|07年10月11日 |中島 |
ななくさの管理者、池田さんが体調がよくないのに無理をおして仕事にこられていたと、住宅事務長は頭が下がる、といいながらも池田さんのことを心配していました。その彼も、ヘルペスで帯状疱疹が激しい。この間、ななくさのことで大変忙しく、また神経を使うことが多かったのではと思います。互いに無理をせず身体を大切に、と本気で思いました。
10日は、第二水曜日で、三門革新懇の学習会。今回は、岡山市の政令市移行についての学習。今年春、市議会議員になった河田正一さんが講師。参加者は12名。岡山市は2009年4月からの移行をめざしている。区割り審議会は3区案を出し、市民説明会は10箇所。説明会に参加して意見を言っているのは主に連合町内会長で、3区案を支持しているという。河田さんは、市民への施策の実施の点では4区案がよいと思う、政令市必置の児童相談所の設置場所などの準備もされていない、国・県道の移管で県の借金がどこまで移譲されるのかも明らかにしていない、などと指摘しました。また、シルバー人材センターの不透明な財政についても言及。ここには、年間6700万円の補助金が支出され、9月議会での新たな財政投入についての予算は凍結して採択されている、といわれていました。
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|07年10月10日 |中島 |
9日、訃報が2つ。そのお一人が、かつて三門診療所友の会の会長をしていただいた方。この診療所は、関西町に1978年に設置され、岡山医療生協の協力で運営されてきた。残念ながら、設置から20年ほどで医師の確保の問題で閉鎖された。閉鎖されるまで友の会で責任者として奮闘されたMさん、90歳にはなっておられるだろうが、今朝10日にお葬式。時代のうつりゆきを感じずにはおられない、訃報です。
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|07年10月9日 |中島 |
6日の土曜日、「ハンセン病療養所のあしたをひらく市民の集い」が市内のホテルで開催された。衆参両院議長に向けて100万筆の請願署名を集める、岡山でのスタート集会です。見慣れた面々と、弁護士さんたちの奮闘で開かれたようです。
請願項目は?ハンセン病問題の真の解決をはかるため、「ハンセン病基本法」(仮称)を制定すること、?療養所の将来のあり方については、入所者・職員・地域住民あんど関係者の意見を尊重し、地域・国民のための医療・介護施設等として広く解放・発展させること、?ハンセン病療養所の医療・看護・介護体制の強化を図ること、の3点。
全療協の神みちひろさんが基調講演。平均年齢80歳といわれている入所者の今後について、静かな語り口で実態を述べていました。厚生労働省の姿勢は現行法の範囲内のもので、実態にそぐわないものと強調されていました。
長島愛生園、邑久光明園の自治会の代表の人たち、介護員、看護師なども、現在の実態を訴えられ 入所者の方の高齢化が進む中、この請願項目の実現はこの数年には必ず実現しなくてはならない緊急課題であると、異口同音に強調されていました。岡山県では20万名署名に取り組むことも確認されました。
8日、姫路から母親が來岡。いよいよ岡山で暮らすことの準備に。年老いてから古里をはなれて暮らさなくてはならない気持ちをおしはかっているところです。
関連資料
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|07年10月6日 |中島 |
住宅事務長の義兄が若くして亡くなったのが1日。3日の葬儀で、私の息子と同級生が喪主。その彼の会葬者へのあいさつ、胸が痛みました。4日は鼻から胃カメラで健診。その後、腹具合が よくなく、しばしトイレを抱える状態に。
5日、昼間に水島の協同病院までお見舞いに。大正13年生まれの運動の大先輩の住寄さん。入院して1ヶ月、腹水がたまり、水を抜いたばかりの日でした。食べ物が欲しくない、といわれていました。頑張って、自宅に帰れるよう、少しでも食べて元気になるようにと激励。ここで、かつての同級生、倉敷医療生協の清瀬専務の連れ合いにばったり。少しだけ昔話。この夫婦は病気には縁が無いように若い。
夕方は、ななくさの打ち合わせ。管理者の池田さん、事務長の住宅さんとの3人会議。利用者さんたちの最近の動向、一人ひとりに適応した介護の課題、その他総務にかかわる課題が中心。池田さんが管理者研修で聞いてきた職員の権利にかかわる課題も論議。いつも斬新な気持ちであたるように心がけよう、と改めて感じました。
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|07年10月5日 |しんちゃん |
日に日に秋らしくなります。秋の夜長、今夜は夜勤です。泊りの利用者さんは、ぐっすりと眠っていて、静かな時間が過ぎていきます。
10月1日午後7時39分、私の連れ合いの兄が亡くなりました。享年52歳でした。5月の終わりに癌と診断され、手術、抗がん剤治療とがんばりましたが、4ヶ月で逝ってしまいました。
彼は、私の中学校野球部時代からの先輩であり、義兄であり、ヒーローでした。彼は正義感の強い男で弱いものを助け権力を振りかざす者には立ち向かっていくという人でした。誰からも愛され、後輩には慕われていて、葬儀の時には会場に入りきれないひとが弔問にやってきました。
私は、彼から大きな影響を受けて、今があると思っています。「人にこびるような生き方はするな。自分を信じて、信じた道を行け」息子にも語っていたそうです。いい男でした。残念です。
これから、金木犀の花の香りとともに秋が深まっていくことでしょう。寂しい秋になりそうです。人の死に向き合うことは精神的にも、肉体的にもパワーのいることで、身も心もバテています。それでも、ななくさには、笑顔を求めて利用者さんが毎日集います。利用者さんの笑顔を頼りに夫婦で乗り越えていこうと思います。もの思う秋の夜長に、わたくし事ですみませんでした。
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