将来は、釣り紀行の著述業もいいですね
18日、朝はやく公園で散歩。中国の大学で日本語を教えているS先生と外周でバッタリ。これで2度目です。S先生の南京での生活を寄稿してくれた「人権21」の文書をみると、あちらの生活でも早起きして大学構内を散歩しているとのこと。岡山に夏休みで帰られても、その習慣が生きているようです。
事務所で、資料づくり。ななくさに出向いて、扶養に入っているスタッフのおひとりの年間支払賃金などの予想を立ててみます。
事務所で資料を作成中、ななくさの慎ちゃんが病院から外出許可をもらった、と顔を見せてくれます。横に切ったお腹の傷跡も見せてくれましたが、最近はガーゼはなくて、特殊なテープで傷口を抑えています。介護の、じょく瘡の療法にもそういうテープがあるらしい。手術して1週間ほどで外出許可がでる、医療の技術と体への考え方進歩しているのだ、と実感です。
午後から、時間を間違えてこられたMさん、久し振りということもあり、新聞への釣り投稿のことが話題に。夫婦間でも、米櫃まで独自の体制、釣った魚、連れ合いに時にわけてやるとお返しもある、と楽しそうに。昨年1年間に、113日釣りに出た、64回新聞に記事が掲載された、著述業として生業になっているなどと。年金でつつましく、かつ楽しく生活していること、当方にも早くそういう生活体制に入れというニュアンスで話すことが、いかにもうれしそうでした。
その後、県商団連の福木さんも来館。お盆に九州に行って、娘さんの初盆を済ませてきたこと等を聞かせてもらいます。そして、映画「弁護士・布施辰治」上映会の実行委員会に一緒に出ます。弁護士・布施辰治 岡山上映会
終えて、「要求の事業化交流会」資料の準備に。9割まで仕上げます。ポイントはこれで良いのか、とまだよりよいものをと思いますが、時間がありません。経過説明的なものになりそうです。
写真は、19日の朝の花。小さくてすこし派手な色合いです。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »