5時起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂へ。パンを池に投げ入れてやってから新事務所へ。
雑務。8時過ぎななくさ二階へ。コロナ陽性利用者さんの解除日までもう一日、泊り任務の方から引き継いでくれていた池田さんと療養者のKさんに珈琲をおとして懇談です。認知症を呈しているKさんですが、社会進歩にむけての運動や同志について、そうだったですね、そうですね、という話になります。10時からスタッフさんが来てくれてバトンタッチ。買い物に出かけて食料を確保。午後のKさんのみまもり、スタッフさんたちのその隙間時間を当方が担当です。時にご家族の話が何回も同じように質問されてます。同じ答えを、初めて聞いたという感じの同じトーンで応えていくこと、などを体験です。2時過ぎ、みんなの家かるがものスタッフさんが、ななくさスタッフさん頑張ってね、とお見舞いを差し入れてくれていました。ありがとうと心からのお礼です。
3時過ぎ、岡山市北区御津の運転免許所センターへ走ります。運転免許の更新です。期間は認知症研修を義務付けられている歳になるまでの3年間。その時は視力が心配になるような予兆を感じました。免許証写真、出来上がりを見ると、ばっちり年齢を感じる顔です。更新手続きの二つ目の窓口で、交通安全協会へ毎年300円、3年間分で900円です、ご協力いただけますか、と問いかけられます。その問いかけだけで何らの資料もありません。遠慮させてもらいます、とこたえます。断ることこれで通算3回目ぐらいかな、と思い出すのでした。
いつもより相当早く自宅へ帰ります。横になって眠ろうとしますが、なかなか。6時半過ぎからビールを飲んで、9時過ぎに就寝でした。
2日、金曜日。5時過ぎ起床。義母の遺影に線香を手向け、朝風呂で身支度。池の鯉たちにパンをあげてから、木村のパン屋さんへ。みんなの家ななくさの2階に出向きます。泊りスタッフさんが、療養中のKさんのコロナ感染解除期間があけたから、一階のななくさに降りてもらいました、と。泊りの付き添い・介護をこの間よくしてくれて、ありがとうとお礼です。
新事務所に。ご飯を炊きます。コロナ感染にかかわる新たな話も届きます。再び、ななくさ2階へ。この日夕方からの会議、福祉交流プラザ三友の総会、コロナ感染を広める結果になってもいけないので参加できない旨、伝えます。応援をしてくれた社会福祉法人・中央福祉会の理事長さんにお礼の電話を入れます。県人権連の吉岡事務局長に、国葬問題での県と教育委員会への申し入れ文について話し合います。10月27日の県との話し合いの要求書など、相談でした。
午後、法人の20年誌が民主会館へ届いた、と連絡あり。また、映画「私の話し、部落の話し」をシネマクレールで観てきた人から民主会館の事務局に感想を伝えられた、まだまだ「根深い論」が中心、と感じたようです。9月2日から8日まで、午前9時50分からという上映日程と、観ておいてください、という注文も届きます。さて、どうするかな、と思案です。
この日も早めに帰宅です。コロナ感染でしばらく入院していた娘が立ち寄ります。社会保険の傷病手当、生命保険の入院対象として給付金が出ることなど、現金な話も。元気そうな話しぶりをきいてホッとする、一人の父親にもなってみたりの夜でした。
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|22年09月1日 |中島 |
2013/ 8/31 6:44
8月30日、火曜日。5時過ぎ起床。朝風呂で身支度、池にパンを投げ入れてから、鹿田町の木村のパン屋さんへ。新事務所へ。そしてみんなの家ななくさの2階に。泊り任務のスタッフさんにご苦労さまと声をかけます。コロナ感染の課題で応援に駆けつけてくれた中央福祉会のスタッフさん2名のオリエンテーションを顧問の池田さんがしてくれています。珈琲をおとしてありがとうの意を伝えます。この時間帯に抗原キッドで検査。
大安寺の天満屋ハッピーズに出かけ、お昼用の弁当などを買ってきます。午後、自宅で休憩。夕方、新事務所に出かけ雑務。夜の9時半からななくさ二階へ。この夜は療養中のKさんに付き添って一夜を明かすのでした。
8月31日、水曜日。療養中のKさんのトイレ誘導、そのたびごとにベッドに寝転んでもらう誘導。何回も体を起こしてこちらをうかがうような感じもありました。5時ごろには互いに目もばっちり、の感じ。部屋を変えて、7時に珈琲をおとして懇談です。顧問の池田さんがつないでくれている間に、新事務所に出向き炊飯の段取り。自宅に帰って朝風呂。パンの朝食をいただいてから、ななくさ二階へ。この日も抗原検査キッドを使って検査です。陰性です。
腰痛対策、運動不足の解消のために運動公園など歩きます。1万歩を越えました。途中、涼しいところで文書を読み返してみたり。
夕方、ななくさ二階へ。パソコンのメールチェック。みんなの家かるがもからは、感染対策の徹底をしていること、新たな利用者さんが増えてきているという内容でした。県人権連の国葬反対にかかわる県と県教育委員会への申し入れ文もチェックです。7時に帰宅。48時間ぶりのビールでした。
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