ケアの倫理
|21年04月22日 |中島 |
21日、水曜日。朝、いつものように朝風呂で身支度。いつもの鷺とどこからか帰ってきた鴨一羽がいる池にパンを投げ入れてやります。
新事務所へ。雑務。県革新懇の氏平事務局長より緊急の連絡。22日予定の代表世話人会議、訃報がとどき延期せざるを得ない状況なった、と。
みんなの家ななくさの住宅さん、来所。県民医連認知症研究会の最近のとりくみなどを聞かせてもらいます。スタッフさんの移動について本人さんが同意されたこともききます。
来客あり、地域のとりくみの報告書をもらいます。みんなの家だんだんの佐々木さんに3.6協定の内容について話し、利用者ご家族の動向を聞かせてもらいます。
この日は、新聞、雑誌、本などあれこれと目を通します。そのなかでも時間をかけて、先日はざーと目を通した岡野八代さんが前衛5月号にかかれている「『ケアの論理』が・・・」、副題が『ケアするのは誰か』が問う日本の民主主義、をじっくりと読んでみます。その内容は、ケアする人を貶めてきた社会、ケアの倫理、自己への問い、地域での共同・対話・水平的な関係性の維持、など実質的な平等を作り上げていく社会のながれを整理されています。自らの思いと共通するところ部分的にしろ多々あり、とかんじます。
夕方、県人権連の吉岡事務局長が届けてくれた郵便物などにも目を通します。おかやま人権研究センター人権21も届きました。中央福祉会理事長の井場さんが介護施設でのコロナ感染についてかかれています。石井十次と「自助・共助・公助」と題して、辻野喬雄さんが寄稿されています。辻野さん、88歳だそうです。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »