再会、そして達明さんとの別れ
|11年01月23日 |中島 |
22日、いつもより1時間遅れの散歩。知り合いの人に、「今日は遅いな」と声を掛けられます。
事務所で朝の雑用。そして、人権連の県常任幹事会。組織建設の課題で拡大会議を3月下旬に開催することを決定。2月5日、倉敷で開催するNPOみんなの会主催の「人権問題学習会」への参加要請もさせてもらいました。
午後、ひと休憩の後、夕方から、大学時代の卓球部仲間3人でミニ同窓会。兵庫県の八鹿駅まででて播但線を経由してやってきたUさんは元学校長。もう一人のOさんは岡山で自営業を営んでいます。Uさんは、我がおふくろの名前を覚えていてくれて、元気ですか、と問いかけてくれます。大学の部で監督をしているOさんは還暦を過ぎて人柄がまるくなったよう。2年後に同級生を誘っての集まりを持とうということに。ビールと日本酒、そして仕上げに源八の味噌ラーメン、よく飲んで食べて喋りました。
23日の朝、花田達明さんが亡くなった、という電話。この日、午前6時30分、入院先の西大寺病院で肺炎のため。1925年7月15日生まれの85歳。心底信頼できる、多くの方から、花田さん、たつあきさんと親しまれた方です。達明さんの生きざまを通して、なんど励まされたことか、今でもたくさんのことが思い出されます。
お通夜は、24日、午後6時から、葬儀は25日午後1時、どちらも、関西町7-7の集会所で執り行われます。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 1 »