核兵器廃絶にむけて
この日は6月給与と賞与の支給日。事務局の安田さんと吉岡理事、3人で3つの事業所のスタッフさん個別の封筒に現金をいれていきます。吉岡理事には、みんなの家かるがもまで運んでもらいました。
終えると12時半過ぎ。岡山駅西口の駐車場に愛車を停めて遅めの昼ご飯です。しばし散策です。駅のスーパーで買い物をして、母親に届けます。新事務所に戻り、留守の間に届けてくれている書類などに目を通します。
この日は、イスラエルのイラン核関連施設へのミサイル攻撃のニュースが。おいおい、どうなるのか、何を考えているのか、などと。
14日、土曜日。木村のパン屋さん経由で新事務所へ。
この日の朝は。イランからイスラエルへの報復攻撃のニュース。アメリカの軍事パレードの準備などのこと。ほんと、どうなる、どうするの、などと。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。今年勤続10年を迎えるTさんも。次の世代への継承、意見も聞かせてもらいます。
関西町の「みんなの会館」へ。後援会活動、「いのちと人間の尊厳が大切にされる」社会へ、そのために参院選挙では、と話します。久しぶりに顔を見る人もいれば、いつも顔を見るのにこの日はいないね、という人もいたり。
喫茶店のカレーで昼ご飯。民主会館へ。岡山県AALA連帯委員会の総会です。記念講演は、岡山県被爆者2・3世の会の加百智津子さんです。「日本被団協ノーベル平和賞をセレモニーに終わらせないために——核兵器廃絶に向けて何を学ぶか」がタイトル。パワーポイントを使って1時間余り話されました。
広島での被爆の実態を、被爆された母親から受け継いできたこと、話してくれました。父親は入市被ばく者にあたる、とぃっておられました。偶然、新婚間もない二人は被爆数日後に奇跡的に出会うことできたようです。
1949年生まれの加百さんより先に、二人の男の子が生まれたのですが、二人とも出生後まもなくなくなったこと、母親のその二人に対する深い思い、二人が被爆の害毒をもって体内から持ち出してくれたから私が生きておられる、と言っていたと。講師もある程度成長してから病気がちになっていったこと、小学校時代、母親が被爆者だと発表したら、「原爆症がうつる」と同級生に言われたこと、結婚時の辛さなど、被爆者2世としての経験を語ってくれました。2世に対する支援対策、各県によって大きな違いがあるようです。岡山県は福祉企画課が窓口。被爆二世の方を対象とした健康診断を年1回実施している。(1)・・・・実の両親のいずれかが原爆被爆者であって、次のいずれかに該当する岡山県内に居住する方/ 広島被爆にあっては、昭和21年6月1日以降に生まれた方/ 長崎被爆にあっては、昭和21年6月4日以降に生まれた方 となっています。
写真は、講師の母が被爆時に着ていた上着。
母親の食料を買ってアパートへ。その後、新事務所に戻ります。ひと休憩です。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »