浅田訴訟、高裁でも完全勝利
13日、午後1時半開廷の、浅田訴訟。
広島高裁岡山支部でおこなわれました。
松本清隆裁判長は、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、とのべました。
その判決文を以下に掲載します。
広島高裁岡山支部判決
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13日、午後1時半開廷の、浅田訴訟。
広島高裁岡山支部でおこなわれました。
松本清隆裁判長は、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、とのべました。
その判決文を以下に掲載します。
広島高裁岡山支部判決
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12日、水曜日。朝、新事務所へ。朝の冷たさも本格的になりました。
雑務。みんなの家で働くスタッフさんたちへの冬の賞与の計算のもとにする資料を集めておきます。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。利用者さんの動向などを聞かせてもらいます。翌日、13日の浅田訴訟判決にむけての話も。
8時半過ぎ、歩いて昔の西警察署付近の歯医者さんに。20分かかります。予定より早く終えて新事務所に帰ります。ななくさの2階の部屋に行き、賞与計算です。途中、二人のスタッフさんに、こちらからのお願いの連絡もいれます。一応完成させます。トータルで予算の750万円を超えました。
2時ごろ、釣り仲間のFさん、来所。年末の釣行も改めて相談です。当面する運動の課題も話し合います。
夕方、翌日の浅田判決の諸準備、県人権連の事務局から連絡も届きます。いよいよ、高裁での判決、浅田さんの思いを考えてみるとこちらも気持ちが高ぶるのです。
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11日、火曜日。朝、まだ暗い中、歩いて新事務所へ。
雑務。成年後見制度で保佐している82歳の助成、Mさんのいる施設に走ります。前日、ケーズデンキで買ってきたアンカを渡します。延長コードが要るようです。そして二人の女性の相談員さんと一緒に、別に運転手さんもおられて大きな車を出してくれて、施設見学に。行先は高松稲荷付近の養護老人ホームです。措置施設ということで想像していたものとは大違い、綺麗な個室と素敵なリビング、トイレも広くで戸数も適度に配置されています。この施設の男性相談員さんたちとMさんも含めて説明会的な話し合いです。ショートステイから始められたら、とすすめられました。
Mさんのいる施設まで一緒に帰ってきて、サヨナラです。次は21日に別の御津の養護老人ホームの見学に行くことに。
奉還町のスーパーで野菜などを買って新事務所に帰ります。あなごだしで小さな鍋料理で昼食。
3時から夕方まで、3つの事業所の合同会議でした。
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10日、月曜日。朝、いつもより少し遅い起床。朝風呂などで身支度。新事務所へ。世界人権デーだとラジオでのニュース。
雑務。浅田訴訟の高裁判決がこの13日に下されるので、「浅田達雄さんを支援する会」としてのアピール、案としてまとめておこうとパソコンに向かいます。
午後、林財団のひだまりの里病院へ走ります。林友の会の幹事会です。ラン伴、という取り組みの映像をみさせてもらいます。みんなねっと、という全国会議、今回は神戸市で開催されたのですが、それに参加されてきた方々の報告も聞かせてもらいます。統合失調症など精神障害者にかかわる内容です。早く専門医にかかることの大切さが強調されていました。また、食生活もその障害の克服について大切である、「まごはやさしい」の食事が良い、という話も。ま・・豆、ご・・・ごま、は・・わかめ、や・・野菜、さ・・魚、し・・・しいたけ、い・・・いも、というものです。また、精神科医の呉秀三(約100年前の東京大学教授、私宅監置問題を提起した)をとりあげた「夜明け前」という映画について、その上映会について「きょうされん」との共同のとりくみになるように準備していくことなども話し合われました。
夕方、一旦事務所に帰ります。Iさんの車に乗せてもらって、また南区の千鳥町まで。7時からのみんなの家かるがものスタッフさんたちの忘年会に参加です。途中、路がわからなくなり、迎えに来てもらったりのハプニングも。心のこもった鍋料理、みんなで楽しくいただきました。
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9日、日曜日。早朝の配りものをすませて朝風呂。白いご飯の朝食をいただいてから、歩いて新事務所へ。
雑務。前日の、明石さんの米寿を祝う会、その会計整理など後処理もしておきます。一人の欠席もなくて予定通りの参加者だったのが会計上もありがたいことでした。
岡山駅西口まで歩きます。途中、奉還町商店街では、森脇ひさきさん、田中青年たちがハンドマイクを使って宣伝していました。前衆院議員の大平さんと握手。しかし、日曜日の奉還町、少しさびしいね、と感じるのです。
サンヨーステーション内の新八で、焼き鳥、せせりと皮、しそ巻のセットをふたつ買って、帰りは吉備線で。備前三門駅から歩いて、はなだ屋の大将宅へ。1時間ほどあれこれ。
新事務所に帰ります。カップラーメンとはなだ屋でいただいた喜怒哀楽の巻きずしを3キレで昼食。
少し、事務整理です。2時ごろ
自宅にかえって食材などを冷蔵庫などにいれて保管。
この日は、釣りクラブの例会。4時には玉野市の日出海岸から出航。風がおさまったので、参加者は良い型のメバルをたくさん釣り上げていました。こちらは貧果、ブービーでした。
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7日、金曜日。いつものように新事務所へ。
NPO法人地域人権みんなの会の古くからの会員さんでもある明石将来敬さんの米寿を祝う会、その当日資料、参加者名簿づくり、受付用紙、釣り銭、看板、席の配置、添付資料などを準備していきます。一人思案の場合は、ひとつ終えては、あれ、またあれも、とつぎつぎと抜けがないかと考えるごとにでてきます。人権連事務局の人たちがお願いしたら気持ち良くやってくれる、その応援があってこその段取りでした。明石さんの人柄がここにも顕われています。
8日、土曜日。いつものように新事務所へ。
朝9時過ぎ、前日連絡を受けて約束していた、西大寺の施設に走ります。成年後見制度で後見している94歳の女性、Uさんの感情が不安定になっている、後見人さん、きいてやってください、というものです。ベッドに横たわっているUさん、私に若いころからの生活の様子、学校へ通ったこと、勉強がよくできたこと、結婚した夫さんの趣味、私は詩が好きなの、などととまりません。40分ほどきかせてもらい、必用なものはちゃんと買ってもらえるように施設の人にお願いしときますね、と話して退室です。施設の相談員の方に様子を伝えておきます。
帰り道、やはり後見している99歳の女性Nさんのいる協立病院へ。入院してから1週間、看護師さんに経過を聞かせてもらいます。5人部屋に変っていました。まずまず回復に向かっているようで一安心でした。
民主会館へ。資料を受け取り、新事務所に帰ります。
前日の残り物の豆乳鍋で昼ご飯。
吉備線で岡山駅へ。この日の主人公、明石さんと一緒になります。
3時から、「明石さんの米寿を祝う会」です。県内各地から46人の方々が参加してくれました。
呼びかけ人のあいさつ、以下の内容です。
本日は「明石将敬さんの米寿を祝う会」を企画しご出席の呼びかけをさせていただきましたところ、多数の皆様方にご参加いただきましたことに、心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
さて、明石さんは、戸籍上は1932( 昭和7) 年1 月3 日生まれ、数えで88 歳、米寿を迎えられましたが、現在も岡山県革新懇の代表世話人、「学びのひろば」世話人などを中心に活躍され、最近になって新たに岡山県地域人権問題研究集会の副実行委員長も担っておられます。
明石さんの背筋をきちんと伸ばした立ち姿は、不当な権力に対しては毅然と立ち向かう人生姿勢のごとくだと、大勢の仲間が感嘆の意を込めて話されます。また、凛とした日常の生活とご活躍は毎日のアルコールに源があるのでは、とこれも大勢の方々が親しみを込めて話されます。
安倍政権による壊憲政治の強行の下で憲法改悪策動をさらに強めようとしている今日、私たちは明石さんの長年にわたる組合活動、政治活動、市民活動などの財産から、ともに将来を見据えた光と展望を見出しながら、明石さんの今後のご活躍にも期待をよせあいたいと考えました。
私たち呼びかけ人の4人は、立花一也先生の県議会選挙で、明石さんと一緒に頑張った仲間で、それ以来、互いの活動を励ましあい、情勢をともにするために交流を深めているメンバーです。今回の祝う会も、明石さんの身近な方々一同で杯を傾け、今日の明石さんにいたるまでの皆さま方との思い出話なども聴かせていただき、明石さんの今後の活躍とご健勝を祈念したい、という企画です。
そして、ご出席いただいた皆様が楽しくすごされることを通して、明日からの活力につながれば、明石さんも含めた私たちの望外の喜びでもあります。よろしくお願いいたします。
10数人の方々からお祝いのあいさつが続きます。
明石さんの謝辞は、見事なもの。自らの半生を自らが客観的にもきちんととらえられる能力のたかさを感じます。参加してくれた方々への感謝の念も良く伝わります。無駄な言葉がひとつもない、と周りの人が言われていました。
終えて、5人で短時間の2次会。人権連の地域組織の再建・強化のことも話題になり、当方にとってもうれしかったのでした。
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