老後の不安
11日、土曜日。朝3時過ぎに目が覚めて、携帯電話を手に取ると夜中の12時過ぎに、知らない電話番号から掛ってきていたことに気づきます。別の救急隊員さんかな、いまさら仕方ないな、と。朝4時に起床して、朝風呂。体を温めてこの朝も配りものです。済ませて帰ってきて、炬燵の中で新聞を見ながらうたた寝。7時半ころ木村のパン屋さんでサンドイッチなどを買ってきます。連れ合いの朝ごはん用にと自宅に届けます。
新事務所へ。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。前日、職場に来れなかった新スタッフさん候補の方はインフルに続いてコロナに感染していた、という話に。
後見制度で保佐しているMさんの施設に電話。前夜どこに入院したのか確認し、その入院先に電話して入院手続きのことを問いかけます。改めて今お世話になっている施設の看護師さんと連絡。10時にO病院で待ち合わせることに。病院の入退院センターでまつこと30分、施設の看護師さんが施設長さんと一緒に到着。入退院センターで手続きの書類を作成。10日の23時ごろ入院、11日の11時ごろ退院。12時間ほどの滞在ですが、個室部屋代は2日間分いるという話です。赤旗日曜版の特集で、部屋代が戻ってきた事例が掲載されていたこと思い起こします。Mさんの入院している部屋まで出向いて、施設のお二人がリクライニング車椅子にMさんを乗せて、今度は別のK病院へ。O病院から出ていく時間帯、みんなの家だんだんの佐々木さんからの電話。コロナ感染対策上の課題と利用者さんへの支援についての相談でした。
O病院から県立図書館へ。借りていた本を返却、新たに借りてきて、その付近の日本蕎麦屋さんで昼食です。別の方の入退院にかかわっての相談も。
買い物を済ませておいて、K病院へ。入院手続きです。6枚ほど署名します。ここでも部屋代のこと、説明を受けます。残りの人生時間とお金の相談になりますが、このまま個室にいるようにしてあげてください、と孫のような年齢の看護師さんにお願いでした。
母親に食料を届けます。新事務所に帰ります。ひと休憩。スーパー・ニシナで買い物。7時前に帰宅。土曜は寅さん、1974年作で十朱幸代さんがマドンナ、上条恒彦さんも出ています。そういえば、この日NHK総合テレビで流していた、長嶋茂雄の特集、引退セレモニーが1974年10月19日でどちらも50年が経過したんだと再認識。八鹿高校事件が同じ年の11月22日だったこと、関連させて、どういう20歳代だったのか、思い起こしてみたり。
翌日も朝が早いので意識的に早く寝ようと9時過ぎて就寝。それなのにまた電話で起こされます。携帯電話をみると10時、母親からです。ちょっとわけのわからないこと言ってます。ウーム。
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