退院願望
4日、月曜日。いつものように新事務所へ。
1977年のこの日が結婚式だった、もう46年目になったのかと、ちょっと昔を思い起します。あの年は住民運動を担う青年たちの結婚式が続いたもんで、会員制とはいえ出費が重なった人が大勢いたと思います。
連れ合いからの電話。母親から退院できるかも、という電話が届いたと。そうなればこの日は動きが取れないね、と待機的に。その日のその日に退院ですよ、と病院側がいうわけがない、母親の願望がそう言わせたのだとわかるのが夕方になってからでした。
夕方、インフルエンザ対策についてみんなの家かるがも管理者さんから報告など。
5日、火曜日。朝早く、この日が麻酔もする検査になったという連れ合いを病院へ。往の旧国道2号線で東山電停の右折は長くかかります。帰り道、桜橋までが相当の渋滞。8時半に新事務所到着、すぐ可燃ごみをステーションへ。この日の県地域人権問題研究集会実行委員会の出欠で電話がかかってきます。
母親が入院している病院へ電話して面会の時間を予約。午後、思ったより早く検査が終わったから迎えに、と電話が届きます。県地域人権問題研究集会実行委員会会議は欠席させてもらい、連れ合いを迎えに行きます。こちらが心配したほどでもないようなのでちょっと安心。自宅に送り届けてから、母親のいる病院へ。帰宅願望がでている話がつづきます。
夕方、吉岡・県人権連事務局長に、この日の実行委員会の様子を聞かせてもらいます。
6日、水曜日。いつものように新事務所へ。
みんなの家ななくさの住宅さん、来所。インフルエンザ対応についての基本的なことメモったものをみてもらいます。事務局の安田さんに賞与計算のもとになるデータのこと、その計算は今週の土日でやりたいね、などと打ち合わせ。
10時過ぎて岡山駅へ。新幹線のひかりで姫路駅まで。拝啓というお店で餃子2人前で昼食。姫路駅に戻りJR神戸線の普通列車で御着駅へ。歩いて高校卒業まで暮らした家や隣のお家の様子をうかがい、その足で墓地まで歩きます。父親のお墓、何にもない、さっぱりしていました。誰かが枯れた花などは取り払ってくれているのか、という感じ。11月20日に亡くなって42年になったね、と声をかけてお墓にお酒の方がうれしいだろうけども、水だけかけてあげました。
道中、電話があれこれ。母親が退院できるようになったと医師から、入院している病棟から、その病院の事務局から、それぞれかかってきます。翌日に迎えに行ってもらう体制、それを連れ合いとななくさの住宅さんに、それぞれお願いも。人権連の翌日の会議にかかわっても諸連絡が・・・。
6時半ごろ新事務所に帰ります。メールで届いている、翌日会議の議案書、県人権連の機関紙『地域と人権・岡山版』の版下、それぞれ目を通します。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »