協立病院緩和病棟で
雑務。19日開催の3つの事業所の管理者会議、そのレジメづくりに。いつもは5人会議、今回は引継ぎもあり7人会議に。年度末でもあり、議題にぬけがないように頭を働かせます。
みんなの家ななくさの看板を取り換えた、その工事を請け負ってくれた業者さん、請求書を持参。一緒にその看板自体を改めて見てみます。看板の大きさと字数、文字の大きさと色合い、書くべき内容なども、もうちょっときちんと提起すればよかったかな、と内心思います。
テレビは東日本大震災から15年の特集を。2011年11月に、皆さん先輩にあたる年齢の、藤澤、竹本、三戸の皆さんと岩手県宮古市まで物資を運んだこと思い出します。田老港の防波堤の鉄骨の柱がひん曲がっていたこと、38メートルの波がきて見回っていた消防団員が流されてしまったいう小さな湾のことなども。
事務局の安田さんと、3月給与について個別支払い票と労働実績との照らし合わせです。その作業を通じて雇用関係、書面できちんとしておかなくてはというもの再確認の場合もあります。
前日の母親の様子からして心配な感じがするので、朝から協立病院へ。緩和病棟に入ると看護師さんが、手足が紫色になっているので電話連絡を入れようかと思っていたところです、と。その様子を伝えたくて、連れ合いと中島青年に連絡入れます。順次病院に来てくれて母親に声掛けをしてくれます。この日は、一般病棟で主治医だったI先生も顔を覘けてくれて母親に声をかけてくれていました。当方には腹水の検査結果を聞かせてくれます。夕方、住宅さん、杉本さんも。中島娘は緩和病棟へは初めてと。
途中2時間ほど県立図書館へ出向いて、山陽新聞の連載シリーズ、「傍らのひと」9回分を探し内容を見ておきます。その企画の意図が見えてきません。
病院から、7時ごろ新事務所に戻ってきます。メールのチェックです。8時前帰宅でした。
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