終末期の対応
|14年11月26日 |中島 |
25日、火曜日。雨の朝です。20分ほどいつもより起床が遅くなります。
新事務所に。散歩はやめて、雑務。届いているメールからは、大森久雄先生の訃報もあります。18日には家族葬が執り行われた、と。個性豊かな方、これはゆずれないという思いを秘められた方、権力や権力的な対応に媚びない人だと感じていました。元気でいてくれたら、とよくよく思ったかたのおひとりです。
みんなの家ななくさの管理者、住宅さんと3日ぶりに顔を合わします。27日のNPO地域人権みんなの会への参加のことなど、少し打ち合わせです。
午前中かけて、26日の玉野市で話す、小規模多機能型居宅介護事業所とは、という資料を作ります。デイサービス虹の家の管理者に連絡して参加予測数を聞き、必要な枚数を印刷です。
午後、保佐しているTさんのいる施設に走ります。主治医が来ていて利用者さんの診察などをしています。待つこと約1時間、Tさんの健康状態について詳しく教えてもらいます。今まで聞いていたより重篤という判断。Tさんの今後の生活、終末期の状態を頭に描いて、対応してくれるかなと思える病院を思いめぐらします。
終えて民主会館へ。個別の相談というか少し胸が痛い報告を受けます。そして人権岡山の会議の日、集まってきている人たちと雑談。
暗くなって車も混んでいる中、旭川を東に越えての会議です。一日一日の情勢の変化をきちんと見て取ること、自らが動いて変化させその変化をまた情勢としてとらえていくという基本的な観点と運動の姿勢を学ばせてもらいました。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »